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頑固親父に会いに行く
私の親父の話。
私は月に一度必ず父親に会いに行く。会いに行くと言っても父とタバコを1〜2本吸ったら帰るのだが。
父の仕事は農業で、私が幼い頃は朝起きると両親はもう仕事に行ってたし、夜も帰りが遅かった。保育園の送り迎えや日頃の面倒は、祖母がしてくれた。
忙しかったのもあり、父とはキャッチボールや一緒に何か遊んだことは一度もないし、お互い会話も少なかった。
唯一、一度だけ長崎県の平戸に家族旅行に行った記憶はあるのだが、当時の車はオレンジ色のスバルのバン。このスバルの車はボロかった〜!平戸に行く途中に車が故障し時速40キロしかでなくなり、高速は使えず予定は大幅に遅れ散々だった。
これっきり、一度だけの家族旅行だったので強烈に記憶に残っている。
父の性格は頑固そのもの。好きなものは酒とタバコで、昼間っから酒を飲んでる姿は何回も見てる。いつも同じ洋服、いつも同じ帽子で、真冬に氷がはっているキャベツを収穫するのも素手でしていた。携帯電話なんてもちろん持っていない。
人間ぎらいであまり話さないし、携帯電話も嫌い。私がスマホをいじっているだけで機嫌が悪くなる。昔、父に聞いたことがある「携帯電話は便利なのに何で使わないの?」父は、「携帯電話を持つと相手からかかってきて、用事や頼まれごとされるけん好かん」「俺が用事がある時は、家の電話からかける」、、、とにかく父は電話をわざわざ携帯することが嫌いらしい。
20代の頃に、先輩と近所のラーメン屋に入ってテーブル席に座りビールを頼もうとしたら、ラーメン屋のおばちゃんが「カウンターの端で飲んでるおじちゃんから」ってビールをいただいた。先輩は「ありがとうございます!」と頭を下げ、私も下げた。先輩が帰りに「何で俺たちにビールくれたんやろ?」って、、、「実は、俺の親父です」っていうと、私の対応が父にたいしてあまりに他人行儀だったのでビックリされたこともあった。
本当に、昔は父とまともに喋ったこともなかったし、好きになれなかった。絶対に、こんな親父にはならないって思ってもいた。
そんな私が、父との関係と会話、絆を持たせてくれたのは私の妻だ。父は妻のことをすごく気に入ってくれて妻が私と父の間に入り、うまく親子のカタチがつくれるようになった。父もまるくなったように見えた。
2014年に父が入院したことがあった。俺のお見舞いは誰も来させるな!!って言われたけど、入院の話を聞いて親父のいとこがお見舞いに来てくれた。約60年ぶりの再会で体も弱っているためか、生まれてはじめて父の涙をみた。当時、私が勤めていた会社の上司に父が涙するの初めてみた話をすると、上司は「その前に俺は親父さんが涙ながしてるの見たよ、、お前の結婚式の時」。
最近、周りの人から「あんた親父さんに似てきたね」って言われることが多くなった。昔は親父みたいにならないって思っていたけど、、、、なんか嬉しくなる。
だって今は尊敬する人や、こんな男になりたいって思う人は親父だから。
不器用でコミニケーションもうまくできない、でも本当は人に優しくてこんなに周りに気を使う人いないから。入院して誰も見舞いに来させるな!!って言ったときも、自分のために時間を使わなくていいっていう思いだったんでしょ。今は親父のことわかるよ。
はじめに書いた「私は月に一度必ず父親に会いに行く」は、今日20日、父の月命日。
父が大好きな、大好きな、
酒とタバコを持って 父の待っているお墓に行ってきます。
またタバコでも吸いながら短い時間だけど話そうね。
オヤジ大好きだよ
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