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特攻文学としての《ゴジラ-1.0》|第19回|井上義和・坂元希美

(構成:坂元希美)

⑲最終回【特攻文学要素メーター】発表!


坂元
 連載で取り上げた映画作品の【特攻文学要素メーター】の発表です。メーターは0~5レベルで各要素の濃さを表しています。

《ゴジラ-1.0》
創作特攻文学映画の新境地を切り開く!

第1~8回参照

未来     ■■■■■■ 5
父になる   ■■■■■■ 5
自発的な行動 ■■■■■■ 5
祖国の想像力 ■■■■■■ 5
カタルシス  ■■■■■■ 5


井上
 「なぜこの作品が特攻文学の傑作なのか」というところから出発した連載ですので、《ゴジラ-1.0》の【特攻文学度】は全メーターが最高値になります(笑)。

坂元 太平洋戦争末期から敗戦直後の日本というエンターテインメントとしては扱いが難しい時代設定ですが、ゴジラシリーズなのでフィクションであることは自明です。だからこそ、自由度を持つことができたのでしょう。世界的な人気もそれで得られたのかなと思いました。

井上 アカデミー賞を獲った視覚効果(VFX)が優れていたのはもちろんですが、それだけではないでしょう。やはり、国や文化を超えて感動させる枠組みを持っていたからだと思います。

《シン・ゴジラ》
自分たちこそが祖国を立ち上げる!

第2第7第8回参照

日比谷のシン・ゴジラ像(撮影:坂元希美)

未来     ■■■■■ 5
父になる   __________ 0
自発的な行動 ■■■■__ 4
祖国の想像力 ■■■■■ 5
カタルシス  ■________ 1


井上
 主人公の矢口蘭堂は「僕が10年後に総理になるより、10年先にもこの国を残す方が重要だ」と語り、明確に日本の未来を考えていました。さらに、たんに国を残すだけでなく、ゴジラ襲来を奇貨として、旧来の閉塞した国のあり方を刷新して、自分たちこそが祖国の立ち上げをやり直すんだというメタ・メッセージも感じました。まさに「祖国の想像力」を体現する指導者でしたね。最初から最後までブレない。その火の玉のような志が、連鎖的に官僚や民間協力者を動かし、ヤシオリ作戦を決行することになった。

 というわけで、「未来」と「祖国の想像力」は最高値です。

坂元 「父になる」要素はないですよね。死者から受け継いだものといえば、牧悟郎博士が残したゴジラの情報と「君たちも好きにしろ」という遺言くらいで、過去から未来へと世代の継承を感じさせるところもなかったので、ゼロ。

井上 そうですね。「父になる」ために必要な、家族や恋人など、守るべき大切な人が出てこない。だから矢口には生活感も対人葛藤もゼロです。その意味で《ゴジラ-1.0》とは対照的でした。

 「自発的な行動」は、内閣総辞職ビームで会議と調整が吹っ飛んだおかげで、普段の官僚機構では抑圧されてきた自発性が解放され、メンバー各々が存分に力を発揮できるようになりました。メンバーの自発性を上手に引き出しながら、チームの力にまとめあげていく矢口は、超有能なファシリテーション型リーダーだといえます。

坂元 「君たちも好きにしろ」は、自発的に行動したら? と問うたのですよね。ヤシオリ作戦は成功し、首都復興=祖国再建へと進むのですが、ゴジラが居残りになったので「カタルシス」は低くせざるを得ません。

井上 はい。作戦を成功させた瞬間の感動はもちろんありますが、指導者としての矢口の視線は「目の前のゴジラ」を貫いて「何十年先のこの国」を見すえており、カタルシスが入る余地はありません。ここから観客が受け取るのは静かな決意でしょう。

《永遠の0》
大切な人の未来を守る“だけ”の物語、でも涙を堪えきれない

第1第4回参照

未来     ■■■____ 3
父になる   ■■■■■ 5
自発的な行動 ■■■■__ 4
祖国の想像力 ■■______ 2
カタルシス  ■■■■■ 5


井上
 主人公の宮部久蔵は、大切な人(妻子)の未来を部下に託して特攻します。自分の家族の生活に限定されるので「未来」と「祖国の想像力」はそれほど高くはないでしょう。

坂元 「父になる」要素は高いのではないですか。宮部は生きて帰って家族と暮らすことを第一に考えてきただけに、最後の最後に部下に妻子を託すのは断腸の思いだったはずで、ここでより高次の「父になる」への飛躍が起きていますよね。

