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ヒーローになりたかった少年の唄2021⑰

旧字体と言霊

作詞をしていると、全く同じ言葉を漢字で書くのか、カタカナで書くのか、はたまたひらがなで書くのかによって、言葉の持つ意味や感じ方が全く違う場合が多いことに気づく。

更に英語表記だったり、漢字でも旧字体だったり、アテ字だったりと技術的には色々なやり方があって、それぞれに感じ方が全く異なるということで、作詞者としてはそこも結構腕の振るいどころになる場合が多い。

「愛してる」

「あいしてる」

「アイシテル」

この3つでは全く感じ方が違うだろう。

更に、

「アイシテル」

「ア・イ・シ・テ・ル」

とかでも、全く感じ方は違う。

そう考えると、表記の仕方というのは意外と奥の深いもので、歌にしてしまえば音は一緒にも関わらず、歌詞カードの表記の仕方でボーカリストとしても違った歌い方になるし、ひいては聴き手にもその意向がある程度ちゃんと伝わるものだったりする。

ここからは得意の陰謀論の世界に入っていくが、戦後GHQが日本の漢字の旧字体を常用漢字という新しいものに変換させたということがある。

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識字率をあげるために複雑な文字を単純化するという植民地教育の一環であるというのが表の理由ではあるが、これは各地の戦争記念館などに保管されている戦中の若者たちの手紙などを見ると、明らかに矛盾しているのがわかる。

彼ら未成年の戦士たちが母親に宛てた手紙など、今から見たらものすごい達筆であり、非常に難しい漢字や言い回しを普通に使いこなしていたわけで、これを優しい漢字に置き換えたところで教育的に発展するわけがない。

そこには実は漢字を陳腐化させて、漢字の持つパワー(言霊)を低下させ、日本がこの後また欧米社会に楯突くようなパワーを持たないようにしようという意図があったということが、まことしやかに囁かれていたりするのだ。

もちろんこれはいわゆる陰謀論であり、しっかりしたエビデンスに基づいた話ではない。

しかし、戦勝国の植民地統治の色々なやり方を見ていると、裏の裏にそういったオカルト的な思惑が実際にあったとしても、全く不思議ではないのだ。

こういうのは、錬金術や数秘術、占星術なんかと同じようなもので、一般に浸透していないだけで、世界を動かすくらいの立ち位置の存在は、明らかにそういうオカルトな側面をバッチリ有効利用する達人たちなのだ。

ということで、陰謀論やオカルトの嫌いな現実主義者は全く無視して、僕の超個人的なDreamer目線で話を進めよう。

旧字体から変えられてしまった代表的な漢字としては、「氣」と「気」などがある。

元氣(気)

病氣(気)

氣(気)持ち

など、「氣(気) 」というのはエネルギーを意味している。

 合氣道などの場合はやはり『氣』のほうを今でも使う。


「 氣 」と「 気 」の違いは中に入っているのが米なのか〆(しめる)なのか。

「 米 」という文字は八方に広がることを意味している。
そして日本人の本来の主食たるパワーの源は「米」なのだ。

アメリカは、この「氣」という字を「気」に変えろと言ったわけだ。

そういう背景で考えるからか、個人的には「気」のほうはさしずめマクドナルドみたいな感じに思えたりする(笑)

エネルギーは八方に広がってパワーを発揮する。
本来のエネルギーとしてあるべき字はやはり「 氣 」のほうであろう。

それを「 気 」というふうにすると、エネルギーを〆(しめる)となって、この「気」のほうでいくら「気合い」を入れても、「気力」を出しても、欧米列強に対しエネルギー的に勝てるはずがない。

アメリカは戦後こういうことを強制することによって、日本人の本来持つオカルト的な強いエネルギーを封じ込めてきたのではないか。

旧字体から変更を受けた漢字は多く、トップ画にあるやつなどは全然一部であり、実際にはかなりの数に登るようだ。

その中には日本人の大和魂とか武士道精神に則った漢字もものすごくたくさんあったはずで、それが封印されてしまったことは、実は「日本文化の消失」といってもいいくらいな大事件だったのではないかと僕は思っている。

僕の名前は『平野 壮(ひらの そう)』という。


ファーストネームの「壮」という字の旧字体は「壯」であり、これは「大変勇ましい様」という意味だそうだ。

子供の頃、はじめて自転車を買ってもらった時に、父方の爺様が自転車の泥除けに盗まれないようにと名前を書いてくれた。

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『平野 壯』

この爺様は戦争中は鬼軍曹みたいな人で、確かに大変勇ましい人であった。
この字を見た瞬間に、自分の名前がとても勇ましく、誇らしく思えたものだ。

しかし今では僕が他人にこの漢字の説明をする時には

「アパートとかの○○荘の荘って字の、クサカンムリを取ったやつです」

とか、

「滋養強壮の壮という字です」

とかやっている。

そこにあまり勇ましさは感じられない(笑)

先程の「氣」と「気」のやつもそうだが、敢えて今どき「氣」という字を使ったりすると、なんだかスピリチュアルに変にハマってしまった人だとか、知ったかぶりのマニアみたいな扱いを受けたりすることがある。

ネットでもそういうのはキモいとかいう声がかなりある。

GHQの裏の策略は、現代の日本ではすでに完成したと言えるのかもしれない。

そしてそんな頃合を見計らったかのように、大地震やら洪水やらウイルスやらがこの日本にも襲いかかってきているわけだ。

もうそろそろ、日本人は『氣』を引き締めなければならないのではないか。


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