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ヒーローになりたかった少年の唄2021⑱

旅情と慕情

僕は観光旅行や、物見遊山にはあまり興味がない。

観光地の有名なお店で、有名な料理を食べたり、特産品の買い物をしたりとか、有名なモニュメントの下で記念写真を撮ったりすることは、普通の人にとっては旅のとても重要な楽しみであるだろうけども、僕がしたい旅というのは、誰も知らないような町で、誰も見たことのないような「心象風景」を見ることであって、その場所は有名でなければないほど、自分の心の保養になるのだ。

仕事として旅のミュージシャンをやってきたので、普通の生活をしている人よりはかなり色々な所に行っているとは思うけど、やはりそれは仕事であって、個人的な旅のようにただ旅を楽しむというわけにはいかない。

忙しい時は、ライブをして打ち上げもそこそこに、また次の場所、次の場所へと移動する。

たまに、少し次のライブまでに時間がある時に、調整で丸一日offになる時があって、そういう自由時間だけは独りで好きに過ごすことができたりする。

長いツアーだと丸2ヶ月近く車で旅をするので、孤独癖のある僕にとっては、こういう独りになれる時間というのは、本当に貴重な時間なのだ。

とはいえ、ドサ回りの旅芸人の懐はそんなに豊かではないので、好き勝手に遊ぶといっても「お金のかからないこと」という制約の中で、できるだけ楽しむしかないわけだ。

宿もその時々で違って、友達の家やライブハウスに泊まらせていただくこともあれば、ホテルに泊まったり、お金に余裕がなければネカフェみたいなところに泊まったりもする。

お客さんが少なかったはじめの1~2年は車の中で車中泊なんてこともよくあった。

車はもちろん一台なので、二人で旅を回ってる時には、片方はoffの日に徒歩で遊ぶしかない。

知らない田舎の町で、歩きで1日過ごすことはやってみると意外に大変でもあって、電車やバスの充実したところならいいが、寂れた漁村や山の村みたいなロケーションでは、どこかに行くといっても足がないし、帰りも気にしなければならないので遠出もできない。

一人で海岸にふらっと行ってみたり、近くの河原に行ってみたりと、傍から見たら不審者のような感じで1日を過ごすことになるわけだ。

小さな町でも、商店街のあるようなところには大抵バスがあったり、単線の電車が通っていたりしていて、そういう場合にはかなり楽しい独り旅ができる。

僕はそういうロケーションの時にはいつも古本屋さんを探して、手に入れた本を片手にどこか小さなカフェに入ったりするのがお気に入りだ。

カフェも、ス〇ーバックスとかコ〇ダ珈琲とか大手のチェーンではなく、地元の常連しか入らないような、なるべく小さな店を選ぶ。
探せば、古くからあるJAZZ喫茶とか純喫茶なんかが結構見つかる。

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そんなお店でコーヒーやビールを飲みながら、ただ古本を読むだけの時間。
本は新刊よりも、圧倒的に古本がいい。
自分の心の奥深くにある「懐かしさ」をなるべく引き出してくれるような。

たいしたことはなにもないんだけど、こういう時間が自分にとっては精神のリフレッシュのためにとても重要なのだ。

そして店を出たあとは、とにかくブラブラと歩く。
何かを目的としない純粋な散歩をする。

初めて見る風景の中に自分が溶け込むまで歩いていると、知らない場所のはずなのになぜか懐かしさを覚える匂いだったり、音だったり、色彩がふと自分の五感を掠める瞬間があって、そんな時には色々な想い出が頭の中に鮮やかに蘇る。

こんな時に感じる気持ちを「旅情」というのではないかと僕は思っている。

本を読むことと、旅をすることは脳の同じ部位を活性化させる効果があると何かで聞いたことがある。
確かに、本の世界を堪能している感覚と、知らない街を彷徨い歩いている感覚はとても似ている。そして僕がそういう時に選ぶ本は、大抵その町の歴史の本だったり、その地域で生まれた作家の本だったりするので、旅情が更に深まって恍惚となるのだ。

本も独り旅もどちらもとても心地よい。
これをダブルで経験してしまうわけだから、僕のこんな独り旅も実は効率的なのかもしれない。

このコロナ禍で長いツアーができなくなって、もう2年近く経つ。
そろそろまた、知らない街をゆっくり散歩したいという欲求が高まってきている。

今は地元でバイクに乗って田舎を走り回るのがその代替になっているのだが、それはそれで凄く楽しくて素晴らしいけど、やはり徒歩で行く知らない町の独り旅とは、脳の活性化される部位が違うような気がする。

脳のその部分が錆び付いてしまうと、人生そのものの色味というか彩度が落ちてきて、何か灰色の世界にいるような感じになる。

「旅情」を感じることは、少なくとも僕にとっては必須アミノ酸よりもっと重要なのかもしれない。

「旅情」というのはとても「慕情」と似ている気がする。

「慕情」の意味を辞書で引くと、

慕わしく思う気持ち。
特に異性を恋い慕う気持ち。

とある。

この「恋い慕う」という気持ちの裏側には、「恋しているのに、今はその相手と一緒にいない」というブルースが必ず表裏一体に存在していて、そこには相手と一緒にいた時の「懐かしさ」という裏のキーワードがあるのだと思う。

また「旅情」を引いてみると、

旅でのしみじみとした思い。
旅人の心情。
旅のおもむき。

と出る。

この「しみじみ」という部分が、やはり「懐かしさ」とか「一抹の寂しさ」というところと深くリンクしている気がする。

「自分の人生の歴史」に対しての「慕情」というのが、独り旅をした時に感じることのできる「旅情」なのではないかと僕は思うのだ。

もしそうなのであればきっと、歳を経れば経るほどその情感は高まるのであろう。

最近特にそんな気がするのは、僕も歳を取ってきたということなのかもしれない。

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