最近の若者は……
皆さんどうもです!
私の職場は定年退職というシステムが存在しないため、70歳以上のご高齢の方が元気に働いています。そんな方々とお話しする時に皆さん「最近の若者は…」というフレーズをしばしば使います。
きまってそのあとに続く言葉は、残念ながら「根性がない」とか「欲がない」といった否定的なニュアンスの内容ばかり……。そこで今回は、「最近の若者」について考えたいと思います!
悲しいニュース
これはシンプルにショックですよね……。
かつての人々と比べれば衣食住といった生存に直結するような問題にはほとんど悩まされることない私たちが、自ら死を選択するとは何ともいえない複雑な気持ちになります。
しかしながら、裏を返せば何か満たされないものがあるからこそ、この世界から抜け出そうとするわけです。私たちはその何かに対して真剣に向き合わなければいけないのだと思います。
ハングリー精神
皆さんはハングリー精神という言葉を聞いたことありますよね?
この言葉を、”今ここにないものに対しての渇望”だと解釈してみると、最近の若者の極端な行動に対する処方箋が朧気ながら見えてきます。
今の日本では、”物”に対しての渇望を抱き続けるのは難しい状況があるのではないでしょうか。多くの人は、物がないことよりも何を選択するのかに頭を悩ませていることがほとんどでしょう。
一方で、”意味”に対しての渇望はかつてない程に高まっているのだと感じています。個人的には、物を買うときの判断基準が機能性等の定量化できるものよりも、物が作られる過程にあるストーリー等の感覚的なものへとシフトしています。
かつての若者と今の若者はハングリーになる対象が異なるだけであって、両者は同様に欠乏しているものに対して渇望しているわけです。
ただ、”意味”に飢えている最近の若者に対して、”物”によってその飢えを満たそうとするかつての若者たちの姿勢が最近の若者の極端な行動と結び付いているのだと思います。
意味を失った世界で
学生時代に哲学書を色々と読み漁った時期があり、虚無主義の思想に傾倒していた時がありました。虚無主義とは端的に説明すると、"人間の存在に意味も目的もないと考える思想”のことです。
少なくない人々が、人生に意味なんてないから好きに生きろ!みたいなことを口にしていると思いますが、これって要は虚無主義です。ある種の開き直り。それゆえの大胆さが短期的にみると強みにはなるのかもしれませんが…。
詳しい経緯を書き出すととても収まりきらないので割愛しますが、人間は無意味なことに耐えられるように造られていないという結論に私はいたりました。だから今自分は信仰をもつようになったわけです。
旧約聖書のアモス書には昨今の状況を予言したような部分があります。
主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。
彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう。
その日には美しいおとめも、若い男もかわきのために気を失う。
アモス書 8章 11~13節
主の言葉とは真理のことです。真理とは、人間が生きる意味と目的です。
最近の若者は、意味を失った世界で意味を求めてこなたかなたへはせまわっている。だからこそ、聖書が与える人間の意味と目的こそが自殺に対しての一番の処方箋なのだと確信しています。
少しまとまりがない話になってしまいましたが本日は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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