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八百万の神という精神性が息づく日本【アハム ブラフマスミ】

私はすべて すべてはわたし 

私はあなた あなたはわたし
わたしは完全で 全体で すべてであり ひとつである

それが、"私はブラフマである”

アハム ブラフマスミ

というサンスクリットの言葉に在る真理。

純粋な創造のエネルギーが音として現れているのが、サンスクリット語。

現代において、そのような言語はとても希少な中、日本にある同様の言葉。

八百万の神々

ここには、森羅万象、すべてのものに神を見出す精神性が現れています。

そして、驚くべきことは、おそらくその言葉をほとんどの老若男女が知っているであろうということ。

ジブリ『千と千尋の神隠し』で神々が湯屋に疲れを癒しに来ていた光景は多くの方が思い浮かぶのではないでしょうか。
千尋を助け、成長させてくれたハクもコハクガワの主でしたね。

ジブリは世界で賞賛されていますが、日本の人々の意識が、繊細で美しいアニメーションというカタチで映し出されているのかと思うと、心躍ります。

すべてのものに神が宿る

日本のように、結婚式はチャペルで、お葬式はお寺で、神社に行ったらお参りする…
といった宗教観は世界ではとても珍しいですが、

私はすべて すべてはわたし
という真実が、忘れ去られてはいない国なのかもしれません。

食事の時には「いただきます」「ごちそうさま」
手や場を清めることだったり
自然に畏敬の念を持ち
相手を敬い
感謝するこころ

そういった精神性は、どれだけ西洋化しても、生活の中に息づいていて…

ヒンドゥーの伝統における宗教を超えた心にとても近いと感じています。

いわば超宗教。

宗教を超えたもの
すべてのカタチを超えたもの

普遍的なことというのは、すべてのことに当てはまり、
そして、すべてのことをその枠組みから外してくれるものだと信じています。

どの宗教も、道は違えど、その同じ気づきに向かっているのではないでしょうか。

そもそも、ジーザスはキリスト教を説いていないし、
ブッダは仏教を説いていないのです。

人々の切り離された意識が、宗教や様々な枠組みを生み出し、
そこからひとつに戻っていく人生というゲームをおもしろく、味わい深くしてくれているのかもしれません。

本当の自分を思い出す

全ての物事が細分化され、分類され、多様化社会と言われる現代。
人種、国、文化、価値観・・・様々な場面での分断

枠組みがあることで、違いがあることで、
それを超えて観る体験ができるのでしょう。

多様性を通して観えてくることは、
表面のカタチは無限にあっても、すべてが同じであるということ。

私たちの内側には、大いなる存在が確かにあります。
ありがたいことに、日本では、日常や文化、伝統にその存在を見出すのが難しいことではありません。

千尋やハクが名前を思い出して、自分を取り戻したように
わたしたちも本当の自分自身を思い出しますように。

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