井上 そうですね。また、孫の健太郎と慶子が、「臆病者」と言われた宮部の足跡を訪ね歩くうちに、最後に、実の祖父を「勇敢な父祖」として再発見するわけで。孫が祖父の真実を突きとめたとき、宙づりになっていた命のタスキが惑星直列的につながって感動が爆発するように、周到に計算されている。ということで、「父になる」とあわせて「カタルシス」も最高値となります。

坂元 「自発的な行動」はどうでしょうか。宮部は命令や義務に忠実な軍人であり、「自発的な行動」の余地は基本的にありません。ただ、出撃直前、機体の故障に気づいたときは生き延びる可能性が見えたのに、そのチャンスをかつて助けられたことのある部下に「自発的に」譲り、自分は特攻する。そこをどう評価するか。

井上 たしかに特攻作戦自体は既定路線なので、自発的に特攻したわけではない。機体の故障に関係なく、結局特攻したでしょう。しかし自分だけが気づいた生き延びるチャンスをわざわざ部下に譲った、というのは凄くないですか。祖国とも名誉とも関係ない、極めて私的な動機に基づいた行動です。アメリカ的なBraveとは違いますね。

坂元 とても私的なのですよね。教え子や若い隊員を死地へと連れて行くという任務によって、心を病んでしまっていたので、いっそ死んで楽になりたいという気持ちがあったかも。あの人柄では、とてもサバイバーズ・ギルト(Survivor's guilt、生還者が抱く罪悪感)に耐えられそうにない……。

井上 日本の特攻文学は本作も含めて、なぜか「祖国の想像力」が低い。孫たちは実の祖父・宮部の命のタスキも、育ての祖父・佐伯のタスキも、両方を受け取っていましたが、限られた範囲でのタスキリレーで、「祖国の想像力」には及ばないのですよね。

 《あの花…》もそうですが、命のタスキを受け取った個人が力を得て、個人として変容・成長していくのは日本の特攻文学の特徴ではないか。これは今後の宿題としたいと思います。

《あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。》
とても日本的な特攻恋愛文学

第9回参照

未来     ■■■■__ 4 
父になる   ■■■____ 3
自発的な行動 __________ 0
祖国の想像力 __________ 0
カタルシス  ■■■■■ 5


井上
 映画版では主人公・百合の父親の死因と、その後の彼女にもたらした影響、そして母親の職業や経済状況などの設定が追加され、日常生活が丁寧に描かれたことで、小説版よりも感情移入しやすくなっていたと思います。

坂元 百合は小説版では中学生でしたが、映画版では高校生です。学徒出陣の彰との年齢差も縮まり、恋愛要素にも感情移入しやすくなりました。それだけに、恋愛における彰の策士っぷりも浮かび上がってきたような(笑)。

 出会ってすぐに「妹がいる」設定を作り、好きになったことがバレないようにして、身近に接することを可能にし、しかも呼び捨てで呼ばせるなんて! とリアルに思ってしまった。

井上 連載で取り上げた映画の中で恋愛要素が絡むものはいくつもあるのですが、本作では「妹のように思っている」がちょっと呪いになっていますよね。彰はとても親身に自分を大切にしてくれるけれど、百合は「私のこと本当はどう思っているのだろう」と、最後までわからないのですから。

坂元 しかも、「妹のように思っている」と言われたら恋愛対象として彰を見てはならないという抑圧になりますし。彰としては数週間で別れる身ですから、自分の好意を百合に気付かせず、百合にも持たせないようにしたのでしょうが。

井上 この決定不能の宙吊り状態にするのが、いわゆる日本のラノベらしい恋愛フォーマットなのでしょうかね。さらに、タイムリミットを意識してお互い一線を引いておこうと努力するのに――それゆえにこそ――どんどん惹かれ合ってしまう。特攻文学と恋愛文学のみごとなマリアージュともいえます(笑)。

坂元 そういえば、《シン・ゴジラ》が公開されたときに「ゴジラシリーズに恋愛要素は必要なのか」という話題が出たんですね。あの作品は恋愛要素が全くないので。でも、特攻文学的に「大切な人の未来を守る」という要素を明確にするには、恋愛要素があるほうが「守るべき存在」とか「あったかもしれない未来」のために命を懸けて戦うことが、ベタに描けるのかなと思いました。

井上 なるほど。本作でいえば、特攻文学的な「未来」要素はちょっと弱いのですよね。彰は、この戦況で自分が逃げるわけにはいかない、だから出撃するという特攻隊員のステレオタイプに近く、「未来」のためという発想に乏しい。

