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あなただっていずれは(小説風エッセイ)


 (2800字程度)

 
 あれからもう五、六年は経つのかな。いや、五、六年どころじゃないのかも。ミイラ取りがミイラに・・・なんて言葉もあるけれど、全くうまいこと言ったもんだと思うよ。だってさ、僕がコレクターに、なんて、まさか思うわけないじゃん。それが見事にこの有様のわけだから、少しは丸くなったというか、運命論者の気持ちも少しは受け入れられるようになったというか。つまりは、うまくやられちゃったってことなんだろうね、運命とか、見えない糸とか、何とかの神様だとか、何だっていいんだけど。

 大げさな話なんかじゃないんだよ。古本を集め始めたっていう、ただそれだけの話。どこにでも転がってる話だろう。古本なんて珍しくもないし、むしろコレクションとしてはメジャーな部類に入るのかな。ただ、なぜそんなものを集め始めたのかという話になると、僕にも話したいことの一つくらい、あるのさ。

 詳しくなんかないんだけどね、ある時、井伏鱒二って人の小説を見つけてね。そう、わりと有名らしいね、僕も後で知ったんだけど。
 で、今考えてみると、何でその本だったんだろうって不思議でしかないんだけど、とにかくその古本を手に取ってみたんだ。
 シミはついてるし、表紙なんか角が曲がってて、すでに形までついちゃってるし。百円で売ってなきゃ、きっと見向きもしなかったと思う。お世辞にも、きれいだとは言えなかった。

 「珍品堂主人」。ほんと変わったタイトルだよね。初めて手にした時なんか、なめたタイトルだな、なんて考えて、思わずニヤニヤしちゃってたし。「万永元年のフットボール」だとか「豊饒の海」だとか、センスに溢れたタイトルの小説がこれだけ日本中の書店でひしめき合っている中で、わざわざ「珍品堂主人」。まあ、攻めてるといえば、攻めてるのかもしれないけれど、僕が作者だったら、こんなタイトルわざわざつけなかっただろうな。
 
 それでね、案外悪くもなかったんだ。それなりに楽しめたし、割に読みやすくもあった。骨董狂いみたいな人たちがたくさん出てきていろいろとやらかすのだけど、偽物をつかませたりつかまされたり、そのお返しに、他人の家のもの勝手に持って帰ったり、蒐集家ってこんな気性の荒い人たちばかりなのかなって、驚いたよ。ほかにも、時々出てくるうんちくが、なんでも鑑定団みたいで面白かったし、戦後すぐ位の設定なんだけど、資本家に都合いいようにばかりされてしまわないために、ストライキを計画する場面まで出てきたりしてね。何の話なのかよくわからないところはあったけども、十分楽しめたし、百円で買えたのはラッキーだったね。

 僕の話に戻るんだけどね、偶然にも同じくらいの時期に、collectionnerっていうフランス語の単語を覚える機会があったんだ。コレクションをするっていう意味で使われるらしいんだけど、例文なんかを調べてみると、どこかニュアンスが独特で、その当時すごくひっかかってたんだ、そのcollectionnerっていう一つの単語に。

 そのモヤっとしたものの正体が何なのか、後になって少しずつ分かってきたんだけど。その、その言葉が成り立つのに必要な前提みたいなものって言えばいいかな。そう、その言葉が成り立つのに必要なもの。そんな感じ。結局、気になってたのはそういうところだったんだって、後になってはっきりしてきたんだ。

 例えば、座右の銘とかって不思議な日本語があるでしょ、そんなもの誰も持ってもいないのに。でも、僕らの生活してるこの社会でもさ、みんな座右の銘の一つくらいは持ってるはずだ、って、そういうことになってるでしょ。少なくとも建前としてはね。そんなもん、誰一人持ってるはずもないのに。僕は持ってないよ。

 それと似たような具合でさ、人間なんだからコレクションの一つくらいあるでしょ、で、あなたは何をコレクションしてるの、ってそういうニュアンスで使われるらしいんだ。

 そりゃびっくりしたよ。何食べて育ったらそんな発想が出てくるんだって、正直思ったよ。フランス人えげつねえなって、正直考えちゃったよ。こんな風に考えちゃいけないってのは、じゅうじゅうわかってはいるんだけども。だって、人である限りコレクションの一つは持ってるはずだって言われたらさ、じゃあそのコレクションの一つすら持っていない私は誰なんですかって話になるわけだから、要するに僕はアリクイなのかもしれないし、ペッカリーなんかかもしれないし、下手をすればボウフラあたりでくすぶってるかもしれないわけ。

 悪い、おふざけが過ぎた。決して馬鹿にしてるわけじゃないんだ、決して。むしろ僕は、そういう世界もありだなって考えたらなんかワクワクしてきちゃって、すごく素敵な価値観だなって、ほとんど感激してたんだよ。ためしに一度、声に出して言ってみてごらんよ。あなたのコレクションは何ですか。

 今でも不思議だよ。信じられない。偶然にしちゃ出来過ぎなんだ。だから、運命とか神様とか、そんな風に表現してみたんだ。
 さっき話した、あなたのコレクションは何ですかって問いかけなんだけどね、その素敵な問いかけと同じくらいの時期に出会ったのが、あの古くて汚い「珍品堂主人」の文庫本だったってわけなんだ。

 珍品堂がやってることを日本語で何て言うかわかるかい。骨董収集。あれこそ、コレクションじゃないか。コレクションの中でも王道中の王道だ。骨董コレクションの人気が落ち日になってしまって真っ先に困るのは、きっとなんでも鑑定団の人たちのはずだよ。賭けていいね。

 と、いうわけで、こんな感じかな。僕は運命のあみで掬い取られて、それで、このザマさ。え、ああ、そんなことはしょっちゅうだよ。買ったものを全部が全部、覚えてるわけじゃないから。同じものを買うことだってあるさ。ん、これ。見ての通り、本だね。いわゆる積読ってやつで、本を買い集めるようになると、多かれ少なかれ、こんなふうに本でできた小さな尖塔が机の上にいくつもできるようになるんだ。本好きの末路というか、むしろいつかは通る道というか。

 何だって、聞こえなかった。もう一度。ああ、そりゃ君の部屋はこんな風ではないとは思うけど。君も本を集めればわかるようになるさ。嘘だ。君も集めてるの!何冊くらい。ああ、神様!それで、その、君が今言ったように、君は同じ本を二回も買ったこともなければ、アルファベット順に全てきれいに本棚に収まっていると。信じられない。だって、君は僕の二倍も本を持っているじゃないか!へえ、そうなんだ。それはびっくりだね、ほんと大したもんだ、いや実に、実に。
 
 ところでさっきからひっかかってたんだけど、僕もしかして、さっきの話を五、六年前のことだなんて言ってなかったかい。やっぱりそうか、そんな気がしてたんだ。ぼーっとしてたのかなあ。確かに五、六か月前って言ったつもりだったんだけど。本を集めるために、最近いそがしくし過ぎなのかなあ。なんだか眠くなってきちゃったし、はは、全く、本好きなんて、このザマさ!

 

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