Brand-new parabellum /Nobuto作

ジャンル:SF
形式:オムニバス形式の短編集
制作期間:2か月

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メイン・アクト
赤い非常灯の点いている船の一部屋に、フレームの割れた家族写真が立てかけてある。それには愛らしい子どもと夫婦の映った様子がなんとも仲睦まじげにあった。しかし、その雰囲気とは似つかわしくない耳をつんざくようなサイレンの音が幸せな雰囲気を霧散させる。

―この写真の持ち主は誰?―
誰も答えない。
―どこに行ったの?―
誰も答えられない。
それもそうだ。
だってワタシガ、ケシチャッタンダモン。

一隻の宇宙船が航行している。漆黒の背景のなか後部の青白く光るエンジンだけが、その宇宙船が航行していることを示している。でも、それだけだった。人工光はエンジンからしか確認できず、いくつも据え付けられた丸い窓はさながら等間隔に広がる黒い文様の様相を呈している。
ブラックアウト、その言葉がこの宇宙船には相応しいだろう。
そんな折、エンジンの光が強まった。煌々と光るそのエンジンによって船が面舵をとられる。その船首の向く先には一体何がいるのだろうか。

広く階段状に展開しているこの空間は船の指令室だ。だが、指令を出す“人”の姿は見えない。そこには無数の赤い点が映る円状のレーダーを見つめる“何か”がいた。四脚杖のような二対の節足を持ち、頭部らしき肥大化した嚢を持つ縦に細長い“何か”が。“何か”は胴体から触腕を伸ばし、マイクのスイッチを入れる。
「コンニチハ、ニンゲンノ、ミナサン。ワタシニ、アナタタチノ、ナカミヲ、ミセテクダサイナ」
抑揚のない、かといって明るい口調で話す“何か”は、胴体を左右に揺らしながら楽しそうにしている。
そんなに待ち遠しいのだろうか、人間の中身を見ることが?否、待ち望んでいるのは相手の持つ情報だ。敵船の機密情報、乗員の遺伝子情報、そして記憶。この得体の知れない“何か”とは一体何だろうか。

「こちら、ボーマン号。貴船に通達する。これより凶悪なナノマシン・HALに汚染された貴船を討伐する。もし生き残りがいるのなら早急に脱出を試みてほしい。繰り返す…」
スピーカーから船内の生き残りに対しての勧告が行われる。声の発生元はレーダーに写る赤点のいずれかからだろう。
そして、HALは胴体をマイクに近づけて答える。
「ゴチソウサマ。ミンナ、オイシイ、ジョウホウ、アリガトウ。ジャア、イタダキマス」

その声を狼煙として戦いが始まる。戦闘の始まる刹那、HALの体が蜃気楼のように歪み、崩れ落ちた。スライムのようにドロドロと流れ出る体は次第に指令室に広がっていき、終いにはHALの粘性の体が船体を駆け巡る。
これまで見せていた姿はナノマシンの寄り集まった一形態に過ぎなかったのだ。船体全部を己の体で覆ったHALは真っすぐ敵船の方向に前進する。

HALと敵船の戦いは一方的な殺戮と化していた。船体を自分の体のように動かせるHALと、人間の操縦には決定的な差があった。
HALの船には砲門が二つ装備されていた。HALが船体前部から射出した二本の熱線のうち、一射が一つの敵機を捉え、轟轟とした音を錯覚しそうな質量の爆発を生む。もう一本は二機の船体をかすめ、致命的な損傷を与える。
「マズ、3ヒキ。ゴチソウサマ」
敵艦から放たれる無数の熱線はHALを掠ることはない。それもそのはずである。HALの船は明らかに戦闘開始時より速度を増していた。人間には到底耐えられることのできない重力による負荷はHALには影響がない。HALは言う。
「データ、カイセキカンリョウ。スピード、バイカヲ、カクトク」
敵船の猛攻を背面で避けていくHALは既に直線状の攻撃は見切っていた。その間わずか10秒。