坂元 出撃前に百合に書いた未来への手紙も、「実は好きでした」という告白ですからねえ。「父になる」はどうでしょうか。映画版で加えられた百合のお父さんのエピソードのみですね。

井上 ただ、百合の父親のエピソードは、よく考えて挿入されています。

 溺れていた子どもを助けて死んでしまった父親は、実の娘である自分を守ってくれなかったという恨みで、百合のなかでは宙吊りの存在になっていました。それがタイムスリップから戻った後に、自分の目の前で出撃していった若者たちと重ねて、父親の行動を受け入れられたわけです。おそらく同時に、どうしても理解不能だった特攻隊員たちの想いも、自分の父親と重ねて、受け止めたはずです。

 だから、「父になる」は遅れてやってくる。ああ、そういう意味では「未来」もタイムスリップから戻った後に、遅れてやってきますね。たしかに手紙は「実は好きでした」という告白なのですが、それが80年近い時間を飛び越えて、自分のもとに届く。この仕掛けがとても効いている。彰の本当の気持ちを受け取ったというだけはなく、彰を含む特攻隊の若者たちが本当は生きたかった「未来」に自分は生きているのだ、という気づきとともに命のタスキを受け取った、ということですから。

坂元 たしかに! 本作の号泣ポイントは、恋する相手の特攻出撃のときではなく、タイムスリップから戻った後に来ます。「父になる」も「未来」も遅れてやってくるというのは納得しました。「カタルシス」は高値でいいですね。

 ただ、「自発的な行動」と「祖国の想像力」はさすがにゼロかなと思うんですが。

井上 そこは仕方がないですね。いくら百合が80年前の隊員たちをリアルに感じて、彼らが守ろうとした未来に私がいるんだと認識しても、いまどきの中高生の想像力は祖国にまでは及びません。「祖国の想像力」はもっと遅れて、つまり主人公が社会経験を積み、守りたいものができてから、やってくるのかなと期待します。

《Fukushima 50》
ふるさと(祖国)の今と未来を命懸けで守る

第10回参照

未来     ■■■■■ 5
父になる   ■■■■■ 5
自発的な行動 ■■■■__ 4
祖国の想像力 ■■■■■ 5
カタルシス  ■________ 1


井上
 未曾有の災害、事故の中でいかに被害を最小限に抑えるか、その任務のために現場の人びとが奮闘する物語です。指揮命令系統が明確な世界であり、基本的に現場は所長の指示に従って組織的に動くので、各々の職員が自発的に行動する余地はない。

坂元 そんななかで自発性を発揮せざるをえないのが、現場の責任者である吉田所長です。政府の意向やそこに忖度する本店の指示から逸脱することも辞さず、フクイチ(ひいてはふるさと、ひいては日本)を守るためにはどうすればいいかをギリギリまで考え続けて判断しています。

 あと、原子炉格納容器の圧力を下げる手動ベントを実行するときと、最低限の人員を残す際の人選で「自分がやります」と手を挙げるプラント・エンジニアたちは自発性を発揮していますね。

井上 本作で発揮される自発性は、観ているほうも胃が痛くなるような苦渋に満ちたものです。おそらく、歴史的な特攻作戦における「志願」もこれに近いものだったでしょう。

 「祖国の想像力」も、絶望しそうになる気持ちを辛うじて支えるものとして描かれます。ここで自分たちが身体を張って食い止めなければ、ふるさとを、この国を守ることはできないんだと。「誰かがこれをやらねばならぬ 期待の人が俺たちならば」(宇宙戦艦ヤマト主題歌より)です。

坂元 賛否両論のある原発という存在は、伊崎当直長の父親世代が出稼ぎをしないですむようになりましたし、地域=ふるさとを形成してきました。その守り手として、安全に子孫に残していかなければならないという使命があるから、「未来」は高値になりますよね。

井上 はい。そして「家族・若者・ふるさとの未来のために自分の命を使う」覚悟を決めた男たちが描かれます。いよいよというとき、中年世代が現場に残り若者たちを離脱させ、携帯メールで妻子に「最後の手紙」を送る場面は、まさに「父になる=大人になる=勇敢な父祖になる」を体現するもので、涙を誘いました。

 ただし、「カタルシス」は《シン・ゴジラ》と同様で、目の前の破滅的な危機は何とか乗り越えたけれど、問題は解決していない。福島の人たちもずっと避難生活が続いて苦しむという現実がありますから、感動の爆発とはいかないですね。

《アルマゲドン》
圧倒的なハッピーエンドのカタルシス!

