教育の成果をどこにみる?|30年後の小清水町のサッカー熱は今もすごい!
34年前に私が新卒教員として過ごした小清水町は、現在人口4500ほどの過疎の町です。
しかし、人は元気です。(あっ、そうそう、現在開催中の北京冬季オリンピックに女子スピードスケート(マスタード)日本代表として出場しましたね。)
教育の成果って、学力が高いとかそう言うことだけではなく、
人生をよりよく生き続ける力
人と繋がり喜びを広げていく力
自分を癒し他人を励ませる力
つまり
自分や周りを幸せにすることができる力を育てること
であると個人的には思っています。
このような力を「心の根っこ」として太く育てることこそ教育の大事な使命であると考えてきました。
教育に力を入れてきた小清水町
私は小清水町をスタートに、鵡川町(現むかわ町)旭川市と3つの自治体で
1つの小学校4つの中学校に勤務してきました。
その中で、ダントツで教育に力を入れていた!
そう感じたのが小清水町です。
具体的に力の入れ方が他の自治体よりも熱いのは以下の3点。(思いっきり私の主観ですよ)
①予算が潤沢
過疎の自治体は自主財源が少なく、財源の台所事情は決して楽であったとは言えなかったはずです。
しかし、教育予算は潤沢でした。
他市町村からきた先生方は口々に、
「こんなにお金を教育にかける町はない」と言っていました。
新採用の私には、これが当たり前だと思っていましたが。
こうして34年教員をやっていると、やはりナンバーワン感は小清水町ですね
②給食が美味しい(地産地消・食の安全にいち早く取り組んでいた)
食育が今でこそもてはやされていますが、その考え方を取り入れていました。私が勤めていた水上小学校は全校児童20名の小さな小学校なのですが、ランチルームがあり、一堂が介して食事を取っていました。
手巻き寿司が出たり、卒業時期には、ランチバイキングやリクエスト給食など、楽しみながら、栄養面を考えて食べる習慣を育てようと言う意思が感じられる給食でした。
当時小清水町内にあった、周辺の4校は全て廃校になり、全て小清水小学校に統合されています。
この小学校も一学年30人ほど。全校児童200ほどの小学校ですが、統合された新校舎では、明るいランチルームで全学年が一堂に介して給食を食べていると伺っています。
今も変わらず、素晴らしい食育がなされているのでしょう。
③良い先生を集めていた
教員あるあるですが、教育長の考え方、熱量が現場の指揮にも意外と影響を与えています。
なぜなら、できる教育長は「良い先生」を積極的に「採ってくる」からです。
行政ルートを通じての人事の水面下で「良い先生獲得」のための熱いバトルが行われています。
良い校長は自分の学校に良い先生を採用してもらえるように動きます。
良い教育長も積極的に動きます。
え?当たり前では?
なんて思いました?
実は、人によって全然違うんですよ。大きな声では言えませんが。(笑)
私が赴任した当時の教育長はいつも
「6年頑張れ!必ず、地元に帰してやるから!」
いつもそう言って励ましてくれる方でした。
有言実行の方で、諸先輩達その言葉通り、小清水町で頑張って希望の任地へ『卒業』していくのを目の当たりにしていたので、私も頑張ることができたのです。
ちなみに、教育長はその後町長となり、教育だけでなく町全体の発展に力を注いでいました。
人口は減っているのにオホーツク最大のサッカー少年団
私が赴任した34年前はJリーグの誕生前。
そんな中、町のサッカー好きの声が集結し、小清水町サッカー協会が誕生しました。
そのタイミングで社会人サッカーチームFCベーネが誕生します。
「ベーネ」とはイタリア語で「いいね」との意味。
ベーネはまさにいい感じで現在も成長し続けています。
私のような若い教員や役場職員、農協職員、農家などの若者が集まって週三回の練習に汗を流していました。
クリスマスイブにもボールを蹴りに集まる「サッカー狂」
その熱い思いは、人や夢を引き寄せ実現させてきました。
松本郁夫氏(栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー後援会現理事長。現役時代のポジションはFW。1968年メキシコシティーオリンピックのサッカー競技で銅メダルを獲得したサッカー日本代表の一人である。)や平川弘氏(サッカー解説者 若い頃から俊足フォワードとして名を馳せ、順天堂大学在籍時の1985年に日本代表に選出。同年のワールドカップ・メキシコ大会予選に参加。スーパーサブとして最終予選進出に貢献した。)を招いての講演会。
当時の日本リーグチームNKKの合宿誘致。
NKKには1970年代に活躍した元日本代表藤島信雄氏(現FCラヴィーダ、昌平高校コーチ、昌平高校藤島監督の実父)が在籍しており、サッカー教室を行なっていただいたり、練習へのアドバイスなどをいただきました。
そして、天然芝のサッカー場建設。
熱い思いを持った男達の夢は今も現在進行形です。
かつての教え子達は、今や指導者や保護者としてサッカーに関わり続けています。
3年前には、盛大な30周年式典に招待され旧交を温めてきました。
サッカー少年団は小清水FCベーネU12という形になり、ベーネは社会人をトップチームとするクラブチームに進化中。
しかも、小清水FCベーネU12は50人を超える人数です。
小学校は町に1つ。各学年30人程度しかいない小規模にも関わらず、この人数はオホーツクの中でトップクラスなのです。
34年前に起こった熱い思いは、今もこうして受け継がれ、発展しています。
費用対効果で教育を切り捨てていたら
小清水町は、34年前は人口7000人を超えていました。
しかし、現在は4500人。
数字だけを見たら、過疎化が進む町。
そう思われるかもしれません。
しかし、今紹介したように、小清水のサッカーは熱い!
それを支えているのは熱い志を持った人なんです!
もし、
お金がないから。
費用対効果が見られないから。
そんな経済効率の視点で教育を切り捨てていたら、
こんなにもサッカーを愛し、町を愛する人たちが育っていたでしょうか。
おそらく、町には残らず、他所へ出て行ったに違いありません。
そもそも日本全国のほとんどが過疎地域です。
北海道に至っては、約8割が過疎市町村です。
お金は人が幸せになるために使いまわさなければなりません。
そういう意味でいうと、教育にお金をかけてきた小清水町は正しいお金の使い方をしたといえるのではないでしょうか。
まとめ
教育は国家100年の大計といいます。
教育に力を入れた小清水町は過疎化の中でも、町を愛し、サッカーを愛する人たちの想いが脈々と受け継がれています。
教育にお金をかけることはこのように時間をかけてじわじわと効果が現れるのです。
※小清水についてのことは現在物語として執筆中。2月中にAmazonよりKindle電子書籍として出版します!
乞うご期待!!
※こちらは現在出版中です!人生をよりよく生きるための内省の技術についての本です。
※こちらは著作一覧です。
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