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Soft Rock Top 25位~21位


25位 Odds & Ends「Goodbye Summer Love」

フィリピーノ系Soft Rock最高峰!!!

 亜モノSoft Rockファンというよりは、むしろB5のコアなファンからやたらと注目度の高いフィリピーノ系Soft Rockグループ【Odds & Ends】。語呂の良さでレコード会社から命名されたのか、自ら名付けたのかは詳細不明ですが、直訳すると「半端物」「残り物」「がらくた」を意味する慣用句。 
 彼らがリリースした数少ない作品群は、その高品質な内容に反して全く注目を浴びず、辺境の地に追いやられてしまい、奇しくもグループ名通りの結果を招くことに…。さらには、世界中に同名グループが数多く存在していることもあり、彼らのネガティブな【Odds & Ends】要素が良くも悪しくも強めている節があります。しかしここでは「残り物」には福があるということでポジティブに捉えていきたいと思います。

裏ジャケ

 1960年にRCA Victor Internationalからリリースされた1st Album『S.T.』は3声のHarmonyを活かしたOldiesスタイルでしたが、70年代初頭(正確な年代不詳)に発表された『I Need You』では、そのHarmonyに磨きが掛かり、さらにモロB5のハモリを意識したSurf Harmony的なサウンドを展開。特にオリジナル・ソングは正統派B5フォロワーもぶっ飛ぶ悶絶級大名曲の嵐。正直このグループ名からは全く想像も出来ない程に研ぎ澄まされた音楽性を魅せており、一部のSoft Rockファンだけに知られている現状があまりに勿体無さ過ぎます。疑いを掛けているそこの御仁!!まずは「All Of My Love」と「Goodbye Summer Love」の2曲を聴いてみましょう!!

24位 The Munx「So Much In Love」1968年

DJ界隈でも大人気の1枚!!

 1964年に結成された米国オハイオ州サンダスキー出身の5人組Garage RockバンドThe Munx。地元のマイナー・レーベルClevetown Recordsから1966年にデヴュー・シングル『Our Dream / Girls, Girls, Girls』をリリースすると見事にスマッシュ・ヒットを記録。これにより人気爆増した彼らは活動継続を余儀なくされ、在籍中だったLorain Community大学近郊に活動拠点を移すことに。ライブ演奏を地道に続けながら活動してきた彼らは1968年1月『Sometimes I Dream/ It's Too Late For Love』同年10月『So Much In Love/ Why Did You Run Away?』と、2枚のシングルを発表後にリーダー格だったドラム担当のRobert Bensickが脱退。翌年に彼が再加入した際にバンド名をThe MunxからSheffield Rushに改名するも、度重なるメンバー変更の末、1970年の夏に正式に解散を表明。

オハイオ州きっての田舎町だけあって、ルックスも芋臭抜群!!

 The Munx名義でリリースした3枚のシングル計6曲のうち、5曲はギター担当のTom Smithによるオリジナル。比較的オーソドックスな60’s Beat Rock然としていて、各所でGarage Rockとカテゴライズされるのが不思議なくらいにキャッチーなメロディとSoftなコーラスが特徴的で、サウンド的には英国のThe Montanasに近い印象。
 で、残りの1曲が唯一のカバー・ソングで、The Tymesの大ヒットで有名な「So Much In Love」。Jay & The AmericansやTimothy B. Schmit、The Ray Conniff Singersを筆頭に、数多くのカバー・ヴァージョンが存在しておりますが、The Munxヴァージョンでは甘くポップな味わいを残しつつも、美麗なコーラスと軽快なビートにより、爽快にアレンジした疾走系Soft Rockナンバーに仕上がっており、完成度の高さが異常レベルなので、何度リピートしても踊れます。『Record Hour』に選出されるのも納得の出来。

23位 Charlie's Men「Charlie's Tune (Vocal)」1974年

オリジ・スリーヴが既にお洒落!!

 米国大手化粧品メーカー【レブロン(Revlon Incorporated)】は、主にスキンケア・メイクや香水を取り扱う国際的なコスメ・ブランド。「女性の夢とあこがれを商品にする」という企業理念を掲げる創設者Charles Revsonの名に、ネイルエナメルの開発に貢献した科学者Charles Lachmanの頭文字である「L」を取り入れて「Revlon」という社名になったそうです。1932年創業以来多くの女性に支持されてきたレブロンは、フェミニスト意識がポップ・ カルチャーの頂点にあった70年代初頭に香水ブランド「Charlie」を売り出します。創設者Charlesの名にちなんで名付けられた「Charlie」は、NY州ホワイトプレインズ出身の女優兼スーパー・モデルのShelley HackをTVコマーシャルに起用したことで話題になり、当時世界で最も売れた香水になりました。

当時のShelley Hack。この美貌で身長170cmはハイスぺ過ぎ!!