その戦闘をみたボーマン号の船員に衝撃が走る。
「あれは…もしや戦闘中に進化しているとでもいうのか?!」
「我々討伐軍のデータを解析されているようです!大破した戦艦にHALのナノマシンが付着することで情報の漏洩が起きています!」
「つまり、戦闘が長引くほどこちらが不利になっていくってことかよ…」
皆の顔に絶望の表情が張り付く中、部隊の後衛から伝令が入る。
「討伐軍各員に通達。我々の援軍である駆逐艦部隊が到着した。電波ホーミング誘導によるミサイルを20基搭載している。これであの気味の悪いカトンボを落としてやろう!」
一斉に沸き立つ艦内に士気が上がったことは明白だった。

「ベツノ、ヘイキ?オイシソウ…チョウダイナ」
敵船の無線を傍受していたHALは、有象無象の敵の中で後方からターゲティングしてきている駆逐艦に狙いを定める。しかし、HALの船体に搭載されている熱線の適正距離に駆逐艦はいない。回避しながらの狙い、そして接近。処理するべく情報量は膨大ではあるが、抜き取った情報から戦闘の最適化を演算する。
「10ヒキメ、データカイセキノ、コウソクカ。パルスレーザーヲ、シュウソク(収束)レーザーニ、カイリョウ。コウゲキリョク、キョウカ」
独り言のようにつぶやいたHALは、先ほどまでは回避と攻撃を交互に繰り返していた戦闘方法をとっていたが、現在はその従来の戦闘方法とはまるで変っていた。砲門に搭載されたコンデンサーのエネルギー効率を最大にまで引き上げて放つ熱線は、もはや寸分の狂いもなく精確無慈悲に敵を捉えていく。まさに捕食者(プレデター)。その称号に相応しい戦いだった。出力の上がった熱線は敵船の艦体の大部分を削ぎ落し、敵船は自らの死を思い出したかのように今際の際の爆発をあげる。
そのとき、討伐軍後方からいくつもの飛翔体がHALの船に向けて飛んできた。駆逐艦に搭載されたミサイルだ。時速1万キロを優に超えるこれらの飛翔体が標的を破壊するべく一点に集束していく。
しかし、それはあだとなった。対象を尽滅せしめんと飛翔したミサイルのほとんどはHALの船に搭載されている受動防衛火器システムにより宇宙の塵芥(ちりあくた)となってしまった。
それもそのはずである。前方に控えている駆逐艦からのミサイルがHALの船一点に集束するということに対し、着弾の経路を事前に演算することなど造作もない。ところが、数で押したことが幸いしたのか、数弾のミサイルがHALの船体を捉えた。

HALの船内に轟音が響く。もはや持ち主のいないデスクに置いてある写真立てが音を立てて床に散乱する。剝き出しのパイプが鳴り、接合面から水蒸気を出している。

「ミサイル012、054、101の三発の着弾を確認」
その報告と共にどっと歓声が上がる。互いが隣にいる者と顔を見合わせ、安堵の表情を浮かべていた。肩を叩く者、抱き合う者、口を開けたまま静観する者、皆が、同じ気持ちを異なる表現で表していた。達成感、そして安堵。そこにそれ以上の報告は必要なかった。そう、必要とされなかった。

「えっ…なん…で…?」
この空間の誰の声なのか、絞り出すようにあげられた悲鳴は討伐軍に刹那の静寂をもたらした。皆が視線を対象がいたとされる地点に向ける。錆びついたブリキ人形のような挙動で首を動かし、視線を向けた先には一隻の船があった。それは残骸ではなく、見た目ではきちんと船としての機能を果たしているそれがあった。HALの船である。

「ゴチソウサマ、デシタ。ナカナカ、スパイスガ、キイテテ、オイシカッタ、デス」
埃の舞う指令室には依然と変わらない様子でいるHALの姿があった。
「センタイヲ、オオッテイテ、セイカイ、デシタ。サンカイ、マデナラ、イチドニ、ショウゲキヲ、キュウシュウ、カノウ、デス」
船体を覆うように展開していたHALの分体はミサイルのもたらした衝撃の緩衝材のような役割を果たし、致命的な損傷を負うことを防いでいた。いや、それだけではない。HALは取得してしまった、討伐軍の使用したミサイルの情報を。そしてHALは無慈悲にも活用していく、討伐軍の使用したミサイルの情報を。
「データヲ、カイセキチュウ…。ミサイルノ、カクチョウセイ、オヨビ、オートエイムヲ、カクトク」
そうつぶやいたHALは続ける。
「オスソワケ、シマスネ。ハイ、アーン」
そういってHALの船から撃ち出したのはいくつかの飛翔体だった。それらは弧を描くような軌道で駆逐艦に吸い寄せられていった。
そして爆発。
ミサイルを搭載していた駆逐艦の爆発は、漆黒の宇宙に訪れた夜明けのような、終焉の訪れを知らせるメギドの丘のような神話性を感じさせた。

