【最終回】自分の歴史を音楽と振り返る(17ー3)B‘z「Brotherhood」
さあ困った。自分の歴史を音楽と共にこれまで振り返ってきて、最後に自分の人生に影響を与えた曲を3つ紹介するというところまで来て、今回が最後の3曲目。B‘zなのは間違い無いのだが、どれも思い入れが深すぎて、なかなか1つに絞り切れなかった。その中であえて1曲をどうにか選出した。
B‘z「Brotherhood」
1999年リリースのAL「Brotherhood」タイトル曲。この年に開催されたライブツアー「B'z LIVE-GYM '99 "Brotherhood"」の最終日で自分はB'zのライブに初参戦。19歳の時だった。場所は横浜国際総合競技場(今の日産スタジアム)。途中から強い雨が降り出して、びしょ濡れになりながらライブのラストナンバーを飾ったのがこの曲だ。当時私は片思いな人が自分と同じB'zファンということで、私が彼を誘い二人で一緒にこのライブに行った。そんな甘く、そして苦い思いも蘇る。
歌詞
曲の話に戻ろう。歌詞について。
サビの歌詞。当時19歳で、ゲイであることとそれによる将来の見えなさに絶望し、20歳までに人生を終えようとしていた私自身にとって、気持ちのわからない他人による励まし?(もありがたいことなのだが)よりも、ただ「生きていくだけだよ」というシンプルなメッセージがどれほど響いたか。そして我慢ばかりしている自分にとって、たくましさや強さの象徴だったB'zが「苦しいときは苦しいって」言っていいんだよというのが、とにかくやさしくて、自分の肩の力を抜くきっかけになったのかも知れない。
2番サビの後の大サビでの絶叫がこの歌詞。どこかで誰かがつらい思いをすることはどうしてもあって、また道が違う以上、それに気づきにくいのかも知れない。それでも「いざという時 手をさしのべられるかどうか」が大事だと言う。その「いざという時」をどう迎えるか。上で述べたような「苦しいときは苦しいって 言ってくれていい」という関係を築けていることが、その鍵になるのだろう。
そして、「みんな生まれも育ちも違ってるし ベッタリくっつくのは好きじゃない」、それで「いざという時 手をさしのべられる」というのは、人間関係の絶妙な距離感を表していると思う。
最後のサビでは、「走れなきゃ 歩けばいいんだよ」という最大級のやさしさで包んでくれる。ただし、この曲に一貫しているのは、走る(歩く)のは自分自身だということだ。どんなにハナシが盛り上がっても、手をさしのべられても、そこから歩くのは自分の足。なぜなら、それぞれの前にそれぞれの道しかないからだ。
厳しいことなのかも知れない。それでも、「道は違っても ひとりきりじゃない」と言う。だから大丈夫(「We’ll be alright」)だと。ベッタリくっつくようにそばにいなくても、道が違っても、ひとりじゃない。孤独に対する強いメッセージだと感じた。
サウンド
音楽的なことは詳しくないので簡単なものに留めるが、力のあるロックバラードという感じか。イントロやAメロのクールなギターによるアルペジオが、世間の冷たさやうまくいかない冷ややかな気持ちを表しているように感じるが、一方でやさしく包み込むような温かさも感じるから不思議だ。それがサビで一変、そして「We’ll be alright」で大地を踏みしめるような強さに変わる。大サビの後のギターソロ。まるで道を歩く者へのエールのような高らかさと神々しさがそこにはある。
ライブでは最後で「We’ll be alright」の大合唱の後、稲葉さん一人でロングトーンによるシャウトが定番。最後一旦無音になってから、やさしくAメジャーの和音で終わる。この時の一瞬の会場の静寂が、みんな一体となっているようでいつも心地よい。
2011年4月、Mステで演奏
上述のライブでも印象に残っているが、2011年4月1日に放送されたMステにB'zが出演し、「さらば傷だらけの日々よ」とこの曲を演奏し、とても話題になった。選曲について稲葉さんは