 一方で働く若い女性をターゲットにした販促活動が、過度なフェミニズムを想起させるとのことで、物議を醸したり、アンチ・フェミニストからの抗議もあったそうです。そんな騒動や「女性向けの商品を扱うブランド」ということもあり、何かと「女性」のイメージが強いのですが、当時のCM用に使われていたジングルは意外にも男性ヴォーカル物でした。
 「Charlie」発売の翌年(1974年)に販促用ノベルティー・レコード(EP盤)『Charlie's Tune(Charlie's Men名義)』が自主レーベルにてリリースされます。初代Charlie Blueに合わせてジャケットは青色で、珍しい封筒型の仕様となっており、裏面に歌詞・表面にはレコ ードの形に合わせた十二支円盤が描かれている等、とてもお洒落な作りになっております。

裏面は歌詞記載の封筒型。

 肝心の内容は両面共に同曲名にして同様のメロディ・ラインですが、サウンド・アプローチは異なっており、A面はThe Four Freshmenを彷彿させる男性ヴォーカル・スタイル。 非常に軽快で上品なジャジー・Soft Rockといった趣きで、濃厚なHarmonyが聴き応えあり、特に演奏面で洒落たセンスが冴え渡る快作な仕上がりになっております。B面はインスト・ヴァージョンで、クール・ボッサなムード・ミュージック系ラウンド・ジャズなアレンジに。両面共に好内容のWサイダーにして、極上ジャジーSoft Rock!!!

22位 The Chuckles「Never」1968年

Mike HurstがプロデュースにPaddyが作詞作曲とか豪華過ぎ!!

 同名グループが数多く存在するThe Chuckles。Teddy Randazzoが在籍していたThe Three Chucklesが知名度的には飛び抜けてはいますが、ここで御紹介するのは英国Manchesterが生んだ短命にして最強のMersey Beat系Soft RockグループのThe Chuckles。何とお隣のLiverpoolにも同年代にThe Chuckles成るグループが存在していたので混同しない様に御注意をお願いしたいです。
 で、何故 ManchesterのThe Chucklesが最強かと申し上げますと、彼らの活動期間は1966年から1968年のたった3年間という短命バンドだったのにも関わらず、熱狂的なファンと欧米諸国に圧倒的なインパクトを残したから。その要因は3つあり、①Summer WineやShowaddywaddyでも著名な英国Harmony Scene最強プロデューサーMike Hurstが彼らの シングルをプロデュースしたこと。②孤高のSSWにして俳優兼大物プロデューサーとして後に大成功を収めるPaddy O'NeillことChristopher Neilが在籍していたこと。③George Grayによる好采配。
 ①②はもはや説明不要かと思います。③に関しては、当時のマネージャーであったGeorge Grayが、同郷Manchesterで人気を博していたDixies Dont's のイケメン・ヴォーカリストPaul Goetzを無理やり引抜き、童顔フェイス担当のPaddyとの2枚看板をセンターでの立ち位置に抜擢したことで、ティーン女子の心を鷲掴みしたことを意味します。この采配が功を奏し、地元のライブ・ハウスでは毎回怒涛の熱狂全快で、ライブ中に観客からシャツを引っ張られ、演奏を中断して2人を救出せねばならないことが度々ありました。そして彼らの人気は高まるばかりで、あっという間に英国を飛び出し欧州諸国へライブ遠征まで実現したそうです。

前面2人(Paul&Paddy)が看板アイドル!!