ボーマン号には笑いが満ちていた。ひどく乾いた笑いが。枯れてしまった命の泉の下を懸命に掘り進めるような、そんな生物的で、同時に絶望的な笑いだった。まだ打つ手はあるだろう。打たねばならぬ手はあるだろう。だが、結果は見えていた。

「アハハ。モット、モット!アーン!」
前衛に崩壊の光が起こる。
「データヲ、カイセキチュウ。…(隠しコマンド 1859sdb)ニヨリ、E.M.Pフォワードヲ、カクトク。シニンシテイル、テキセイソンザイニ、カイメツテキナ、ダメージ」

「イッパァイ、イッパァ~イ。ドーン!」
隊列という秩序はなかった。逃げ惑う船、淡々と攻撃の隙を伺おうとする船、航行を放棄した船、同士討ちで沈んでいく船、そして全てが同じ消失を辿る船だった。
「データヲ、カイセキチュウ。…(隠しコマンド HLsrum1)ニヨリ、ショウゲキヨクセイユニットヲ、カクトク。リアクションゴノ、コウチョクジカンヲ、ゲンショウ」

「アレ?モウ、コレシカ、イナイノ?」
最後の方まで生き残っていた船は死んでいった者たちを恨んだ。いまや数える程度しか残っていない船にいる者たちは有象無象の戦死者になりたかった。考える間もなく消えていった彼らが羨ましくて仕方がなかった。
「データヲ、カイセキチュウ。…(隠しコマンド DRarmor)ニヨリ、フククッセツソウコウ(複屈折装甲)ヲ、カクトク。リアクションヲ、カンゼンムコウ」

「ヒト~ツ、フタ~ツ、ミッツ~…」
HALは脱出ポットに乗った討伐軍の残党を撃ち落としていた。それは幼児が無邪気にも虫を踏みつけるかのような無垢な残虐性を孕んでいた。

「データヲ、カイセキチュウ…。エラー…。サイドカイセキ…。アリシヒ(在りし日)ノキオクヲ、カクトク…」

一隻の宇宙船が航行している。早すぎるスピードの負荷に耐えられなく、無残にもひしゃげた船首が退廃的な神秘さを想起させる。所々はがれた装甲が内部機構を剥き出しにして、内部に脈動するかのように蠢くナノマシンの流れを見せている。冷たい生命が見える。
「ミ~ンナ、ゴチソウサマ。ジャア、ツギ。イタダキマス!」
本編終了


