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第7回「そいつ」11月❸

週一で、同じ映画を見る。ただそれだけ。
観る映画は「遊星からの物体X」、つまり「THE THING」です。

ルール

  1. 毎週1回「遊星からの物体X」をみる

  2. 毎週1回みて、気づいたことを書く

  3. 木曜または金曜の通勤時間で見る

  4. ネタバレとかは気にせず書く


基本は通勤中。ほぼほぼ電車内での視聴となる。デバイスはiPhone se(3G)。
イヤホンはAppleの有線イヤホン。
画面は小さく、音質も良好とは言えない。
製作陣が期待する映画館という環境からも程遠い。この点については留意。
あくまで「通勤中のiPhoneでの体験」という狭苦しい体験ということは気をつけないといけないかもしれない。

第7回目 11/18新幹線

前回からの道のり

(前回の記録からわたし自身の変化)

11/13
仕事後、映画を見る会に参加。数ヶ月前より友人に誘われ参加している会だ。自分とは異なり、映画に詳しい人ばかり。いつも面白い映画をチョイスされているし、仕事後の鬱状態の僕でも優しい方々が受け入れてくれて、なんとか楽しい時間を過ごせた。
観たのはダグラスサークの「天はすべてを許し給う」。素晴らしくて胸が掻き乱れる。
ザ・テクニカラーと言わんばかりの色使いと、泣いちまうキャメラワークと情緒不安定な劇伴音楽。部屋の隅ってそんな暗いの?ってくらい、不安と影が顔を覆い込む。前回載せたかつての映画が魅せてくれる夜の美しさが詰まってるように思う。
映画の衰退期にテレビには負けへんで〜っていう挿話があって、不覚にもそれが1番残酷なシーンで、完全に気持ち掻き乱された。

11/14
前回の流れで調べてるうちに蓮實重彦氏が担当していた映画コラムのなかでジョンカペについて取り上げたのを見つけた。ネットで思わず中古で注文。当時公開が始まった「ザ・ウォード監禁病棟」についてであった。
批評のタイトルは「この監督の演出の繊細さは、ことによると二十一世紀にはすぎた贅沢かもしれない」、という先日引用したニューヨーク1997とは打って変わって、絶賛。実際、冒頭の逃走から監禁までの演出の面白さは、世の中でもうすこし評価されてもいいと個人的なは思う。
この映画の主題を、監禁では無く変身であると断言するのは納得。ジョンカペは、映画の中にいつも変身を求めている。
クリスティーンはその最たるものかも。

11/15
ジョンカペの「グッバイベイビー(2006)」をみる。60分の短め。先日見た「世界の終わり」同様、マスターオブホラーというシリーズの一環で、要はホラー監督レジェンドを集めて、60分で撮らせてみようというシリーズ。2000年以降のジョンカペ作品は以下の通り。
「ゴーストオブマーズ(2001)」
「世界の終わり(2005)」
「グッバイベイビー(2006)」
「ザ・ウォード監禁病棟(2011)」
実際、グッバイベイビーを観ると、かなりザ・ウォードと重なる部分も多く、むしろザ・ウォードの際にブラッシュアップして帰ってきた部分も散見される。
しかしグッバイベイビーは面白くないのかというとそんな事は全くない。
60分という時間の中で、サスペンスとバイオレンスのバランスがとにかく秀逸。最悪なバイオレンスをどうやって写さずに完結するか、まで素晴らしい。
ツッコミどころはあるものの、ジョンカペの技量みたいなものを突きけられる。
ここまで書きながら気づいたのだが、遊星からの物体Xは走るシーンが少なく、廊下を走るシーンが2、3回くらいだろうか。追いかけたり、事件に間に合うように走るけど、走って逃げる人間は少ない。
理由は、密室、行き止まり、という「逃走不可」という空間のストーリーだからだろう。
個人的にはウインドウスが廊下を走るシーン。
逃げ出したいが逃げ場のないウインドウスは行き止まりのライフルを取りに逃げる。彼はどうせ銃など撃てない人間なのに。
前述の蓮實重彦のウォード評でも廊下にキャメラを向けただけで活劇性を生むジョンカペを褒めていた。
なにはともあれ、エスケープフロムシリーズ、ザウォード、スターマン、など逃走のジョンカペ、面白いなと思う。

