妊娠できなければ、夫婦二人の生活を楽しもう… そう思っていたけれど、すぐに一人目を妊娠。 妊娠してから、側弯症は遺伝傾向があることを知り、不安になる日々。 側弯症になるのは女児が多い。女の子を育てたいけど、遺伝のことを考えると、男の子の方がいいなと思っていました。 検診のエコーで性別が「男の子」と分かってからは、一安心。 子供は三人欲しかったので、自分なりの産み分けで男の子を三人出産しました。 頭の何処かで、男の子なら側弯症にはならないと信じていました。 そんなある
私は、側わん症であることを友達に話した事は1度もない。 高校の頃、集会で後ろに座っていた無邪気な子から、左右の肩甲骨の盛り上がりが違うことを指摘されたことはある。きっと皆、気付いているんだろう。 イベントの写真で自分の後ろ姿が写っているのを見つけたときは、スタイルの悪さにいつもがっかりする。 肩が内側に入らないように姿勢を正したり、ジャケットスタイルやカーディガンを肩からかけてみたり、列に並ぶときは極力後ろへ。側わん症と気付かれないように、あれこれ工夫していました。
私がコルセットを最後に着けたのは中学3年のとき。次第に着ける時間も減っていき、サイズアウトしました。 今思えば、この病気を受け入れられず、コルセット外すことで心が休まるような感覚があったのかもしれません。コルセットは嫌でした。 そんな時、いとこも側わん症であることを知ったのです。叔母さんの紹介で、側わん症で有名な整体へ通うことになりました。 整体院に通うと、体に羽が生えたように調子が良くなりました。でも、角度は変わらず。骨の成長に伴いカーブは、上が58度、下が48度に。
側わん症を知ったのは、中学1年のとき。健康診断で要検査になり、大学病院へ行きました。 私はS字カーブの側わん症。初診時、上が57度、下が40度。レントゲン写真を見てショックを受けました。 手術を勧められたときは、もっとショックでした。急展開すぎてついていけず、勝手に手術の段取りが組まれ、帰りの車の中で声を殺して涙していたのを覚えています。 母もショックだったのでしょう。お医者さんに言われるがままてした。 でも父は違った。手術のリスクもあるだろうと。 結局、経過観察と
結婚して二年目に第一子を出産しました。すんなり妊娠することができ、過程も順調。 陣痛は鼻からスイカと聞いていたので、自然分娩か和通分娩か悩みましたが、ねじれた背骨への注射はリスクが高く感じたので、自然分娩を選びました。 妊婦健診のときには、側わん症であることを伝えておいた方が安心かと思います。伝えても、側わん症を知らない産婦人科医もいるでしょう。私は、背中に注射することがあったら、背骨が歪んでいるので要注意なんです、と付け加えました。 予定日前日、陣痛から6時間、元気な
側わん症初診時、中学1年で55度以上あった私。 手術をせず、まともにコルセットをつけず、結婚、出産を経て、30半ばになりました。 あの時こうしておけば良かったのでは…と思うことや、当時の解決策を綴ります。 同じ悩みを抱える子だけでなく、側わん症の子供がいる親にも読んでいただきたいです。