報告書
従来のナノマシンは人類からユニデウスと名付けられた。名前の由来は二つの事柄が混ざり合うことを意味するunion、そしてラテン語で神を表すデウスが結合した造語からである。
太古の神と人類の違いとは何だろうか。太古の神は空を翔り、大地を潤し、遠くの者にいつでもどこでも意志を伝えることができるし、多くの命を不可逆的に奪い去ることもできた。だが、今の人類はどうか。空を飛ぶ乗り物を作り、化学肥料で大地を肥し、通信インフラによって人は同時にいかなるところにも存在できるようになった。そして、ボタン一つで数えきれない数の命を蹂躙できる。
我々は古来から神聖視していた彼らに程近い場所に立っている。しかし肩を並べるまでにはいかなかった。
人類には外的な拡張性があった。それは道具として扱われ、人類の生活の利便性を遥かに高めていった。だが一方、内的な拡張性にはあまり恵まれてはいなかった。人類の進化は目覚しいが、神は個人で異能を持ち、行使していった。それが人類にはできなかった。
しかし、人類は自らの長所である外的な拡張性を無理やり内的な拡張性に置き換える試みをし始めた。それが前述したユニデウスである。ナノマシンを体に取り込むという道具の使用ではない、道具との融合。この試みによって人類が昇華するためのマスターピースが揃った。人類は道具を必要とせずにテレパシーを用い、異なる所に同時に存在出来るようになり、飢餓や疫病、それらに付随する死そのものの克服を獲得した。
しかし、今回出現したHALはこのユニデウスから逸脱した存在だった。通常ユニデウスとの融合を図った人間は思考の仕方や行動といった人間性を主体とした存在として振舞っていた。だが、人間性とは人間が大人に成長する過程に身に付く素養である。これらの素養を身に付ける前である幼年期の人間には人間性が欠如していた。すると、ナノマシンと人間の均衡が崩れ始めてしまった。次第に自我を侵食していき、肉体も喰らい、最後に残ったのは人間とは似ても似つかない情報の獲得に囚われた怪物だけとなった。怪物にいまだにヒトとしての自我が残っているのかはわからない。
船体に寄生していたHALは~~~の娘(擦れていて読めない)であったと推測されている。徴候は確認されていなかったが、HALの蜂起の数日前から~~~の娘(擦れていて読めない)が部屋に引きこもっていたことが調べにより発覚している。
この報告書だが、もう上層部に送る必要もないようだ。書き記すことで事態の整理をしようと考えたが、あまり効果はないらしい。無線から聞こえてきた若い男性の情報と見つかった資料を照合しただけに過ぎないのだから。それに…報告と言ってもまだ事態は収拾の目途は経っていない。
仮眠を取ることにする。これが最後の眠りにならないことを祈る。


とある青年の記録
Grave(重々しく)
 引力を感じられるならば、それはどれだけ重いものなのだろう。当の昔に忘れてしまった星々の恩恵を懐かしみながら青年は孤独に想う。引力は星々が互いに想いあう絆そのものだった。遠い昔に果実が地上に落ちたその瞬間、それを見た学者が星々にも同じ作用があることを知ったという。彼は人間で初めて知ったのだ。星々が惹かれあっているのだと。それはあたかも運命で定まっているかのように惹かれあう星々。
 青年は寂しく想う。全ての物体が引かれあうのに、どうして僕は惹かれあわないのか。消えてしまった引力を深く想う。
 青年には互いに惹き合う引力など感じられなかった。感じるのは重くのしかかる心の重力。その重力は心の枷そのものだった。独りよがりの枷。
 青年はうれしく想う。心の枷による苦痛は生きている証なのだと。青年は生に囚われた奴隷だった。そして、その枷は重く淀んだ生への糧になってしまっていた。
 それでもやはり、青年は懐かしく想う。重力の重みより、引力の重みを。惹かれたい。何者かと。そして惹きたい。何者かを。

Risoluto(決然と)
 狭いコックピットの中、青年はナイーブになった心を𠮟咤する。まだ何もしていないのにどうして性急に結果を出そうとするんだ。まだ惹き合う力が弱いだけかもしれない、と。微力すぎて感じられない力だとしても、己が近づけばそれは大きな力となりえる。全知全能の神などいようはずもない。なら足掻けるなら足掻いて見せよう。
 青年は操縦桿の横に置かれたホログラムを指で弾く。弾かれた指によって像がブレたホログラムが元の形に戻ろうと揺らいでいる。温かくもない、かえって冷たいわけでもない無機質な揺らぎが像を結ぶ。それは青年と一人の少女の立像だった。年端もいかないような大きなリボンの髪留めをした少女が青年と手をつなぎ、気恥ずかしそうにうつむいている。しかし、髪の間からのぞかせている表情からは嬉しさのような感情が伺える。そして、もう片方の手は青年が贈ったリボンの髪留めを撫でつけている。
 もし引力が残っているのならば、彼女と惹かれあいたい。こんな状況でその願いは欲深いだろうか。そう考えて、青年は思わず失笑してしまう。引力が感じられないんだ。なら誰も何も文句など言えないだろう。死人に口なしだ。

 Tranquillo(静かに)
 エンジンを止めた。そのとき青年は宇宙に漂う瓦礫そのものになった。エンジンの止まった機体からは光が消え、唸るような音をあげていたレーダーも鳴りを潜めてしまった。でもそれでよかった。エンジンの駆動音は奴に気取られるかもしれない。しかし、エンジンさえ止めてしまえば、この小さな機体は戦いの残骸と遜色が無くなる。
 残った推進力に身を任せ、青年は進んでいく。少女が乗っていたであろうあの船に。皆を屠っていったあの船に。
 
