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11|夏の名残とクールな茶

寿ジュからジョコウ先生へ

◇  ウースターで煎茶せんちゃ

「お茶にしましょう」
 ロンドンへ行きたしと思へども、ロンドンはあまりに遠し。
 せめては、こんながんを取り出して、気分だけ味わうことにしました。

 ロンドンはヴィクトリア&アルバート美術館のコレクションを、アメリカのフランクリンミント社が復刻通販したミニチュアで、世界各国の名窯めいようシリーズ12種のうち、これは(なんちゃって)ウースターです。
 イギリスのウースターようは1789年にイギリス陶磁器界初の王室御用達の称号を得て、現在もロイヤル・ウースターとして製造を続けています。アンティークの中にはこんな中国趣味シノワズリの品も少なくありません。
 netで購入し、届いて初めてわかったのですが、これがmade in Japan!

 かつて、東洋の陶磁器に憧れたイギリス人が、苦心惨憺さんらんボーンチャイナを作り出し、やがてその器たちが女王陛下夫妻の名を冠した美術館に収蔵され、さらに時を経てアメリカの会社がそのミニチュア・レプリカの販売を企画し、製造を日本に発注し、北米を中心に販売されたものが、今、また日本に渡って来てくれた、というわけです。
 おそらくイギリスのオリジナルは紅茶を淹れる茶器だったのでしょうが、このサイズは煎茶にぴったりです。
 この夏、訪英がかなわなかったかわりに、この小ウースターで夏の名残のお茶をれ、脳内世界旅行を味わうことにいたしましょう。
 
 あらためまして、
 大英博物館での文会のご盛会おめでとうございました!
 掛軸の中の仙境から汲んだ水は、現地では如何いかが味わっていただけたでしょうか。
 もっとも、『メリー・ポピンズ』でも、『ナルニア国物語』でも、絵画の中へ入って行ったり、絵画から水が溢れ出て来たり、といったことには慣れっこ(!)のお国柄の方々です。きっと何の違和感もなくお楽しみ下さったことでしょう。
 それにしても、日本では芸術鑑賞の時には沈黙がマナーとは、そもそもいつ誰が決めたことなのでしょう。
 先生のおたよりで芸術鑑賞の「必要条件、十分条件」というくだりを拝読しつつ、ふと、友人と一緒にフィギュアスケートをTVで観た時のことを思い出していました。フィギュアのことを「何もらない」私は、ただ眺めてうっとりするばかりでしたが、友人の「ルッツ」とか「サルコウ」とかの細かい解説つきで観てみますと、いかにその美がたぐいまれな技によるものか、さらに感動が深まった気がいたしました。
 文人趣味も「識らない」なりに、あれこれお教えいただいた上で体験してみると、確かに一層お茶の味わいも深まる気がいたします。
 

◇    文人茶の「余白」

 先生がロンドンにいらした頃、たまたま私は京都で別の煎茶会に行っておりました。
 その時の軸は冨岡鉄斎とみおかてっさいで、席主の方がこうご説明下さいました。
 
「日本画と文人画の違いですが、日本画というのは、はじからはじまでビシっと描かれているのに対し、文人画のほうは余白があります」
 
 常日頃、私が大難問と感じていたことを、余りにもさくっと簡潔にまとめられたことに驚きました。そして、
 
「その余白には、たいてい『さん』と呼ばれる文が書き込まれていて、絵と文とは別々の人のものであることが多いのです」
 
と。
 真に的確なご説明でした。
 その「余白」とは、単に白の面積の多少を意味するだけではない、と私は受け取ったからです。
 
 その後、先生がロンドンで「一番大切なのは『待ち時間』だ」と強調されたと伺い、我が意を得た気がしました。
 
「茶が抽出されるまでの『待ち時間』は、いわば『余白』の時間で、この『余白』こそが、思考と想像と創作と談義を広げるべき『間』なのです。」                   (ロンドンでの佃梓央先生解説(*1))


 
 茶の湯においても「間」は大切ですが、それは黙して味わうことが多いように思われます。一方、文人茶の会では自由闊達な談義が歓迎される。この違いについて、前々から私が感じていたのは「煎茶はクール」だということです。
 
 人間の感覚の延長としてのメディアを「ホット/クール」に分けたのはマクルーハン(*2) でした。現代でこそコミュニケーションの双方向性は常識ですが、新聞ラジオが主軸の時代からテレビや電話が日常化していく過渡期にあって、マクルーハンは人間のコミュニケーションそのものが変わることに気づきました。
 ラジオが主として情報を一方向に流すもので受け手の参与性が低かったのに対し、テレビ電話は受け手の参与性が高いとして、前者をホット、後者をクールとして対比させたのです。確かに、ラジオはただ聞くだけでよいのですが、電話では受け手も何か話さなければ通話は成立しません。
 
 今、煎茶の「余白」を「参与性の余地」と置き換えてみては、如何でしょう(ま、こじつけですが。笑)。
 フェノロサ・天心てんしんが称揚した日本画の多くはミュージアムピースであって、そこに何かを描き加えるなど言語道断です。お縄がかかります。
 一方、文人画のほうはむしろ何か書き加えられることを、いわばツッコミを待ち構えている(上方なだけに)かのような「余白」に満ちています。
 とすれば、文人茶の特徴はまさにマクルーハン言うところの「クール」と言えるのではないかと思うのですが、如何でしょう?

寿 拝

如翺 先生


■注
*1 https://www.facebook.com/bunjinkai/posts/1028420472623016
*2 マーシャル・マクルーハン(Marshall McLuhan、1911~1980年)は、カナダ出身の英文学者、批評家。著書『グーテンベルクの銀河系』(1962)など。「ホット/クール」分類のほか、「メディアはメッセージである」など、メディアをめぐる主張で知られる。

《筆者プロフィール》
如翺(ジョコウ) 先生
中の人:一茶庵嫡承 佃 梓央(つくだ・しおう)。
父である一茶庵宗家、佃一輝に師事。号、如翺。
江戸後期以来、文人趣味の煎茶の世界を伝える一茶庵の若き嫡承。
文人茶の伝統を継承しつつ、意欲的に新たなアートとしての文会を創造中。
関西大学非常勤講師、朝日カルチャーセンター講師。

寿(ジュ)
中の人:佐藤 八寿子 (さとう・やすこ)。
万里の道をめざせども、足遅く腰痛く妄想多く迷走中。
寿は『荘子』「寿則多辱 いのちひさしければすなわちはじおおし」の寿。
単著『ミッションスクール』中公新書、共著『ひとびとの精神史1』岩波書店、共訳書『ナショナリズムとセクシュアリティ』ちくま学芸文庫、等。

《イラストレーター》
久保沙絵子(くぼ・さえこ)
大阪在住の画家・イラストレーター。
主に風景の線画を制作している。 制作においてモットーにしていることは、下描きしない事とフリーハンドで描く事。 日々の肩凝り改善のために、ぶら下がり健康器の購入を長年検討している。
【Instagram】 @saeco2525
【X】@ k_saeko__