第5回第11回参照

未来     ■■■■■ 5
父になる   ■■■■■ 5
自発的な行動 ■■■■■ 5
祖国の想像力 __________ 0
カタルシス  ■■■■■ 5


井上 「未来」は、主人公のハリーにとっての娘と恋人の未来、地球の未来がかかっています。そのために特攻するので、「父になる」要素も高いですね。「自発的な行動」もBraveの発揮も明確でした。3つの要素の惑星直列によって感動の爆発をもたらす、創作特攻文学のお手本のような作品です。全米が泣くわけです。

坂元 ただ、「祖国の想像力」はどうでしょうか。政府から与えられた困難なミッションをいかに遂行するかであって、祖国アメリカや人類共同体を守るという意識はあまり感じられません。わかりやすいといえば、わかりやすいなあ。

井上 たしかに。彼らを突き動かすのは、難事業を請け負った石油採掘業者の矜持(これは俺たちにしかできない!)ですからね。「祖国の想像力」はゼロでお願いします(笑)。

《インデペンデンス・デイ》
これがアメリカ版特攻文学映画の真髄!

第11回参照

未来     ■■■■■ 5
父になる   ■■■■■ 5
自発的な行動 ■■■■■ 5
祖国の想像力 ■■■■■ 5
カタルシス  ■■■■■ 5


坂元
 全編にわたって人類の未来がかかっていますし、全世界が地球を守るために一丸となって戦うので「未来」「祖国の想像力」は十分ですね。最後、エイリアンに対する総攻撃を前にした大統領の演説がよかった。「われわれが生きる権利のために、生存するために戦おう」というときの主語は人類。さらに「7月4日の今日、この戦いに勝利して、われわれ=人類の独立記念日を祝うぞ!」とたたみかける。まさに人類共同体として新しい祖国を立ち上げる建国の宣言です。

井上 「父になる」要素も高い。空軍大尉のスティーブンは、出撃直前にシングルマザーの彼女と結婚して、血のつながらない息子の父になりました。また大統領が妻の死の悲しみを乗り越えて総攻撃の作戦指揮をとることができたのは、娘とその未来を守らなければならないと思い直したからでしょう。そして、ベトナム帰還兵で地域や家庭に居場所がないアルコール依存症のラッセルは、子どもたちの写真とともにエイリアンの宇宙船に特攻しました。つまり3人の「父になる」が重ねられている。

坂元 「自発的な行動」は、《ゴジラ-1.0》と同じく何段階にも自発性が発揮される構造になっています。政府も軍隊も機能しなくなった空白状態のなかで、大統領の呼びかけに応じて集まった志願者、およびモールス信号でつながった世界各国の空軍兵士たちによる総攻撃作戦、そして起爆装置の故障というトラブル発生で、特攻するラッセル……。

井上 特攻したラッセルは、おそらくこの後、大統領から名誉勲章が授与されたはずです。

 本来はどの国でも「特攻せよ」と命令することはできませんし、作戦計画も必ず生還させる前提で立てられます。政府や軍隊はそうした制約条件の中で、兵士たちの命の使い方を考えるものです。

 だから、作戦失敗がわかったら、兵士を生きて帰らせることが最優先となる。だからこそBraveは最高の名誉になりうるのです。お上頼みも神頼みも超えて、ひとりの人間が持っている「最後の力」を振り絞るという究極の自由でもって、自らの命を投げ込んでいくわけですから。

坂元 ラストはみんなが抱き合って喜び合う、大団円のハッピーエンド。全ての要素がつながっての勝利ですから、感動爆発です。なんと、《ゴジラ-1.0》と同じで全要素のメーターがフルになり、揺るぎない創作特攻文学映画の名作ということになりました(拍手)。

《ラスト・フル・メジャー》
命のタスキを浮かび上がらせる名演説

第1213回参照

未来     ■■______ 2
父になる   ■■■____ 3
自発的な行動 ■■■■■ 5
祖国の想像力 ■■■____ 3
カタルシス  ■■■■■ 5


井上
 「未来」要素は薄めかな。主人公の空軍パラレスキューのピッツェンバーガーは衛生兵として、その場の兵士たちを助けることに専念したのであって、先々のことが頭にあったわけではない。倒れた仲間を置き去りにできない、という軍人の倫理感ですね。ただし、後から——最後の空軍長官の演説によって——「未来」と結びつける意味づけがなされます。

坂元 「父になる」要素は、連載では「父と息子の関係の不全」がこの作品におけるもうひとつのテーマになっていると論じましたが、観客が普通にそう受け取れるかというと難しいかもしれません。

