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「愛」の会社が「愛」について語ろう

こんにちは。出張撮影サービス「ラブグラフ」CPOの吉村です。2年前から1年の締めくくりとして「ラブグラフ白書」というものを社内・ラブグラフカメラマンに公開しプレゼンテーションしています。今年は「愛」をテーマに、ラブグラフに纏わる愛の解釈と実態についてまとました。背景には、事業が圧倒的に成長している今、「世界中の愛をカタチに」という我々のミッションに立ち返り、向き合い、解釈を内観化していく必要性を感じたからです。本noteは完成した60Pに渡る白書の一部を公開するものです。

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0. はじめに: 本白書の目的

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出張撮影サービスを運営するラブグラフは、社名にもある通り「愛」をテーマにする会社だ。僕らはミッションに「世界中の愛をカタチに」を掲げ、抽象性が高いもの(愛)に具体性をもたせていく(カタチに)ことを使命としてプロダクトをデザインしている。抽象表現が高いテーマを扱うことは、ユーザ・社員に解釈の余地を残し、独特の世界観を演出することがプロダクト開発や施策立案における醍醐味になる。一方でこのミッションは雰囲気になりがちで、施策や思考が逸れた時に立ち返るツールや武器になりにくい。

さて、我々が考える「愛」とは一体なんだろうか?それを「カタチに」することがなぜ必要なのだろうか?その実態に本白書は迫っていく。

1. 愛とはなにか?を考える前に今の世の中について

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ラテン語の「いたるところに存在する」を語源とするユビキタスは、いつでも、どこでも、誰とでもインターネットを介在して繋がる社会のことであり、もはや無色透明の死語である。その背景には世界のデータ流通は増大し、ありとあらゆるものがアーカイブ(=記録)された時代に生きることを意味している。ユビキタスという概念が溶けた社会、一方で「人生100年時代」への突入。この2つを受容する上での「幸福論」は、自分が存在していることの意味や価値が失われていく・変化していくことを前提とし、記録から記憶への価値の変化は避けられない事実という仮説によって導かれていく。

2.記録から記憶への価値の変化


記録とは「二次情報:媒体が覚える」であり、記憶とは「一次情報:人間の頭や体が覚える」ことを指す。それぞれの価値は以下と定義づける。

- 記録の価値→目に見える情報(明示的情報)の最大化
- 記憶の価値→目に見えない情報(暗黙的情報)の量 / 目に見える情報(明示的情報)の量の最大化

記録の価値から記憶の価値の移り変わりは有為転変である。根拠は2つある。

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根拠(2)に関しては歴史の作られ方に帰属する。かつては、限られた数の明示的情報だけを集めて一国の歴史、社会の歴史が作られていた。それが個人の人生にとってリアリズムを持っていたが、現代の「全ての人間が自分の日記まで公開するような世界」になったら、そういう統一的な歴史は存在せず、究極には自分の思い出を頼ることしか、自分とは何ものであるか?がわからな時代に生きているのだ。

✓自分が存在する意味を見出しにくくなる
✓目に見える情報に価値がなくなりつつある
✓人は記録より記憶を大事にするようになる
暗黙的情報を求めるようになる

3. 目に見えない情報とは

暗黙的情報とはつまり「記憶・思い出」である。脳のメカニズムでは、それらは幸福を得るための手段として、自覚したもののうち10%程度の美化された情報としている。美化された情報=錯覚した暗黙的情報を持続的にもたらすこと(何かしらの処理を加えること)は、幸福・快楽を得るためである。

「暗黙的情報・形式的情報にどのような処理を加えるか」をまとめる。

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暗黙的情報とは前章における、記憶に紐付くものであり、それを形式的/暗黙的処理するかでアウトプットが異なる。ここでの解釈として、暗黙的情報とは記憶・思い出とした場合、以下の2つのどちらもが、暗黙的情報x形式的処理に該当する。

- 記憶(思い出)を作る
- 記憶を呼び出す記録を残す

失われやすい暗黙的情報ではなく、形式的情報(正確に元の情報を再生する)から暗黙的情報を得るための、保険のようなものとして、写真や日記といったものが存在する。

4. 愛とは、目に見えない力である

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You shall love your neighbor as yourself.

「愛」は異性を思う愛と子供を思う愛の二つにおおよそ帰着させることができる。異性を思う愛、フロイトの提唱するドーキンスの性衝動や利己的な遺伝子の仕業としての愛の解釈、子どもを思う愛にアガペー(神の人間に対する「愛」)を本資料では省略する※機会があったらアップデートしたい。

「子供を思う愛」とは「子供への愛の手段としての家族というあり方」である。その中で、家庭や家族の話と密接に結びついているのが思い出。家族というあり方そのものがコミュニケーションの手段であり、子供への愛を通して、幸福な暗黙的情報(記憶・思い出)を生み出し、それが家族のコミュニケーション作りの潤滑油となっている。

本性のまとめ:愛とは「幸福な暗黙的情報を生み出す」もしくは「それに変える」力である。人々は愛を本質的に求めている。

5. 「愛をカタチに」とは

ラブグラフにおける「カタチ」とは写真である。

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紙写真として写真を取る文化が普及してからは、戦争に行く夫と妻がお互いを忘れないために写真を持つ文化が浸透した。

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50年代の日本では、写真は「写真の中では報道写真がもっとも優れている」と考えられていた。70年代に入るとその写真神話が崩れ始め、写真作品は、それぞれの分野で進むべき方向についての模索を続け、全方向に拡散していく時代になった。写真が大衆化したときから写真の価値は変わっていなかった。ただスマートフォンの普及に従って、写真の枚数が天文学的な数増えていることから、写真の価値は希薄化している。

この写真の価値を取り戻す・伝道していくことこそが我々のミッションである。生き方や在り方みたいなものを目覚めさせるための写真を創ること、つまり、「愛をカタチに」とは、Lovegraphがあることで「今までカタチに残せなかった思い出を残せるようになる」ことこそを顧客に約束する。

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6. さいごに: 神話を作ろう 

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最後に。ラブグラフは「新しい神話」を創りたい。神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、神話とは「私たち個々の、生き方や在り方みたいなものを、目覚めさせてそれを維持するためのもの」と語っている。それは、本noteでまとめた、暗黙的情報を形式的処理、永遠に失われないものに変えていくことで達成できる。

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以上です。校正にあたってかなり削ぎ落としてしまっているためチグハグ・飛躍する部分は申し訳ないです。

「生き方や在り方みたいなものを、目覚めさせるための写真を創ること」をプロダクトを通して実現したい。このステートメントを掲げ、2020年もラブグラフがたくさんの人に届けられるよう、会社一同がんばっていきたいと思います。



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