 手に持たれていたのは貧弱なハンドガンだけだった。戦闘機乗りが重装備を携行しているはずもなく、元々その9mm パラベラム弾の入った銃はその性能に似合った働きしか期待されていなかった。しかし、青年はグリップを握るたびに熱い潮流のようなものが感じられる気がした。細波の立たない海面の奥深くに流れる海流のように力強い可能性を感じた。
 ハンドガンを腰のホルスターに入れ、青年はハッチ内に降りる。天井からは漏電した電線が青白い光を発し、電気が床に溜まった水たまりを舐めるようにうねっている。ハッチの中央はがらんどうだったが、左右の壁面沿いにはタラップや荷台が無造作に寄りかかっていた。よほど激しい運航をしたのだろう。強靭に作られたはずの壁面は大きくひしゃげ、打ち付けられた戦闘機の残骸が中央からぽっきりと折れてしまっている。
 しかし、とても静かだった。内部に潜り込む際も荒事は一切なく、今も船内は静寂に包まれていた。荒々しい光景と気味の悪ささえ覚えるような静寂。青年にとって気取られていないのは好都合なはずなのに、脳が警鐘を鳴らしている。

 青年が遠巻きに見たあの戦いは過去に人類の関わったどの戦いよりもひどいものだった。大義がことごとく踏みにじられ、抵抗もむなしく発せられた絶望の光。あの戦いを起こした船が今、一人の青年の侵入を許している。それが何より不気味だった。
 
 ドアの開ききった廊下を進んでいく。船内の小部屋はそのほとんどが開け放たれていて、まるでミキサーを蓋の開いたまま使用したような、そんな散らかりようだった。
もはや形式的になっていったクリアリングをし、一人の少女の姿を探す。少女のことを考えると思い出してしまう。恥ずかしくってそっぽを向いてしまう少女、しかし一つ一つの仕草が喜んでいることを簡単に悟られてしまう、そんな愛らしい少女を。

morendo(儚く)
既にほとんどの部屋を調べてしまった。ハッチ手前の部屋からしらみつぶしに探していたが、生存者の痕跡は一つも見られなかった。あるのは以前は思入れの品だったであろう、今はただのガラクタになった無数の瓦礫だけ。
焦燥感が汗となり額を舐める。握られた銃のグリップが湿っていく。眼前の壁にはいかにも仰々しい金の装飾に彩られた札が下げられていて、そこには「指令室」と記されている。
ここだ。ここにあいつがいる。あの大量虐殺を嬉々として行ったバケモノが。
先の戦いの少し前、戦闘員を収容したホールで行われたブリーフィングの内容を思い出す。バケモノは人を取り込み、その情報を糧として進化していく。最初はどんなバイオホラーだと笑ってしまったものだったが、今はもう笑えなかった。人の気配のないこの船室がここで何が行われたのかを暗に物語っている。
開ききった指令室のドアをくぐるようにして抜ける。今はもう引力しか信じられなかった。あるかどうか分からない、そんな虚像の力にすがるしかなかった。

「ネェ」
意味のある音が紡がれた。その音は肉声とはいえない電話越しの声のような、そんな電子音だった。振動する空気が鼓膜を伝う。その振動を感じ取った瞬間、脳さえも同時に震えてしまうような眩暈を覚える。バケモノに見つかってしまった。しかし、その眩暈は発見により引き起こされたものではなかった。
聞き覚えのある音。電子音に置き換わっているが確かに慣れ親しんだ声色。信じたくなかった、受け入れたくなかった現実。それが目の前に居た。
見覚えのある真っ赤なリボンだった。胴体から無造作に飛び出たそれは、自分の主人だったものに惰性でくっ付いているかのように垂れ下がっている。バケモノはそのリボンを触腕で撫でつけるかのように弄っていた。そう、ちょうど少女がやっていたように。
「アァ、ヤッパリ、アナタダッタノネ」
紛い物の音が青年に投げられる。だがそんなものどう受け取ればいいのか、青年には分からなかった。
「コッチニクルノ、ズゥット、マッテタヨ」
こんなことになるのなら引力なんて信じなければよかった。
「ゴメンネ、チョット、チラカッテッテ」
痙攣した声帯が言うべき言葉を紡ごうとするが、ヒューヒューという空鳴りだけが響く。
「ドウシタノ、カオイロ、ワルイヨ?」
もうやめてくれ。返してくれ。
涙と鼻水が顔を覆って視界が揺らぐ。しかし、少女のリボンの鮮やかさだけが滲みながらも目の裏に焼き付いていく。
「~~~」
青年は名前を呼ばれた気がした。その瞬間、青年の中の何か、決定的なタガが外れてしまった。