 「自発的な行動」は高値でしょうね。ただし、Braveが発揮された瞬間にカタルシスがもたらされるわけではない。その名誉を公に認めさせるために、ピッツェンバーガーに命を救われた退役軍人たちがそれぞれの立場から関わっていきます。

井上 ピッツェンバーガーの「自発的な行動」は、動機やそこに至る経緯は示されず、その場に居合わせた人びとの目撃証言でわかるだけです。その証言が集まってきたときに、彼が命令や義務を超えて自ら死地に飛び込んでいったことが明らかになっていきます。こうした証言によって、彼の「自発的な行動」が名誉勲章に値することが証明されました。

坂元 調査に当たった国防総省のエリート官僚ハフマンも、国や組織、自分が属する共同体のために良きことをなそうと、最後に出世の機会を投げうってBraveを発揮しましたね。

 「祖国の想像力」はいかがでしょうか。登場人物は、みな政府や軍隊の関係者なので、ことさらに祖国が強調されたりはしないような気もします。

井上 難しいですね。しかも、ベトナム戦争が舞台であることも、「祖国の想像力」をストレートに出しにくくしていると思います。アメリカ国民にとって「祖国を守る」大義を感じにくい戦争のなかでの、友軍をだます形での囮作戦だったわけで、映画を通して、祖国に対する想いは複雑にならざるをえません。

 しかしながら、名誉勲章受章式典での空軍長官による演説は、ベトナム戦争の死者たちと生き抜いた退役軍人たち、その子や孫、ハフマンなどの若い世代をつなげ、それまでの重苦しい展開を鮮やかにひっくり返すという「カタルシス」をもたらしました。最後の最後に、全米を泣かせに来ました。文句なしの最高値をつけたいですね。

《ハクソー・リッジ》
祖国のため、武器を持てない若者も志願する

第13回参照

未来     __________ 0
父になる   ■■■____ 3
自発的な行動 ■■■■■ 5
        (ただしBraveは0)
祖国の想像力 ■■■____ 3
カタルシス  ■■______ 2


坂元
 《ラスト・フル・メジャー》と同じく、未来のためにどうこうというくだりはないですね。特攻隊員と違って、敵兵と直接相対する白兵戦の場なので、それどころではないのでしょうか。

井上 この作品は、特に未来について何も言及していないのですね。主人公のドスは故郷に婚約者が待っていたりするのだけれど、戦争の先のことを想像したりしない。信仰上の理由で武器を手にできない彼でさえも志願したのは、自由な祖国を守りたいという当時の若者には当たり前だった義務感です。だから常識レベルでは「祖国の想像力」はある。でも、「未来」の要素はないんですよ。

坂元 「父になる」は、ドスの父親が息子のためにがんばるエピソードですね。

井上 あのエピソードは本筋ではないけれど、「父になる」を立派に体現しています。第一次大戦での従軍による戦争トラウマを抱える父親が乗り越えて、武器に触れない我が子が軍隊で正当な扱いを受けるために行動し、「父になる」……ぼくはちょっと泣けましたよ。父親は、自身の戦争トラウマの苦しみと息子が戦死するリスクと引き換えに、軍人として祖国に貢献しようとする息子の誇りを守ろうとしたのです。前半のハイライトです。

坂元 「自発的な行動」は、そりゃもう100%自発的ですよね。誰に命じられたわけでもないのに一晩中、たったひとりで何十人もの負傷兵を助けていたわけですし。名誉勲章に値する行動であると、誰もが認めざるをえないでしょう。

井上 でも、Braveかというと、違うんですよね。上官の命令を超えているという意味では自発的ではあるんだけれど、恐怖に打ち勝って行動できたのは神との約束に忠実であろうとする強固な信念があったから。その信念ゆえに軍隊内では見下されていましたが、自分を見下した仲間たちの命を救ったのも同じ信念だった、というのは皮肉です。ということで、「自発的な行動」は——Braveはゼロという条件付きの——最高値です。

坂元 「カタルシス」は、あまりにもドスが超人的すぎて、爆発するほどの感動にはならなかったですね。

《ターミネーター1、2》
死して父になったカイル、責任ある大人のT800

第16回参照

未来     ■■■■__ 4
父になる   ■■■■■ 5
自発的な行動 ■■______ 2
祖国の想像力 ■■■■__ 4
カタルシス  ■■■____ 3


