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「え、私も業界人!?」と入ってみたら見えた世界

今日は私が"業界人"になりたくて、インタビューまで携わるようになった話を。

その業界との出会い

私がその業界を意識したのは8年前。
なんと「お母さん業界」という世界があったんです。

「お母さん業界」を知った当時の私には、かなりインパクトのある言葉でした。

そしてかれこれ9年、もうすぐ10年になる業界人なんですが、新米の頃は絶望感でいっぱいで。

絶望感の理由

というのも、若い頃「バリバリ仕事するぞー!」と深く考えずに突き進んでうつ病になり、バリバリとは程遠い仕事にいわば負けた感で転職し、引っ越しが必要な距離の人と結婚を機に退職し、引っ越し先で職探し中に妊娠がわかり…。

客観的に見ればとても恵まれているのは十二分に自覚しつつ、「バリバリ仕事したかった」という気持ちを解決できないまま、子育てが始まってしまいました。

夫婦どちらの地元からも遠く、私にとってほぼ知らない夫の勤務地で、子どもの命という大きな大きな責任が24時間365日ついてまわる毎日。

生後半年頃から夜中に起きる回数は増え、さらに一時期は離乳食もミルクも完全に拒否で、生命線は私の母乳のみというプレッシャー(この期間は栄養が足りるだろうかとホントに不安でした)。

授乳と寝不足で疲労困憊、検査でも原因がわからない深刻な息苦しさも経験(そのことも書き始めると止まらなくなるのでまた今度にします)。

そして、何よりも家事向いてないし好きじゃなかったんですよね。

子どもはもちろん大切だけど、楽しむなんてできず子育ても向いてる気配ゼロ。

だからと言って、今すぐ仕事に出るのも、夫は反対だし、自分でも体力的、精神的に踏み切れない。

役立たずな自分。
仕事もしてないのに、家事も育児もなんにもできないダメなヤツ。

ずっとそう思っていて、なんだか霧の中にずっといる感覚。

『何もできないという価値』に出会う

そんな時、SNSで『何もできないという価値』という記事が流れてきました。

『何もできないという価値』

今日もお皿も洗えずに子どもたちと寝る。

夜中に起きて、山になったシンクからなるたけ音を立てないようにと洗っている最中、1歳の次女がグズグズと起き出す。

ヨシヨシと声をかけておっぱいを飲ませると、すやすやと寝る。
仕事をしようとパソコンに向かうと、またグズグズッと泣き出す。

オッパイをコクコクと飲み、スヤスヤと寝始める。
よしよしとまたパソコンに向かうと、10分もしないうちに、またグズグズッと動き出す。

「はーい」と返事をしてきりがいいところまではとパソコンに向かうと、ピーピーと泣き出した。

「ハイハイ、ゴメンネー」とパソコンに向かうのは観念して横になる。

頭の中は仕事のことでいっぱいだが、一度仕方ないと観念すると、娘の手の動きや様子が見えてくる。

コクコクとおっぱいを飲みながら、小さな手を伸ばして私の顔を触る、鼻をつまむ。

決してマッサージのように心地よい触り方ではないけれど、観念した私には、お母さんの心が広がっていく。

あー、と愛おしくなる。

また今日もなにもできんかった。

皿も洗えない。
洗濯もたためない。
パソコンにも向かえない。

できることは、ただただお母さんを感じることだけだ。

言い訳だろうか。
いや、そうではない。

お皿を洗うことよりも、洗濯をたたむことよりも、パソコンに向かうことよりも、大事にしたい「今」。

ほら、ほら。
また「ママ」って呼んでいる。

池田彩さん(福岡県久留米市)/お母さん業界新聞

これを読んで
「わー、私だけじゃないのかもしれない。

これを書いた人は、きっと私より家事も育児もできてるかもしれないけど、でも同じような気持ちあるんだな。」

…とじわじわ、安心を感じました。

当時の紹介文をよく見ると、『お母さん業界新聞』『お母さん記者』『お母さん大学』という見慣れない組み合わせのワードがいくつも。

お母さん業界?
業界として認識されてるの?
っていうか、私、業界人じゃん!!