曲としてはもう(19)99年にリリースした曲なんですけども、当時『離れていても繋がっている仲間』みたいなものをテーマに作りまして、今歌わせていただけるんだったらこれだなということで選ばせていただきました。
とコメント。実際演奏した時には「Brotherhood」の歌詞が以下のように一部変更された。
そうそう、この演奏のために、当時B'zのサポートメンバーであったシェーン・ガラース(Dr)と、バリー・スパークス(Ba)が出演。福島第一原子力発電所事故の影響で世界では日本の状況が危惧されていた中で、二人はアメリカから演奏のために来日した。
私はこの演奏をリアルタイムで観たが、「Brotherhood」の途中で稲葉さんの目がキラキラとしているような気がした。演奏もとても鬼気迫るような迫力で、画面越しに熱いものをたくさん浴びた。
2018年、涙をこらえて演奏
今から6年前、B'z結成30周年となる記念ライブツアー「B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-」でこの曲がアンコール1曲目で演奏された。このライブツアーはとにかく30年のライブの総決算で、「裸足の女神」の大合唱も「LOVE PHANTOM」の高いところからのDIVEも「ALONE」のピアノ演奏も「恋心 (KOI-GOKORO)」の振り付けも、「Ultra Soul」も「イチブトゼンブ」もとにかく全部盛り込んでいる。
このライブツアーは過酷だったのか、稲葉さんの喉の調子が明らかに悪い公演があった(その日も休憩後まさに火の鳥のように復活してやりとげた)。そんなことがあったからなのか、30年の重みなのか、アンコールの「Brotherhood」の演奏時には、二人とも顔をくしゃくしゃにして涙をこらえているような瞬間があった。
私はライブに耐えられるほどの体調ではなかったので行けなかったのだが、DVDでその模様を観ると何度も感動してしまう。
(余談)希死念慮と羨みと「RUN」
上述の「B'z LIVE-GYM Pleasure 2018 -HINOTORI-」でも演奏されたPresureライブでの定番曲が「RUN」である。この文章を書いていて、ふとRUNの歌詞を思い出したので記載したいと思う。この曲は1992年リリースのAl「RUN」のタイトル曲である。
中学校の時にB'zに出会った。そのころには自分がゲイであるに悲観し、既に死ぬことがいつも頭によぎっていた。そしてそれはずっとなくなることは無く、現在も残ったままだ。時に大きくなり、時に小さくなり、でもずっと頭にこびり付いたまま、ここまで生きてきた。
そんな自分が今こうして生きているのは、この「死ぬならひとりだ 生きるなら ひとりじゃない」という言葉に依るところがあるのは間違いない。
長い間、自分にはパートナーがいない。そのため、周りのカップルを羨んで(うらやんで)しまう。そしてそんな自分が嫌になるところまでが毎度のことだ。
「だれかがまってる どこかでまっている」という歌詞は、そんな自分を一旦外から見つめるきっかけをくれるのだ。そして「なかなかないよ どの瞬間も」と、まるで孤独のツラさや周りへ抱く羨みでさえ、貴重な瞬間であると歌い上げる。実は「RUN」はそんな歌なのかもしれない。
という感じ。まさか、B'zの歌について書きながら自分の希死念慮や羨みに言及できるとは思っていなかった。それだけ、B'zの歌には生きることへの賛美とやさしさと、少し遠くの場所から見守っていてくれるような安心感があるのかもしれない。B'zのファンでよかったと、この文章を書いて改めて感じることができた。
さて、「自分の歴史を音楽と振り返る」のシリーズは今回が最終回。自分の歴史を文字にすることで自分を少し客観的に見つめることができたし、まるで音楽の旅に出ているような感覚もあった。これからも、自分の好きなことや思いを言葉にしていけたらと思う。