井上
 全員が人類の未来のために戦っていますけれど、ループしているので純粋な未来じゃないんだなあ。

坂元 「未来」のために命をかけたのはサラを守って爆死したカイルと、明確に示されていませんが、作戦が失敗したら消滅する可能性がある2029年のジョンでしょう。

井上 カイルは、《あの花…》の百合の父親、《SPACE BATTLESHIP ヤマト》の古代進と同じ系列と考えていいでしょう。つまり誰かを守るために命を使った後で、遅れて「父になる」というパターン。《T2》では、カイルの使命を受け継いでT800も擬似的な父親となった。

坂元 サラがT800のことを責任ある大人としてジョンの父親にふさわしいと認めたことも、「父になる」要素を高めますね。

 「未来」が現在とループしているために、「自発的な行動」もやはり純粋ではなくなる。カイルがサラを守るために本来の任務を超えて最期を遂げたのはかろうじて自発的といっていいと思いますが、その他は大部分が巻き込まれてのことなので、低めです。

井上 機械(スカイネット)との戦争で、人類の勝利を賭けて指導者ジョン・コナーを守る戦いが大きなストーリーですから、「祖国の想像力」は「未来」と同程度にはありますね。

坂元 「カタルシス」は、T800が溶鉱炉に沈むときに涙はあっても、感動の爆発とまではいかないかも。タイムトラベルで時間軸がループする物語なので、ハッピーエンドとは言い難く低めの値になりました。

《ディープ・インパクト》
メサイア号の物語だけなら文句なしだが……

第17回参照

ホルブ・アム・ネッカー(ドイツ)にある聖十字架教会の天井画

未来     ■■■■__ 4
父になる   ■■■■__ 4
自発的な行動 ■■■■■ 5
祖国の想像力 ■■■■__ 4
カタルシス  __________ 0


井上
 彗星衝突による人類滅亡を避けるためですから、物語の大半は「未来」のため。政府も未来に可能性をつなぐために何段階もの計画を練ったわけですが、衝突やむなしとなったときに発動した「ノアの方舟」をどう評価するか、難しいところです。分断と混乱をもたらしたのだから、「未来」を危うくしてしまっている。

坂元 「ノアの方舟」に影響されないメサイア号の物語に絞れば、特攻文学要素がかなり濃厚なのですけれどね。「自発的な行動」は、全般的にかなりあったと思います。

井上 メサイア号の特攻によって人類存続への道が拓かれましたけれど、やはり「ノアの方舟」の影響は免れることができないと思うと、「カタルシス」はないですね。ぜんぜんスカッとしない。

坂元 感動的なシーンは散りばめられているものの、詰め込みすぎで観る方の混乱もありますし。似た物語設定の《アルマゲドン》よりも深みはあるのですけれど、それがかえってエンターテインメントとしては、うまくいかなかったのかもしれません。

《タイタニック》
命のタスキをつなぐ約束を守ったラブストーリー

第17回参照

未来     ■■■■■ 5
父になる   __________ 0
自発的な行動 ■■______ 2
祖国の想像力 __________ 0
カタルシス  ■■■■■ 5


坂元
 トレジャーハンターたちがタイタニック号と共に沈んでいるとされる最大級のブルー・ダイヤモンド『碧洋のハート』を潜水艇で捜索し、そのペンダントを付けた女性を描いたスケッチを発見。100歳のローズ・カルバートが「その絵のモデルは自分だ」と名乗り出て、孫娘と共にタイタニック号が眠る現場に出向き、当時の一部始終を語るという、未来としての「今」から物語は始まります。

井上 ローズを救って海に沈んでいったジャックは、死んだ後に「父になる」——ローズはタイタニック号で結ばれたときの子を渡米後に出産した——と思い込んでいましたが(連載17回)、作品では確認できませんでした。救出後のローズの足跡は、ニューヨーク到着後にジャックの姓「ドーソン」を名乗り、女優として自分の人生を生き直します。その後、「カルバート」という姓の男性と結婚し、2人の子どもに恵まれたということです。したがって「父になる」要素はゼロでお願いします。

 「自発的な行動」も難しいな。まったくもって民間人の話なので、命令や義務はありません。強いていうなら、本来、特権階級のローズは生き残れる確率が高く、最優先で救命ボートに乗ることができたのに、ジャックと運命を共にするために船内に戻ったところでしょうか。とはいえ、自分本位の理由ですから。

坂元 「祖国の想像力」もゼロですね、この映画には存在しない要素なので。でも、「カタルシス」は最高値ではないですか。ローズがジャックの遺言通り、子や孫に恵まれ、長生きをしたという結末まで見せてくれたこと、ラストシーンで「碧洋のハート」をタイタニックの沈没地点に沈め、ジャックとの思い出を永遠のものにしたところで、全米が泣いた。

