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風景のレシピ | nakaban

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私たちは本当には何を見ているのか――「旅と記憶」を主題に絵を描く画家のnakabanによる、風景画へのまったく新しいアプローチ。人が世界をどう見て、どう捉え、どう表現するかという… もっと読む
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風景のレシピ あとがき|食べられないドーナツ|nakaban

食べられないドーナツ 自分とは「誰」なのかを言い表すことは難しい。 名前、社会的な肩書きや仕事歴を書き出すことができても、それが自分です!と宣言するには心許ない。 それ以外には何もない。せめて、ここから見えるわたしの周りのものはあなたにお伝えすることができる。 テーブルや積まれた本、段ボール箱が見える。描きかけの絵がたくさんあって、ワットの足りない暗い電球がぶら下がっている。 なんだかそれら全てが、わたしの内面をさらけ出しているように見える。恥ずかしい……。 そのような感じ

風景のレシピ #70 “Here”| nakaban

風景のレシピ #70 “Here” 1.長い徒歩旅行の中で立ち止まる。 2.手を見つめ、じーんと響く毛細血管の振動を確かめる。 3.その手で足下の土を拾い上げる。小石が混ざっていてもかまわない。 4.土の重みを感じながら、深く呼吸する。   その息が風に乗り、どこまでも届くことを思い浮かべる。

風景のレシピ #69 “燈刻の部屋”| nakaban

風景のレシピ #69 “燈刻の部屋” 1.がらんとした部屋を作る。時はマジックアワー。窓をふたつ開ける。 2.夕暮れのやさしい空気を漂わせる。   窓の外に庭の気配をひろげる。   室内は徐々にひんやりとさせていく。 3.室内にはテーブルと一脚の椅子を並べる。   鉢植えをいくつか、床や窓際に置く。 4.不思議に開かれた本をテーブルに立てる。 5.庭の向こうに隣の家を建て、灯りをともす。   かすかにスープの香りが漂ってきたら、出来上がり。   

風景のレシピ#68 “盛夏”| nakaban

風景のレシピ#68 “盛夏” 1.空を広げ、その青が深くなるまで天日にさらしておく。 2.空にたくさんの雲を流す。   手に届かない高さにある水分と冷涼な風を雲に振りかける。 3.登り坂をバターナイフで盛り、道の左右に青く染まった郊外風の町並みを並べる。 4.家々に樹木を添え、風に揺らす。   日陰でしばらく休んだ後、坂を登ってあの日に無くした落としものを取りに行く。

風景のレシピ #67 “眠りの運河”| nakaban

風景のレシピ #67 “眠りの運河” 1.瞬く星空の下に、建物を並べる。   夜光の放つ不思議な色で、その界隈を包む。 2.縦横に運河を通し、丁寧に河岸を整備する。   所々に河べりに降りるための階段をつくる。 3.ボートを一艘水に浮かべる。   ボートの中で、誰かが眠っている。 4.今日は、役立たずの街灯を立てる。 5.星のいくつかをつまんで、水面に軽くふりかけて、出来上がり。

風景のレシピ #66 “せとうちぐらし”| nakaban

風景のレシピ #66 “せとうちぐらし” 1.静かな朝の海をひろげる。 2.陸地を配置して、たくさんの入江をつくる。   海辺にはいくつかの集落をつくる。   集落の後ろには、こんもりと緑の茂った山を盛り上げる。 3.掘られた海を、ゆっくりと埋め戻していく。   大きな船は通れなくなるが、夢のような生態系が復活する。   海岸線のうち、木々と海が触れる場所をたくさんつくる。 4.山を覆ったソーラーパネルをひとつひとつ剥がしていく。   毒性のあるパネルの廃棄がとてもむ

風景のレシピ #65 “砂漠の彼方の町”| nakaban

風景のレシピ #65 “砂漠の彼方の町” 1. 砂漠に陽炎をたて、町の輪郭の蜃気楼を映し出す。 2.その輪郭を徐々にはっきりさせてゆく。   レンガ積みの円筒形の建物にドームをかぶせ、それらを回廊で繋げる。 3.200年前の昔日にさかのぼり、路地という路地じゅうにオリーブの木を植える。   今では木はすでに古木となっており、降り積もった銀の葉は土となっている。 4.優しいオパール色の夕空で天を覆う。   古びたレンガを補修し、ドームの頂点のアンテナを磨いたりする。  

