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ヒーローになりたかった少年の唄2021⑯

ヒューマン・インターバル

音楽の理論の基礎に「調」というのがある。
ハ長調とか、ト短調とかいうときの「調」である。

英語で言えば「key(キー)」であり、key=Cとかkey of B♭のように表記される。

これは、楽曲の特性がどの音を中心としてなりたっているかという、楽曲のまさに鍵(キー)になる部分であり、調を間違ってアドリブを取ったりすると、途中で全然合わない音が出てきて「ヘタクソ~!ヤメロ~!!」となる。

例えばKeyの主音がC(ド)の場合とkeyの主音がG(ソ)の場合には、使われるコードが結構似ていたりする。

スリーコードはCの場合には  C-F-G
Gの場合は G-C-D

どちらにもCとGが入っているので、よく聴いて流れを見ないとキーを間違うことがある。

音楽の調には、平行調とか近親調とか調子の似た部分の多いものが色々あるのだ。

これを踏まえ、人間の「人生」にも音楽と同じように「調」というものが存在するのではないかというのが、今回の話の主題である。

まず人間をひとつの音に例えた場合、フィーリングが合う音と合わない音に別れる。

例えば僕が「ド」だった場合、「ミ」の人や「ソ」の人とはやたらウマが合う。

三人揃えば「C」という完全に調和したコードが生まれるわけで、これは外から見ててもまさに息ピッタリな仲良しトリオになる。

しかし相手が半音低い「シ」だった場合には、一緒に鳴らすとモワモワとした不協和音になる。

人間同士ならケンカになるかもしれない。
音程が近いとケンカになりやすいのだ。

実際似たもの同士の方が些細なことでケンカになりやすいということがある。
全く似ていない相手とは、そもそも相手の言っている意味すらわからず、ケンカするところまでいかなかったりする。

では、ドとシの相性がめちゃくちゃ悪いのかというと、そんなことは全くない。

むしろ、シの音はドの音の特性を最大限に引き出し、ドレスアップしてくれるアクセサリーとしては実は必須だったりする。

コード「C」のドミソの三人の上に、1オクターブ離れてシがくっつくと、これは「Cmaj7」という素晴らしくオシャレなコードになるのだ。

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これと同じようなことが、人間の社会でも、のべつ起こっていると思う。


key(調) 〉コード(和音) 〉ノート(単音)

のような図式の中で音楽を見てみる。

そして、これを人間の人生に置き換えた場合は、下のような感じになると思う。

アジェンダ(目的) 〉コミュニティ(人間関係) 〉アイデンティティ(個人)

ドという個人にとってのシの音の特性というのは、Key(目的)がCの場合に最大限に発揮される。

シの方が主音になって、key(目的)がB(シ)になるとこれはまた違った話になってしまう。

ド個人としてはkey(目的)=C(ド)のうえで、1オクターブくらい離れたところで脇役として活躍してもらいたいのがシなのだ。
あくまでも僕(ド)の目的である「C」に則って。

しかし、シの個人的な立場からすると「そんな脇役なんかやってられんわ!」となってしまう。

彼の人生の目的はあくまでもkey=B(シ)であり、シである自分を中心として、ミやファ#といった仲間たちと素晴らしい楽曲を奏でていくのだ。

ドなんて奴は、彼にとっては大した価値のない奴なのだ。
しかし、ミってやつは俺にもドにもうまく取り入ってなかなか立ち回りの上手い野郎だなぁ。。

なんてことになる。

そんなシにも、ラ#君というたまに喧嘩はするけど距離感を間違えなければ頼もしい助っ人になるような仲間がいて、やはりあまり近くで一緒にいるとイヤだが、key=Bの目的を達成させるためにも、1オクターブくらい離れたところでそっと俺をサポートしてくれないかな?
とか思っていたりするわけだ。


……思わずかなり複雑な文章になってしまった(笑)


しかしまぁ、こういった意味で「人生の目的」ってやつと「楽曲の調」というものはやはり相似形である気がするのだ。

音楽をやってる人なら、こういう感覚なんとなくわかってくれるんじゃないかなぁ?


話は逸れるが、今天文学的には水瓶座の時代に入ったと言われている。

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いままでのヤギ座の時代とは時代の流れが変わった。

ヤギ座のエレメントは「土」
そして水瓶座のエレメントは「風」

占星術の世界では、土の時代から風の時代への変遷と言われている。

そこにこのコロナやワクチンとか、大雨洪水や地震、戦争とか、その他の様々な世界中の事象が絡んでくる。

風の時代であるみずがめ座というのは、組織・国家・資本主義、富の独占など、社会の既存のルールから自由になって、社会を変えていく人たちが活躍する時代。

これが言わば新しい時代の「調=key」であるわけだ。

人間性に基づいて社会をゼロから作りあげる。

当然今後は、国家や家族のカタチ、人々の習慣もことごとく変化していくだろうし、もうすでにその兆候は色々顕われはじめているだろう。

これは、今までKeyもわからずCとGのツーコードだけで演奏されてきた曲の展開が変わって、いきなりDmとかBm♭5とかが出てきたもんだから、key=Gのつもりで演奏してきた奏者がとまどっているような、そんな時代なのではないか。

逆にkey=Cをはじめから想定していた奏者は問題なく演奏を続けている。

ツーコードの時には、変な不協和音に悩まされることもなくちゃんと調和の取れた楽曲として成立していたのに、調性をはっきりさせる人物が現れたり、転調を起こすような大事件が起きたりすることで、楽曲は新たな展開を迎えた。

曲調がハッキリしてしまうと、不協和音がやたら目立つようになる。
今の世の中、全てにおいて不協和音だらけに見えるのはそういうことなのではないか。

だから今までうまくいっていた人間関係がいきなり壊れたり、なんの疑いもなくやってきた手慣れたはずの仕事が本当に辛いものになってみたり、そういう事が頻繁に起こっている。

特に人間関係の部分では、性格や目標の合わない人と一緒にいることが、お互い非常に辛く感じる時代だろう。

しがらみのある人間関係を完全に断ち切ることはなかなか難しいが、冒頭のシとドの関係のように上手な距離感、音楽的に言うと「インターバル」を保ち、相手をテンションノート化することでそれぞれの調性を持った人生という楽曲は、どんどん調和したものになっていくのではないかと思う。

そう、これからの時代に特に大切なのは「ヒューマン・インターバル」だということになりそうな気がしている。

そして、これは似た意味の言葉である、今流行りの「ソーシャル・ディスタンス」とは、全く違うものなのだ。



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