井上 はい。その「カタルシス」をもたらしたのは、「未来」要素です。すなわち、ジャックから託された命のタスキを、ローズがしっかり受け継いで、自分の人生を——特権階級の裕福な生活を捨てて——自分らしく生き切った、ということです。

 「愛する女性のために自分の命を使うこと」が男性にとっての理想の死に方だとすれば、「自分らしく幸せに生きることで愛する男性の死に報いる」というのが女性にとっては理想の生き方といえますか(笑)。これは男女どちらにも刺さるわけです。

 ただ、気になるのはローズがこれを100歳になるまで誰にも話すことなく、自分ひとりの胸にしまったままだった、ということです。孫娘(とトレジャーハンターたち)の前で、タイタニック号で自分が体験した出来事を洗いざらい話すに至ったのは、ほんの偶然のきっかけでした。下手したら誰にも打ち明けずに亡くなっていたわけで、それだと命のタスキはローズ止まりだった。

 で、話した後で「女の心は深い海のように秘密がいっぱい(A woman’s heart is a deep ocean of secrets)」なんて言っている(笑)。これはおそらくだけど、ブルー・ダイヤモンドの名前「碧洋のハート Heart of the Ocean」に掛けているのですよね。

 特攻文学的には、秘密のままでは困るんですよ。子や孫にきちんと伝えてこそ、ジャックは「勇敢な父祖」になるわけで。だから、生きているうちに孫娘に話せたのは本当によかったと思います。

 ただ、ジャックとの思い出の品である「碧洋のハート」をタイタニックが沈んだ海に投げたのは示唆的です。もうじゅうぶんに自分らしく生きたから、84年前に戻りたいと。命のタスキリレーの中継者としては年齢を重ねすぎた、ということかもしれません。

坂元 「秘密」や「約束」が偶然、明らかにされるというのは、特攻文学に限らず「感動の構造」の大事な要素かもしれませんね。

「特攻文学論」はどこへゆく?

呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムにて(撮影:井上義和)


坂元 《ゴジラ-1.0》で始まった創作特攻文学映画談義もついに終わりましたが、井上さんのこれからの計画は?

井上 映画談義という形式でなければ見えなかったであろう世界を見出せたのは、ぼくにとってはとても大きな収穫でした。『特攻文学論』のときは資料を集めて読んで考える作業を全部ひとりでやっていて、どうしても石橋を叩いて渡るような守りの姿勢になります。坂元さんとの映画談義で連れ出されたのはまったくの別世界でした(笑)。

 攻めの対話に身を委ねて、行けるところまで行ってみた、という感じなので、その先は——またひとりで石橋を叩きながら——各論をきちんと詰める作業が必要だと考えています。学問的な蓄積のなかに位置づけながら議論できるようにする、ということです。

 今後の構想をひとつだけ挙げておきますと、山崎貴監督(佐藤嗣麻子脚本)の《SPACE BATTLESHIP ヤマト》(2010)をやり残しています。宇宙戦艦ヤマト・シリーズのなかでも珍しい実写版で、しかも特攻文学の王道をいく作品になっています。これは、《永遠の0》(2013)・《ゴジラ-1.0》(2023)へと続く、山崎貴監督の特攻文学映画三部作の始まりにあたる重要作品なので、単発で取り上げるよりも、山崎貴論としてちゃんと議論したほうがいいだろうと考えています。

 坂元さんはいかがでしたか? ゴジラファンなのに視覚効果(VFX)ガン無視で、創作特攻文学という私のフィールドにどっぷり浸かっていただきましたが・・・

坂元 いやいや、設定や物語も重視する特撮ファンなので、本当におもしろかったです。ゴジラシリーズも他の映画も、「創作特攻文学」という新たな視点で見ると、たくさんの発見がありました。第一作〈ゴジラ〉を見直して、めちゃくちゃ感動しちゃったり。また、対話する中で次々に出てくる「はて?」が膨らみ、広がり、新たな発想を捕まえるワクワクが止まりませんでした。

 それから、ジャッジを目的とせずに「あーだ、こーだ」とひたすらキャッチボールするような対話は、いつからぶりだろうとも思いました。感じたことを言語化し、その芯がブレない言葉でもって相手に伝える、相手の言葉を咀嚼し、自分の内に巡らせて考えるという「あーだ、こーだ」が、別世界への架け橋になるのかなあと思います。変な世界に井上さんを連れて行っていないといいんですが(笑)。

井上 ひとりの頭でグルグル考えても、たどり着けなかった世界であることは間違いないです。むしろ、これこそがエンタメの正しい鑑賞法なのかもしれない。読者のみなさんがこれに触発されて、「私(たち)が何に・どこに感動したのか」をめぐるおしゃべりがあちこちで始まれば、これにすぎる喜びはありません。

 坂元さんはこの連載をふまえて何かやってみたいことなどありますか?