これまでのあらゆる想いを乗せて哮りあげる。その想いに呼応するかのように手の中にあった銃も複数の咆哮をあげる。寂しかった、そしてうれしかった想いがないまぜになった哮り。一発一発がリボンを、そして引力を断ち切ろうを撃ち込まれる。

そしてまた静寂が訪れる。

硝煙の匂いが鼻についた。全弾打ち切ったハンドガンのスライドが開ききっており、床には金色に光る想いの空薬きょうが散らばっている。撃ち切ったはずのハンドガンがひどく重く感じ、力なく床に捨て置く。
青年は空っぽだった。全て出し切った青年の心には質量などありはしなかった。そんな心にはもう引力なんて働くはずもなかった。
膝に入っていた力がすとんと抜ける感覚が襲う。もう体力の限界だった。気力で何とか持っていたが、その気力も消え去ってしまった。次に消え去るのは体の方か、とうっすらとしてきた意識の中で思った。

「痛い」


青年は無我夢中で船内の廊下を走っていた。青年を支配していたのは恐怖と贖罪。おぼつかなくなった足により何度も転びかけたが、そのたびに這うようにして指令室から遠ざかろうとする。食道が痙攣を起こし、嗚咽が止まらない。それでも手足をじたばたと動かしながら指令室から遠ざかる。
後ろを振り返ることは叶わなかった。振り返ってしまえば逃げ出した罪とまた対面してしまうような気がした。そうなれば、青年はもう終わりだった。


「痛い」
忘れることのないあの声。それは電子音のような紛い物のそれではない、聞き覚えのある声そのものだった。虚無感に覆いつくされていた青年は硝煙の煙を切るかのように頭を上げ、声の方を凝視する。
そこには銃創によってぼろぼろになった赤いリボンを力なく握る少女の腕があった。バケモノの体から伸びた華奢な腕は焦げ跡のついたリボンを握り、消え入りそうな少女の声でもう一度、
「痛い…」
という。


perdendosi(消えるように)
重くのしかかる重力が心地よく感じる。青年は確かに惹かれあう力を見た。しかし、その力は青年の信じたものとは決定的に異なっていた。慣れ親しんだ狭いコックピットの中、青年は想う。自分のした愚かしい行動を。
肉体など魂を纏う入れ物に過ぎなかったのだ。そんな即物的なことに惑わされ、牙を剥いてしまった自分を責める。
いまだに少女との引力を感じる。それほど近くに感じてしまっている。青年はもう逃げられない。少女を撃ち、繋がりを断ち切ろうとした贖罪からは、決して逃れられない。
青年は無線のマイクをとる。
「どなたか…聞いていますか?お願いです。どなかた聞いていてください…」
顔の見えない誰かに懺悔する。繋がりを欲した青年が決して切れない繋がりを切ろうともがく。
「お願いです…。誰か僕の話を聞いてください。僕に起こったことを。何が起こったかを…。それだけでいいんです」
スピーカーからはノイズしか聞こえない。しかし、青年はぽつぽつと語っていく。青年の体験を。そして、青年の贖罪を。


クォ・ヴァディス・ドミネ(主よ、どこへいくのか)
 「クォ・ヴァディス・ドミネ…」
 かつては黄金色の十字架が刷られ、きれいな装丁であったであろう聖書が机の上にぽつんと置かれていた。燭台からの灯りが聖書の表紙を照らすが、今はもう微かに十字架型の残りがあるだけに留まる。あまりにも物悲しいが、誰も、何も、する手立てなどない。敬虔な信徒はそれでも問う。
 「クォ・ヴァディス・ドミネ…」
 燭台の灯りなどたかが知れている。灯りの届かない、暗い部屋の一角にその問いは沈んでいく。

