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「#08」あっけないポル・ポト派の敗北

みなさま、こんにちは。カンボジアシヌークビル在住のそくあんです。
前回のあらすじはこちら。


「信じた勝利への戦い」

あっけない敗北だった


1979年1月、軍事トラックに乗ったベトナムの兵士がカンボジアに侵攻してきた時、ポル・ポト派はこの戦いに必ず勝てると信じていたそうです。
クメール・ルージュの兵士も銃撃戦に参加をしますが、戦闘するには人数が足らず父もベトナムの兵士を撃つように命令をされます。
非情にも目の前の人々を容赦なく撃ち殺す父親とその仲間たち。
激しい銃撃戦が繰り広げられる中、ベトナムの兵士の数と銃の優位性が大きすぎて、クメールルージュはあっけなく敗北しました。

銃と食料が底をついてしまったため、父親は生き延びるためにタイ国境に向かう決断をしました。日が晴れていようが雨の日であろうが、父親は名もない密林を何か月も歩き続けます。さらに深い密林に辿り着くと、そこには数え切れない遺体が横たわっていました。
栄養失調によってやせ細り、衰弱した人々や腹を膨らませている人々、病気に冒された人々を横目に、父は道なき道をひたすら歩きました。
私たちは遺体の腐敗臭がどれほどのものかを想像できないと思います。

空腹に耐えながらも密林で自生している木々の果実や植物、田んぼに生息するカニやタニシを捕まえることができましたし、近くには川もあり、魚を捕ま飢えをしのぎます。
空腹の極限状態の時、人体さえも食べることを考えたと父親は涙ぐみながら私に話してくれました。

このように、父親と仲間たちは食料がない中で密林の資源を利用し、生き延びる努力をしました。この厳しい状況の中、クメール・ルージュの兵士にも人情と優しさが戻ってきたと言われています

クメール・ルージュと共にタイへ逃げる


道なき道を歩くと、四方八方から人々がこちらに向かって歩く姿が見えました。彼らの表情には苦労と不安がにじみ出ており、父親に期待している様子でした。土の中に埋めた爆薬を踏む危険があるために慎重に森の中を歩かなくてはいけません地雷原の存在を心配し、バラバラに歩かず団体行動を心掛けるようにと元クメール・ルージュの兵士が教えてくれます

父親を含む総勢30人ほどで、国外へ脱出するためにタイ国境を目指すことにしましたが一歩間違えれば不法侵入とみなされ危険な状況です。
その中で、1人の仲間がコンパス磁石を使ってタイ難民キャンプまでの行き方を調べ誘導してくれることになったのです。
父親とともに行動したのはほとんどが男性で、女性や子供の姿は見当たらなかったようです。

難民キャンプへの一瞥-いちべつ-


あっけなく敗北したとは言え、国内はまだ内戦状態であり、特にタイ国境付近ではポルポト派の勢力が強く残っており、ゲリラや強盗の襲撃に恐怖心が残ります。
父親は1979年1月から秋ごろまでひたすら歩き続けたという記憶があります。暑さや疲労、空腹と戦いながら生き延びることだけを考えました。
タイ国境に近づくにつれて、いたるところに人の姿が見えました。

国境を越え、難民キャンプにたどり着くと、そこには白いテントが立ち並び、多くのボランティア団体が活動していました。父親が目にした光景は、言葉にできないほど衝撃的だったようです。骨が浮き出た人々、悪臭漂う環境、魂を奪われたような表情。その中には、本来なら優先的に治療を受けるべき赤ちゃんや高齢者もいましたが、多くの人々が命を落としてしまったのです。父親は数週間をその場所で過ごしました。

健康診断が終わると、UNHCRの職員と大型バスがやってきて、そこにいる難民たちを乗せて別の場所へ移動させました。元クメール・ルージュの兵士たちも一緒です。移動先のサイトに着くと、簡易的な住居が用意され、お米や水、食料の配給手続きをします。
出生証明書は内戦の混乱のため所持していませんでしたが、配給の為の身分証明書の発行申請手続きは行うことはできました。
この時点では、まだ日本への定住が決まっておらず、しばらくは難民キャンプでの生活が始まったのです。

家や学校、お寺を自分たちで作ります。

竹で難民の家づくりをします




次章- ポル・ポト時代に翻弄されながらも、逞しく生きた母-


父親の実話に基づいて書いてます。

なぜ私が日本を離れてカンボジアのシアヌークビルに移住したのかに興味を持ってくれる方、将来の海外移住を考えている方や子供の教育について考えている方、またはカンボジア全般に興味がある方は、ぜひ私のnoteをフォローしてくださいね。

最後まで読んでくれてありがとうございます☺

SOKOEUN

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カンボジア、時に日本。 知らない世界を学ぶのが好き。カンボジア南部海辺街のシアヌークビルで暮らしてます。旅行本にはけして載らない情報を発信できるようにします。 珈琲一杯分で結構ですので、皆様の暖かいサポートをお待ちしております。