坂元 私はこの連載を始めてから、戦死した父方の祖父のことをちゃんと知りたいと、やっと真剣に思い始めました。祖父を直に知る人がゼロになる日は、間近です。地方の農家から旧制高校に入り、東京帝大を経て国策会社に職を得るという当時のエリートコースを歩んだ祖父が、なぜ徴兵ではなく応召によって鹿児島沖に沈んだのか。何を思って戦地に赴いたのか。残された妻子は、どう感じたのか。対話と資料から、祖父の姿を描きたいなあと考えています。

 さらに「感動の構造」を見出したことは、私のライフワークであるがんサバイバーについて書くことに大きな影響をもたらしました。「死」がつきまとう人を物語るとき、私は常々「感動を煽ってはならない」と肝に銘じています。いかに「感動の構造」から逃れながら、読まれる物語を織り上げるか、カタルシスがゼロのラストまで読者に付き合ってもらうかというのは難しいのだなあと実感することになりましたが、トライし続けたいと思います。

 そういえば、〈宇宙戦艦ヤマト〉は今年テレビ放映50周年です。山崎貴監督の特攻文学論、まさに時機到来です! 

井上 最後に、ぼくたちがこの連載でフィクションの世界を相手にやってきたことと、現実世界で起きていることとの関係について一言述べておきます。

2023年10月7日、イスラエル軍がガザ地区の高層ビルを攻撃
(撮影:Ali Hamad of APAimages, for WAFA)


 現実の世界ではウクライナやパレスチナのガザ地区が戦場になって、多くの市民が犠牲になっています。あるいは日本の近隣でも台湾海峡や朝鮮半島のように軍事的緊張が高まっている地域もあります。

 そんな大変なときに、「特攻」だの「祖国」だの呑気に映画談義をやっている場合か、と思われるかもしれません。現実はフィクションとは違うんだぞ、というわけです。

 でも、そうでしょうか。「現実はフィクションとは違う」という人は、「現実」のなかに「祖国の想像力」をカウントしているでしょうか。

 「祖国の想像力」は、現実の世界を動かし、多くの人びとに命をかけさせる、きわめて現実的な力です。にもかかわらず、今の日本では、学校でも報道でも、誰もその原理や使用方法を教えてくれません。それを知るはずの保守派もリベラル派に通じる表現で言語化できていないのです。

 その難問を解くカギは、エンタメのなかに隠されている。「祖国の想像力」が閉じ込められたエンタメ――それが創作特攻文学映画です。こと「祖国の想像力」に関していえば、日本ではフィクションの世界をくぐり抜けないと現実世界のリアルをつかむことができない、といってもいい。

 というわけで、この連載は、現実世界で起こっていることを真面目に考えたい人にこそ、届いてほしいと思っています。

戦死したウクライナの英雄、ドミトロ・コッツィバイロ指揮官の葬儀(2023年3月10日)写真:ウクライナ国防省提供
「この戦争を終わらせるのは私たち自身、勝利するのも私たちだ。その勝利のためにこそ、私たちは最高の代償を払う。お母さん、私たちはあなたの悲嘆をわかっています。大切なのは彼のことを忘れないということです」(オレクシー・レズニコフ国防相の追悼より抜粋)

 全19回の連載を最後まで読んでくださった読者のみなさまに心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。


※タイトル画像について

アムステルダム国立美術館所蔵、Abraham Allardによる「Balans van Oorlog en Vrede(戦争と平和の天秤)」(1709)。1709年のスペイン継承戦争中のヨーロッパ情勢を寓意的に描いたもので、中央の大きな天秤は戦争と平和を天秤にかけている。手前には戦争の犠牲者たち。


◎著者プロフィール

井上義和:1973年長野県松本市生まれ。帝京大学共通教育センター教授。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程退学。京都大学助手、関西国際大学を経て、現職。専門は教育社会学、歴史社会学。

坂元希美:1972年京都府京都市生まれ。甲南大学文学部英文科卒、関西大学社会学部社会学研究科修士課程修了、京都大学大学院教育学研究科中退。作家アシスタントや業界専門誌、紙を経て、現在はフリーのライターとしてウェブメディアを中心に活動中。がんサバイバー。


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