 ライブ演奏がメインの活動としていた彼らはSet Listのレパートリーは十分にありましたが、結局正規リリース出来たのはEP盤3枚のみ。当時リアタイで生演奏を聴いていた叔母様曰く【Mods Psyche系British Beat】サウンドの印象が強かったらしいです。確かにBootleg系の非正規盤では「Come To The Sunshine」や「Good Vibration」等、粗削りながらも濃厚なコーラスを主体とした楽曲も披露しておりますが、ややGarage Rock寄りのModsなサウンド・メイクが主体となっておりました。
 実際シングル・リリースされた計6曲を聴いてみると、どれもキャッチーなメロディとPaddyによる甘いヴォーカル、そして濃厚で美しいHarmonyが特徴的で、今聴くと完全にSoft Rock直系と言えるサウンドになっております。Soft Rockファンの方々にお薦めなのは、極上の激甘バラード「All That I Can Say」やモロHarpers BizarreなSunshine Pop「Make Love To Life」、哀愁のメロディが胸を付くミディアム・バラード「I Thought You Thought」辺 り。そして個人的に激推しなのが、至宝級のメロディ・メイカーであり、甘いハイトーン・ ヴォイスの持ち主Paddy O'Neillが本領発揮した屈指の大名曲「Never」。憂愁にしてSoft & Mellowなイントロから、サビで爆発する胸キュン・ポップな展開。濃厚Harmonyでグイグイ攻めてくる爽快感が激ヤバです。

21位 Tony DeFranco「Venus」1976年

完全Naturalな《美声》が劇的にレベチ!!!

 イタリア系移民の両親の元に生まれ、カナダ・オンタリオ州ポートコルボーンで育った伊系カナダ人によるファミリー・グループThe DeFranco Family。メンバーはBenny(ギター担当) ・Marisa(キーボード担当) ・Nino(ギター担当) ・Merlina(ドラム担当) ・Tony(リード・ヴォーカル担当)の実の兄妹5名により構成され、1972年に結成されました。The DeFranco Quintetと名乗っていた極初期時代に、ティーン向けの人気雑誌『Tiger Beat』の編集⾧ Sharon Leeが彼らのデモテープを聴いたことがきっかけで、20th Century Recordsとの契約を交わしレコード・デヴュー。1973年にリリースした1stデビュー・シングル「Heartbeat, It’s a Lovebeat(邦題:恋のハートビート)」が、米国でBillboard Hotチャートで第3位、Cashbox Singleチャートで第1位、母国カナダのTop Singleチャートでも第3位を記録し、計200万枚以上を売り上げ、ゴールドディスク認定。米国のThe OsmondsやThe Jackson5等のファミリー・グループの対抗馬として華々しいデヴューを飾り、一世を風靡しましたが、その大ブームも瞬間風速的で瞬時に人気低迷期を迎え、1976年からはライブ演奏をメ インとした活動になり、1978年には正式に解散を表明。

ボーイ・ソプラノを堪能するなら1st Album(73年作)を推薦!!

 人気低迷最大の原因はThe Osmonds旋風の波に完全に飲み込まれてしまった事と、グループの顔であったTonyの声変わりにありました。デヴュー当時 Tonyは13歳の思春期真只中で、変声期を迎えると1オクターブ程声が低くなり、男らしい声質になるのが一般的。1st Album『Heartbeat, It's A Lovebeat』と2nd Album『Save The Last Dance For Me』を聴き比べてみるとTonyの声質の変化は明々白々。最大の魅力であった高音爽快なハイトーン・ヴォイスを失い、『ボーイ・ソプラノ』のイメージが崩れたことでファン層の注目度も必然的に薄れていった、というのが実情。

1stと声質の異なる2nd Album(74年作)

 で、音楽業界の第一線での存続を諦めた彼らが、最後にファンに残した世界遺産級の置き土産がラスト・シングル「Venus」。こちらはThe Osmonds を手掛けた大御所Mike Curb & Michael Lloydの最強タッグをプロデューサーに迎え、中南米ニカラグア共和国と我が国・日本での二か国でのみで1976年にリリースされました。表題曲はFrankie Avalonが1959年にBillboard Top100 で第一位を記録した「Venus」。丁度同時期に彼がDiscoヴァージョ ンで同楽曲をセルフ・カバーし、リバイバル・ヒットをさせていて、それに合わせた便乗カバーとなっております。Tonyの声質は1974年代と比較すると安定感が増し、大人っぽいMellow感と円熟味が倍増!!声変わりして、むしろ最高レベルな《美声》に生まれ変わっていて、本家Frankie Avalonも最大のライバルであったDonny Osmondも完全に凌駕する歌声を披露してくれています。爽快なアレンジと甘美でSoft & Mellowな世界観を描いた最強のSoft Rock系大名曲として永遠に聴き続けていたいです(涙)


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