11/16
「関東無宿(1963)」を久しぶりに観る。清順はやっぱり面白いな。どの時期が、キレキレの清順なのか、というのは人によってだいぶ違いそう。本記録としては、遊星からの物体Xと比較のために面白い要素を挙げたいが、自分の知識では難しいので諦める。
一つ思ったのは、窓から見える夜、闇。これこそ前回記録で取り上げた映画の夜だと思う。窓からの雪景色、芒、そこに当たる光。

11/17
前回の英語字幕のうち、パーマーのセリフを翻訳していたが、el captainではなく、el capitanだと気づく。打ち間違えていた。
el capitanというと、アメリカのヨセミテの一枚岩。一枚岩って、そういう堅物っていう慣用句なのか、それとも語源の「族長」から来るように西部劇の時代を思わせる意味なのか…。ちょっとわからない。

11/18
お笑い芸人、銀矢倉を見たいがために1人で大阪に行く。ひとり旅だなんてダメ亭主だなと思いつつ、欲望に勝てず。昼公演が終わり、夜公演を待つ間、大阪の中古dvdを回るものの、お手頃なめぼしい映画を見つけられず。しかも昼飯すら食いたいものを見つけられない。夜公演の10分前、かに道楽の前にあるファミマに入り、30円引きのカニカママヨおむすびと缶ビールにありつく。巨大なカニの写真を撮る人混みのなか、マヨネーズだらけのカニカマが手から落ちそうになる。ちょっと前まで元気やったんやねぇ…。情けなくなったついでに、さっきのコンビニで缶ビールを買おうとした時、年齢確認を初めて受けたことを思い出す。35歳の免許証をみるってどんな気持ちなんだろうか。
帽子かぶってマスクしてたからかな。「俺が感染してたとして、誰が見分けられるんだ」

日本語吹替での物体X

帰りの新幹線で遊星からの物体Xを見る。
もちろん全部は見れないので、残り半分は自宅で。
今回は日本語吹替(U-NEXT)で鑑賞。
わざわざU-NEXTと書いたのは、日本語吹替はいろいろなバージョンがあるため。
DVDで見れる日本語吹替バージョンはフジテレビでのリピート放送の内容で入っているらしい。
テレビ放送の映画は、よく「ノーカット」って出ますけど、つまり結構カットしてるんですよね。つまり、テレビ局の確保できる尺時間にあわせて、勝手にシーンを削ったりしてる。
で、DVDに入ってる吹替は、上記の通り、勝手にシーンが削られてる。
これが問題だということで、Netflixでは削除された部分を追加録音して補完している。
じゃあ、U-NEXTはどうか、というと、
しっかり削られてる

要らないはずないじゃないか

実際どのくらい削除されているかというと…
字幕版:1時間48分
吹替番:1時間39分

約10分。細かい削除シーンはあげたらキリがないんだけど、あ〜ってなってしまった削除シーンは下記の通り

①冒頭のヘリコプターが無く、ノルウェー人のアップから始まる。ヘリと犬の掛け合いが短い。
②チャイルズの雪上車整備、娯楽室のみんなの団欒がない。
③犬が廊下を歩くシーンはあるが、人影のある部屋に犬が入ってくシーンだけがない(ドアの前に佇む)
④物体Xを持ち帰って、開くシーンが短い。
⑤持ち帰った物体Xの解剖シーンが短い
⑥犬の変身シーンで、目玉が出てきたり、食虫植物みたいなキモ造形がないため、チャイルズが躊躇する感じもないし、みんながビビってる感じが短い
⑦犬THINGの解剖シーンが短く、でっかい鳥の骨みたいなのをなかから引っ張り出すのがない。
⑧ベニングスが逃げる時にサイレンが鳴ってない
⑨ギャリーが泣きそうになりながら、ベニングスを燃やそうとしてるマクレディを止めるシーンがまるまる削除。
⑩フュークスの実験室にマクレディが顔をださない、すぐに停電になる
11、ノリスTHINGが全体的に短い
12、パーマーTHINGの頭割れなし
13、動力室の階段とか若干省路
14、ラスボス短め