そこからはどんな新聞か、どんな人が読めるかなどすぐ調べました。

いよいよ業界人に!

なんと、購読すれば記者にもなれると知り、記者の登録をして、娘の記録を書いてみることに。

娘の記録をと書き始めてみたら、私自身の人として親としての気持ちを書くことのほうが断然多くなっていきました。

また、1記事書くことでささやかな達成感を感じられて。

何にもない、役に立たない、未熟な母でも、こうして記録は残せる。
しかも、書くことは昔から苦じゃない。

そして、ダメエピソードのほうがなぜか喜ばれる(笑)。

だから恐る恐る、子育てを通して感じた嫌な気持ちや葛藤、時々味わうハッピーな気持ちを綴ってみる。

ときおりお母さん業界の業界人たち(記者仲間)からのコメントも「一人じゃない」と感じられて、嬉しい。

さらに全国版の紙面に載ると「やった〜」と小躍り。

日本のあちこちに、娘と私を見守ってくれる遠い親戚ができたような感覚もありました。

ちなみに、お母さん業界新聞の母体がお母さん大学。
ホンモノの大学ではないのですが、
「キャンバスは家庭、先生は子ども」
「ペンを持とう」

が合言葉。

お母さんが子どもを通して、何か学ぶ、つかむ。
何を学び、つかむのかは人それぞれ。

正解はないですが、書こうとすることでどの人も子どもへの向き合い方は変わっていくんですよね。
急変というより、気づいたら変わってた、という地味なスピードで。

さらにちなみに、お母さん業界新聞には、全国版の他に「わたし版」と呼ぶいわば小さな姉妹紙がたくさんあります。

記者のうち希望者が、自分のつけた名前の新聞を作っていいことになっています(月1回発行、B4裏表というルール以外は基本自由)。

娘が3才になった頃の2017年末から、私も「あつぎ版」と名付けて思い切って作り始めました。

なんのツテもなくゼロから交渉して、市の施設や周辺のお店に置いてもらう大変さと面白さを体験しました(お母さん業界新聞の本部は助けてくれない(笑))。

この過程すら、子育ての糧になるし、つながりを作って行くことも子どもの育てやすい環境を自分で作ってくことになる。

そんな、よく言えば自主性を重んじる、悪く言えば放任主義なスタンスも、お母さん大学の好きなところ。

そして、このあつぎ版をきっかけに、「この人の話を聞きたい」とママカメラマンさんや地域の書店さんなどインタビューを企画して書くことになり。
インタビューライターの原点がこの新聞なんです。

何がどう転ぶかわからないものですねぇ。

その後、2人目の妊娠期につわりがひどかったことと、出産後は2人育児とコロナ禍で余裕がなく、2019年に出したのを最後にあつぎ版は終了することに。


あつぎ版ほんの一部。
すごく大変だったけど構成やデザインや
考えるの楽しかった〜


終了はしましたが、今もあつぎ版で知り合えた方と細々とですが交流もあり、思い切ってやってよかったと思っています。

…そんなこんなで、今もお母さん業界新聞のウェブ上の記者活動は続けています。

今年でもう8年目!?

娘の小さかった頃と比べて、今の更新頻度が低いのはご愛嬌。


最近は正直、note一本で書くほうがラクだと迷いもあります。

でも母として、インタビューライターとしての原点であるお母さん業界新聞は、私にとって大切な港のような場所。

だからこれからもやっぱり書き続けようと思います!

▼いつもいいお姉ちゃんな娘と出かけて思うこと。今日書きたて。

▼新聞掲載!
子どもと出かける時の荷物で、成長を感じた話。

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こちらは、#ことばと広告 さんからお題をいただいて書いてみました^ ^

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