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愛犬の旅立ち。また会う日まで

大好きな愛犬ララが、空へ旅立ちました。
1週間ほど前のことです。

1日、2日、3日…と、ララがいない日を過ごし、
不在の日常をどうやり過ごすか、試行錯誤しながら、1日1日をやっと終えています。

ごはんをあげたり、遊んだり、おしっこシートを替えたりといったことが不要になった朝は、出勤前の時間が余りすぎて、調子がくるってしまいます。

寂しさ、悲しさの量は、まだまだたっぷりあって、
写真を見ては、一緒に歩いた道を通っては、
ふとしたときに洪水のように涙があふれてきます。
まだ1週間、しょうがないですよね。
 
わたしがどれだけ深い悲しみを感じたとしても、ララにとって何かプラスがあるわけではない。
それは十分わかったうえで、悲しんだり、寂しがったり、後悔したり、途方にくれたりしています。

苦しいけれど、そんな時間も大切に、しっかりと、味わっておきたい。
そう思っています。
 
ララが旅立った翌日だったか、
まだ悲しみに七転八倒しているときに、たまたま知人のSNSで、同日に愛犬を亡くしたという投稿を目にしました。
そこには、最期の日々の過ごし方について、
「探さないとみつからないほど後悔がない」と書かれていました。
 
おどろきました。
そして、とってもうらやましく思いました。
すごいな、素晴らしいな。
 
そして自分に目を向け、とても情けなく感じました。
正直言って、私の心境は、それにはほど遠いものだったから。
後悔だらけで、未練たらたらで、涙も鼻水もだらだらだったのだもの。
私は、なんて未熟モノなのだろうか。

一方、ララは、最期までとても頑張りやさんでした。
頑張りやさんで、かわいくて、愛らしくて、やさしくて、あったかくて。
それは、出会ったときから、お空に行っちゃったあの日まで。
いや、今もそうかもしれません。

何かで、糸井重里さんが、
「犬の正体は、犬というカタチをした『愛』」と言っていましたが、
ララと暮らしていると、毎日それを実感していました。

本当に、愛そのもの。
涙が出ちゃうほど、愛。
愛のかたまりなのです。

ララの体がなくなっても、その愛が残っているのがなんとなくわかります。
寂しくなった家のなかにも、
わたしのこころの中にも、
パートナーのこころの中にも。

ララ、ありがとう。

そのかわいさや、やさしさ、存在のありがたさに、
元気なときも、いつも「ありがとう」と言っていたけれど、
旅立ってからも、
毎日「ありがとう」と言ってしまいます。
出会ってくれて、一緒に過ごしてくれて、
笑顔と愛をいっぱいくれて、
ありがとう。

まだ、ふたりぼっちの生活には慣れないし、
さみしさがとてつもなく大きいけれど、
もう少ししたら、楽しい思い出ばかりが浮かんでくるようになるのかな。

早く、またわたしたちのところに戻ってきてね。
映画「僕のワンダフル・ライフ」みたいに。
姿が違っても、わたしたちは、きっとすぐ気づくよ。
ララだ!って。


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