『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読む‐完‐

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読み終えた。
本作品は第3次世界大戦により、死の星になった地球が舞台。主人公のリックは、アンドロイド専門のバウンティハンター。その世界では地球がダメになったので、大勢の人類は異星へと移り住み、そのサポートに一人一台アンドロイドが支給されている。しかし、そのアンドロイド達が脱走し、地球に逃れてくることがある。そいつらを狩るのが主人公の仕事だ。この作品では主人公リックが8人の逃亡アンドロイドを追うのが主な流れだ。

というわけで主人公が悪アンドロイドを倒していく痛快活劇‼……かというと、そうではない。この作品はより大切なこと話をしていた。しかし内容は難しくはなく、楽しめるものだ。

主人公リックは物語の始めはアンドロイドを殺すことに一切の躊躇はない。しかしあることをきっかけに思い悩み始める。アンドロイドだからって何で殺す必要があるのか、と。彼は女性アンドロイドを好きになったり、宗教に救いを求めたりしてしまう。

またアンドロイド達は高い知能を備えており、さらに人間とは専用の検査をしないと見分けがつかない程そっくり。しかし人間の”感情移入できる能力”にひどく暗い嫉妬を抱いている。彼や彼女らは人間へあこがれに近い感情を持っているはずなのに、笑顔で汚い言葉を吐き、小さな命を弄ぶ。

また主人公やアンドロイドと並んで重要な青年、イジドア。彼は戦争の影響で降り注いでいる放射能に侵されており、さらに知能指数も低く、友人はいない。いわゆる”弱者”として描かれているが、心優しい青年だ。彼はそのうち逃亡アンドロイド3人組と出会い、うち一人の女性アンドロイドに恋をし、自宅に匿う。

これら3つの関わりを見ていると、アンドロイドには「人間味」というものがないと強く感じる。アンドロイドは確かに人間にそっくりなのだが、葛藤も共感も、同情心も尊敬する心もない。

アンドロイド達は物語中、その世界の人間たちが信じている宗教の成り立ちのウソを暴き、全人類に知らしめ、大喜びをしていた。しかしそれが何だというのだろう?人間なら思うはずだ。信じるのに根拠は別に必要ではないし、自分が信じているなら何も変わりはしないということに。このシーンではアンドロイドが滑稽に見えた。

ただ逃亡アンドロイドの一人、ルーバはとても人間的だった。彼女は殺される直前、諦め死んだような顔をしていたが、ムンク作の絵画《思春期》の複製画を見かけると生き返った表情を取り戻した。そんな彼女は人間的だった。殺してしまうのが悲しくなるくらいに。

この作品は人間的なアンドロイドも登場するのが良い。アンドロイドと人間の戦いというよりは、心の話をしていた。いままで僕はSFを読むのが苦手だと感じていた。しかしこの作品はSFとしての小道具は登場するが、人物の心に重きを置いていた。だから読みやすかったのだろう。良い話だった。