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”スピリチュアル”と依存心

現代の世間一般が想像するいわゆる”スピリチュアル”は、「ハマる」「依存」が未だキーワードになっているように思います。依存対象は人以外にも、石や占い、神や天使、宇宙、過去生、ヒーリング、宗教など多様で、偏って怪しいものだという認識も多いかもしれません。

私の実体験において、スピリチュアル要素を持つ様々なツールが本来の意図に沿って扱われている事実よりも怪しいという印象が比較的一般に周知されている理由の一つは、個人レベルに細分化して考えた時、”スピリチュアル”を求める人自身の依存心から生じるネガティブな事象が影響していると考えられます。

想像し易い「ハマる」例えとして、依存対象を人とします。人生が苦しくて救われたい時、心惹かれるメッセージ等を発信するカリスマ的存在やグル的存在と巡り合い、心の隙間にすっとフィットし、救われる感覚に「ハマって」行く流れが一つあります。この巡り合わせはその人自身の依存心が引き寄せたご縁であり、心の隙間を埋めてくれる存在を得たことで一時的に救われた感覚や幸福感などを感じることがあります。

(どの経験も自身の豊かさの糧となります。先々において損や悪などと判断される事象になったとしても、今回取り上げている依存心は自身の学びに有効な素材の一つと私は考えています。)

その後に何らかの癒しが起こり自己肯定感が育つなどの自己成長プロセスを経ることで、その存在への依存心が薄れゆき結果的に依存の関係性が満了する場合もあれば、自己成長プロセスを歩む機会を得ることなく長きに渡ってその依存対象との関係性が続く場合もあります。または対象を幾度と変えたりと、スピリチュアルジプシーに発展する場合もあります。また依存心という一つの愛の形は憎悪へと発展することも考えられ、被害者として自分を憐れむ時もあるだろうし、何らかの形で対象者を傷つけたいなどの加害的発想を抱き実行する日が来るかもしれません。

極端なようですが、いずれも自らが外に依存先を求めた先に起こり得る現実的な例え話です。

もし一旦立ち止まることができるなら、一時的に心の隙間を埋める依存先を掴もうとするよりも、依存心の根本要因と向き合い癒す方へと意識を向けてもらいたいと思います。その方が遠回りのようで大変近道です。

自分で自分を治癒する力を養う方が、幸せを叶えるには効率的で健康的です。

またヒーリングを用いたセッションを提供している立場として、「スピリチュアルにハマる」という感覚は、決して本来のスピリチュアルを体現してはいないと言いたい。私の考えるスピリチュアルは精神性を高め自分にとっての真の幸せを生きることに目覚め体現する生き方であり、提供しているヒーリングはあくまでもクライアントさん自身の自己治癒力を高め、自身と向き合い癒しを経て自己成長を進めるためのお助けツールです。

弱さは全ての人間がもちろん持っていて、何かや誰かに救いを求めて依存したくなる時はあります。そしてそれにより生じた依存関係は自身の学びに必要で起こることです。その時の想いは決して無駄にはなりません。実際に私も依存関係を経験し、その時の救われた感覚や安心感、敬意、そして対象への怒りや疑い、憎悪も経験しました。

その経験で得た教訓は、なぜその関係が自分に必要だと感じているかを自分に問うことです。どのような時もそうですが、自分になぜ?と聞いてあげることはとても大切です。

果たして本当に自分に必要か?なぜ、必要だと思っているのか?

自問自答を繰り返す毎に、自分の依存心の深部にほんの少しずつでも触れることができると思います。他者の助けがあるとそのプロセスはよりスムーズに進むのでそういったお手伝いをさせて頂いていますが、自己内省は必ずや自己成長へと繋がります。自己内省によって自分の中から答えを見出せた時、それまでの依存関係を感謝と共に成就し終えたり、その関係性が良い方向へと変化するなどして、次のステージへと進むことができます。

他者軸ではなく自分軸で、心の声を聞き、感じ、思考し、必要な協力と繋がりながら人生を自身の幸せに沿って創造していけるよう、自分の中に在る問題と向き合い解消していく。

自分の人生の中心は自分だということを決して手放さない。



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