風景のレシピ #64 “自転車の男”| nakaban

風景のレシピ #64 “自転車の男” 1.どこかへ自転車を走らせる男を配置する。   彼のために、適度の起伏のある道を用意する。 2.道の左右には広大な荒地をひろげ、朝の光を全体に振りかける。 3.激しい海風を吹かせる。   風と塩に長年耐えてきたような無家をぱらぱらと配置する。 4.地平線の彼方から雲ひっぱり寄せる。その影を荒地に落とす。 5.あの自転車の男のように、道の向こうに行きたくなったら、できあがり。

風景のレシピ #63 “海岸の並木道”| nakaban

風景のレシピ #63 “海岸の並木道” 1.靄のかかった憂鬱な休日をよく練り、四方に伸ばす。   硫黄色の空には波状雲をたなびかせる。 2.どこかへと続く道を通し、低めの堤防を添える。 3.背後に高く切り立った崖をダイナミックに並べる。 4.道に沿えるように街路樹を植えていく。   できあがった並木に呼応するかのように、堤防にかもめを並べていく。 5.並木の背後に家を一軒建てる。   あなたの友人の家である。   波の音がそこかしこに鳴り響き、海風が薫れば、できあが

風景のレシピ #62 “Aquarium”| nakaban

風景のレシピ #62 “Aquarium” 1.ひとつの町をつくる。   地図を描くように始める。通りや塔のある建物、広場をつくる。   看板を飾り、街灯を立てる。   人や車は配置しない。 2.日が沈んだころ、その空間にミネラルたっぷりの海水を流し入れる。   しばらく経つと、海底となった地面から気泡が立ち昇りはじめる。   街灯や窓明かりの光源はそのまま点くにまかせておく。 3.地中海のいわしの大群を遊泳させる。 4.月を水に浮かべる。   光がいわしの背中や建物

風景のレシピ #61 “TREE HOUSE”| nakaban

風景のレシピ #61 “TREE HOUSE” 1.朝露をよく含ませた朝をひろげる。 2.無数の針葉樹を植え、朝の光をふりかける。   樹間から漏れ聞こえる鳥たちの歌を聴く。 3.多くの木を利用して足場を組む。   釘は使わないように工夫する。 4.足場の上に家を組み上げる。窓やドアを忘れないように。   ドアの前に都会から運んで来た植木鉢をひとつ置く。   デッキに穴を開け、梯子をおろす。 5.暫くの時の間を置き、森の苔で家が覆われたら、できあがり。

風景のレシピ #60 “マイクロ三輪トラック”| nakaban

風景のレシピ #60 “マイクロ三輪トラック” 1.明るい日差しに覆われた裏通りの空間をひろげる。   通り沿いに白い壁の民家を並べる。 2.モザイク模様の石畳を好みのデザインで敷き詰め、よく踏み固める。 3.旧式のマイクロ三輪トラックを路肩に停める。 4.明るい色の植物を好みの場所に一群生ける。   窓辺に花を飾り、石畳に花びらをふりかける。   休むための日陰の納屋を建て、アーチ越しにその風景を眺める。

風景のレシピ #59 “Watch”| nakaban

風景のレシピ #59 “Watch” 1.職人となって腕時計をデザインし、組み立てる。   文字盤、針、りゅうず、覆い、金属部分、ベルト…。 2.一晩寝かせておいた街角の空気を静かにひろげる。 3.時計を手首に巻き、その街角の雑踏に佇み、時を確かめる。

風景のレシピ #58 “個人史的な楽器店”| nakaban

風景のレシピ #58 “個人史的な楽器店” 1.薄明かりに覆われたアーケードの内側の空間をつくる。   足下には石畳を敷きつめる。 2.埃っぽいショウウインドーのある店舗を建てる。   ウインドーの内側には、ガラスの飾り棚を取り付ける。 3.自分の人生を振り返って、思い入れの深かった楽器を並べる。   木のやさしさ。   鉱物の透徹。   皮の哀しみ。   プラスチックのあどけなさ。