全体的にTHINGのキモいシーンが短めになっている。テレビだから仕方がないけど、そこが面白いとこではあるし、難しいなー

ギャリーの葛藤シーンがないのは、第一回で書いた主導権の物語としての面白さが激減。

吹替翻訳vs

前回の第6回で日本語字幕の検証をしてみました。せっかくなので吹替翻訳も比較してみたい。
字幕と吹替の違いをいったんまとめてみる
◼️字幕
・本来の役者の演技やセリフ回しを聞きながら意味を理解できる
・ただし発話時間にたいして表示できる文字数は限られているため、取捨選択が求められる
◼️吹替
・口が動いている間は発話できるので、字幕より長めのセリフにできる。よって情報量が増える。(なんなら背中見せてる時間もこれはチャンスとセリフが増える)
・本来の役者とは違う声で聞かないといけない。
・英語の声を消すため、BGMや効果音、声など音のバランスが変わる

という事で実際の吹替vs字幕vs原文を比較。

●ノルウェー人を撃った後にパーマーがギャリーへ
(吹替)
腰からピストルぶら下げた男が南極に来たが、バカじゃなかったわけだ

(字幕)
さすがは元大尉だ、拳銃の腕は確かだった
(原文)
I was wandering when el Captain was gonna get a chanse to use his popgun.
→大尉殿がそのエアガンを披露する時があるのかなって気になってたんだ

(吹替のパーマー、バカにしすぎじゃないか?一応年上の隊長だぞ…)


●フュークスに雪上車で相談されるシーン
(吹替)
先生を呼べ 隊長を連れてブレアの部屋へいく

(字幕)
ドクを呼べ、ブレアの部屋へ
(原文)
Go get the Doc. I'll get Garry.We'll meet in Blair's room.
ドクを呼べ、俺はギャリーを。ブレアの部屋で落ち合おう。

(これは吹替の方は原文に近い)


●カセットテープに録音するマクレディ
(吹替)
ウインドウスが裂けた作業着を見つけたが名前は切り取ってあった

(字幕)
名のない下着の切れ端が落ちてた

(原文)
One other thing,I think it rips through your clothes when it takes you over. Windows found some shredded long johns, but the name tag was missing.
→もう一つ、変身する時は服が破かれるみたいなんだ。名前のタグが外された長ズボンをウインドウスが見つけた。

(これも吹替は原文に近い。字幕はどうしても名前を省きたいという前回の取り上げた内容の裏付け。)


●血液テストをすることになって、ブレアにするよう提案するフュークス
(吹替)
ブレアは必要だろう、生物学者なんだ

(字幕) 
ブレアに検査をすれば一発で…
(原文) 
Mac, we need Blairs help.
He's the only one who knows this organism. 
→マック、ブレアの助けが必要だよ。
彼が唯一奴の生態を理解してる!

(吹替の方が原文に近い。考えてみると、一発で…何がわかると言いたいのか)

●ドックを縛り、テストを考えろと指示されたフュークスの返事
(吹替)
先生の助けがいる

(字幕)
考えとく
(原文) 
I need Doc's help.
→ドックの助けがないと!
(吹替は原文に近い、字幕はどうしても自信のなさが薄い。謎の余裕ぶりが感じられる)

●フュークスの焼死体を見つけた時に、ノールズの発言。

(吹替)
ブレアだ、見破られたんで殺したんだ

(字幕)
ブレアだ!多分奴が
(原文)
Flare. Maybe he tried to burn it
→発煙筒だ!きっとこれで焼こうとしたんだ!