 「この迷える子羊に、どうか救いを与えてください」
 多くの人間がこの戦いの中で祈っていた。信仰者だけでなく、非信仰者も、はたまた神に対して蒙昧な子どもでさえも祈りを捧げていた。だが、神は誰にも手を差し伸べることはなかった。
とある狂人は死こそ救済である、といったようだ。しかし、この戦いはその死でさえ踏みにじられた。死んだ者は取り込まれ、体の隅々まで嬲られ、消えていく。こんな最後に救いなどありはしないだろう。
だけれども、人類にとって一つの救済があるとするならば、それは過去のどの戦争よりも人として誠実であったことではないか。
生者は死者を英雄視する。
死人に口なしとはよく言ったものだ。生者は死者の墓を暴き、それを奉ることを繰り返してきた。あいつのおかげで、あの方の犠牲で、私たちは勝てたのだ、と。それは生者のエゴに他ならなく、しかし、誰も文句など言わなかった。死人に口なしなのだから。
この戦いには英雄などいなかった。それに英雄を祀り上げる者もいなかった。誰も業を重ねることなく消えていった。何者も救われることのない救い。

その日、人々の中での神は消えてしまった。誰も主の行き先を尋ねることはなくなってしまった。人の残した旧世界は途絶えた。神を信仰する人はいなくなってしまった。あるのは意味を失った遺物のみ。

窓辺から朝の斜光が机の上の聖書を照らす。しかし、もう聖書の表紙には何も描かれていなかった。装丁も十字架も、何も。
この朝日はとても眩しかった。誰の瞳孔も刺激することはないが、眩しい晴れ晴れとした朝だった。Brand-new parabellumが終わり、Brand-new worldが始まった。


あとがき

SFはサイエンスフィクションの約です。もちろんそんなことは多くの人が知っていますし何をいまさらと思うかも入れません。ではサイエンスとは何でしょう。サイエンスは科学のことだろうと皆さん考えることでしょう。じゃあ科学とは何か?哲学的に突き詰めていきましょう。
古代ギリシアにおいてとある偉人が秘密教団をつくりました。みんな大好きピタゴラスさんですね。ピタゴラス教団は世の中の数々の不可解な事柄を「数」で解明しようと試みました。つまり、俗世とはまた違う霊的な世界を数を武器に探検していこうと考えたわけです。私が思う科学分野の始まりはこれです。人間がこれまで分からなかった世界、ギリシアなので神の世界と形容しましょう、この神の世界の事象を解明しようとしていたわけです。
その考えは次第に形を変え、中世ヨーロッパにおいて錬金術という分野に現れます。錬金術とは金、そして賢者の石という二つのミラクルな物質を意図的に作り出そうとした学問でした。今の観点から言うと、卑金属を金に換える物質を作ることなんて不可能ですし、やるだけ無駄だと考えられます。ですが、当時の学者はそうは思わなかった。神の御業として語り継がれてきた物質変換を実現しようとしていたわけです。
人間の探求は神の世界の探検から始まり、神の御業を体現しようとする過程を経ていたわけです。現在の科学力は凄まじい発展を見せ、世界各地に伝わる神話に出てくるローカルな神様が持っている能力と似たようなことは私たちもできるでしょう。念話や高速移動、大量殺害。これらと似ている、ないしは全く同じことが出来るようになっています。
つまり、科学、サイエンスは神のという概念とは切っても切り離せないのです。有名な科学者程神の存在を信じると言います。全く分からない事象に遭遇すると神の存在を感じざるを得ないそうです。いつの時代の科学者もそのように感じていたのでしょうね。
Brand new Parabellumですが神に関する表現が多く出てきます。神の世界の探検、そして神の御業の体現。その科学神話の系譜は現代も続いていますが、いつかその終わりが来てしまうでしょう。まさにこの小説はその科学神話の終わりの始まりを描きたかったのです。科学技術の発展した遠い未来で人間が遭遇する本当の神の領域、科学が長年突き詰めてきた神の世界がついに眼前に現れたとき、科学神話はいかような終焉を迎えるのか。
現代は汎用型AIの普及やAIシンギュラリティの過渡期にあると言えます。我々は本質的に神の影響を大きく受けている科学をこれからどのように扱うのか、しっかり見定めなければなりません。



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