中学生でもわかるお金の歴史【前編】
後編も公開中です。
初期のお金
お金が発明されるより以前は、人々はものを作ったり育てたりしてお互いに助け合って生きていました。
むら等の小さなコミュニティでは、交換されたものの支払いや受け取りを大まかに覚えておくことができました。
それでも長期間に渡って覚えておくことは難しいため、木や石版に交換の記録をつけました。
これで交換が完了したか、まだ借りがあるかを明示的に管理していました。
コミュニティの拡大に伴う交換の増加
コミュニティが大きくなるにつれって、交換を行う機会が非常に多くなりました。
また、コミュニティの統治者(日本史でいう豪族のような人)が現れ、課税をはじめました。
交換の規模が大きくるにつれ、交換の記録、つまり会計を記録することがますます困難になっていきました。
借用証書の発明
物と物の交換「物々交換」はその時点で取引を完了することには問題ありませんが、後で払う(払ってもらう)場合には向きませんでした。
そこで登場したのが借用証書です。
当時はまだ紙などは存在していなかったので、クジラの歯などを活用しました。
これによって交換プロセスにおける中間段階が生まれ「物↔借用証書↔物」となり、より自由な取引が可能になりました。
物をと借用証書を交換することで、借用証書を使ってまた別の物を購入できるようになりました。
つまり、価値(購買力)の保存です。
これがお金の原型となりました。
そして人類は、お金と同時に借用書によって負債も作り出したのです。
硬貨
人々はお金を使ってより多くの取引をはじめました。
貝殻、大麦、羽、クジラの歯など、当時のお金は様々な形をしていました。
するとそれぞれのお金としての特性がわかってきました。
貝殻はどこの海岸でも手に入るため希少性が低い
大麦は重いし長持ちしないため可搬性が低い
羽は別のコミュニティで価値の共有が困難
クジラの歯は固くて分割が困難
また、お金は持てば持つほど力を得られることもわかってきました。
統治者(王様など)は力があれば多くのお金を得られます。
金属製のお金
そこで統治者は、貴金属(金銀銅)から硬貨を作り、エンブレムといった統治者のマークを刻印することで、硬貨の価値を保証しました。
金属製のお金は、以下の要件を満たしました。
可搬容易性
分割容易性
希少性
偽造困難性
合法性
価値保存
金属製のお金には、それ自体に固有の価値があるため、他のコミュニティとの取引に使えました。
金属製のお金(硬貨)は大成功を収めたかに思われました。
しかし、統治者は別のことに気づいてしまいます。
硬貨を薄くしてしまえば、その分たくさんのお金を生み出せるのではないか。
まもなくして統治者は、硬貨を薄くしたり、材料に安価な金属をこっそり混ぜたりして、硬貨の額面としての価値よりも低い価値の通貨を流通させ、お金儲けをしてしまいます。
※補足
硬貨の額面とは、100円であれば100円、10円であれば10円という数字としての価値です。
一方で額面よりも低い価値とは、100円を保証する物としての価値を指します。
紙幣
硬貨が生まれ人類の金融はますますの発展を遂げました。
しかし、クジラの歯などに比べると軽くとも、金属でできた硬貨を持ち歩くには骨が折れます。
そこで中国で誕生したものが紙幣です。
重い硬貨は宮殿に保管しておき、信用証明書を発行して書類で取引を行えるようにしました。
人々は信用証明書という紙に信用を与え、価値があるものとし、いつでも金、銀や額面分の硬貨と引き換える事ができました。
その後全世界で取引が増大するにつれて、紙幣の概念が広がりました。
そんな中で取引者や貸し手が懸念したのは、単なる印刷物だけでは製造が容易すぎるということです。
金本位制
そこで彼らはお金と黄金の価値を関連付けようとしました。
利点としては、異なる通貨間の交換に黄金という基準ができることです。
これを金本位制といいます。
通貨に金の固定基準を適用させる試みは、何世紀にも続きました。
しかし、柔軟な交換レートを求める声が常に優先され、1970年代初頭から、世界では金本位制の維持が消えました。
現在は、銀行券の価値と他の紙の価値とを区別するのは信用だけになりました。
お金の管理
遥か昔、太平洋にあるヤップ島では、石貨(石でできたお金)を金のように使っていました。
石貨は、その巨大さと重さで有名です。
島の統治者が石貨による課税を決めると、島の全ての納税者にとって、石貨は島で共通の通貨として避けては通れないものとなり、統治者の管理を受けることになりました。
もっとも、高価な石貨は非常に重いため、ヤップ島の人々は石貨を一箇所に置いて、契約で持って取引を行おうとしました。
ヤップ島で石貨を保有して取引を行う者は、その価値分の約束手形を発行できました。
こうして銀行の原型が生まれました。
銀行の誕生
統治者が石貨の代わりに約束手形での納税を認めるようになると、ある問題が発生しました。
事実上お金の流通量、つまり通貨供給量を統治者が調整することができなくなったのです。
これまでお金は、力を持つ統治者が発行していました。
それが、民間の銀行が発行できるようになってしまい、事実上の権力移転が発生してしまいました。
20世紀、一部の経済学者が唱えたのは、お金の流通量は景気動向に直接影響を与えるため、政府の管理が重要だということです。
しかしこれは容易ではありません。
特に、民間の貸主が流通量の多くを生み出している場合には。
お金とインフレ
16世紀、スペインは植民地で採掘された大量の貴金属を自国へ持ち込みました。
これにより貿易は拡大したのですが、残念なことに業者たちは商品を値上げして新しい貴金属(購買力)に合った値段としてしまいました。
そのため、貴金属を持って帰国した人々が恩恵を受けることはなく、入ってきた新しい富(貴金属)を持っていない古い富(新しく入ってくる前の貴金属)を持った人たちの景気はむしろ悪くなりました。
つまり貴金属というお金が増えた事で、お金の価値が下がり、商品の値段が相対的に上がったのです。
この時初めて出現したのが貨幣量が増大し、品物量が少ないとインフレになるという説です。
業者が生産量を減らさない限りインフレは起こります。
また、より新しく大きなお金の循環がある限り、インフレは起こります。
お金の循環を少なくするのは人々の貯蓄行動、すでに十分豊かであったり、将来に不安を持っている人々の貯蓄行動です。
貯蓄が加速すればいずれインフレは解消されます。
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