(ちょっと次項で検討。)

疑心暗鬼はなく、ブレア一択

吹替もブレアになってしまってる…、そうなると考えられるのは3択かと思った。
①吹替と字幕、どちらも同じ翻訳家が担当
②吹替か字幕、どちらか後に作った方が、先に作った翻訳を真似した
③もらった英語台本が間違っていた

①は違うと思う。理由は、字幕の方でニュアンスを付け足している箇所「ブレアに検査をすれば一発で…」という、個人的な解釈があるけど、長いセリフが言える吹替でこの解釈を挟んでいない…というのは不思議だから。
文字数が少ないとしても、ブレアの助けが欲しい…ということくらい吹替でも字幕でも入れれるはず。
②もあり得るけど…、③な気がしてる。
英語の台本いわゆるスクリプトとかは、聞き取りして書き出したものを貰うらしいし、それがテキトウだったのかな…。あまり粗探しはしたくないから深掘りしない(できない)。

削られた10分、失われた役者たちの声、変容する名前のない翻訳者

こうやって見てしまうと、英語で見ているネイティヴと全く異なる映画体験をしていることに気づく。
10分間の中に詰まったサスペンス、そして一人一人の心模様が、テレビサイズにするために削られてしまったし、役者の声が聞けないと言うのは結構寂しいなと思った。(もちろん声優、吹替という文化自体はめちゃくちゃ面白い文化だと思っている)
かといってカートラッセルの生の声が聞ける字幕の方が優れているかと言うと、そんなわけでも無く、必ずそこには翻訳者の意思が内在する。ジョンカペ率いる映画クルーの意思を捉えて、文字数内で表現をする。
どうやっても英語話者の体験とは離れていくものなのだなと再認識。でも、それって悪いことばかりか?

多和田葉子の「エクソフォニー」から翻訳について少し引用。

訳者は絶えず決断を迫られ、一つ決断するたびに少し血が流れる。
翻訳者は傷をむき出しにして走る長距離走者のようなものかもしれない。
走る方は辛いが、観客にとって傷を指さすことは簡単だ。

エクソフォニー

字幕を担当された翻訳家さんの氏名は公表されていない。この方も傷を負いながら、遊星からの物体Xを作り上げたわけだ。それを誤訳と指差すことは簡単だが、そもそもその翻訳がなければ僕たちはこの映画を観れない。僕たちは自分で、生の作品を噛み砕く歯もないから、代わりに傷ついてくれてるわけだ。

そういえば、翻訳、または多言語話者としてのテーマが多い多和田葉子には「文字移植(旧:アルファベットの傷口)」という物語があった。外国語文学の短編を翻訳する小説家の物語だったと思う。彼女はその2ページを翻訳する間の中で、彼女自身が言葉と一緒に変容していく物語だった。

この映画を翻訳することで変容する翻訳家、そして翻訳を通して変容する作品、その変容した作品に触れることで変容する観客。
モゾモゾと形を変え続ける物体Xの連鎖、これが面白いと思う。
僕自身が英語でそのまま理解できるようになったとて、この最初の体験は消し去らない。また変わり続ける。
そうか、せっかくならいろんな言語に翻訳された物体Xも観てみたくなってきた。
例えば、ドイツ語ではどんな表現になるのか。字幕が読めなくても、ドイツ語の吹替なら、どんな声優が担当して、どんな口調で…などなど。

来週に向けて

  • 0.5倍速

  • 久しぶりの吹替で。

  • 音無し鑑賞。

  • 光の赤、光の青、昼の白を考える

  • 顔、そして視線

  • マップ使いながら視聴

  • カメラの位置

  • BGMの特定

  • それぞれのヤられ方

  • 別の言語の字幕/吹替

    無理だったら普通に楽しむ。好きな映画のいいところは、普通に楽しめること。

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