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Yogaは身体だけだということ

先日,Yogaの一泊二日での信貴山宿坊のリトリートがあって、それに参加した。その折、最後に『ヨーガ・スートラ』のレクチャーがあった。何が質問はありますかという問いかけがあったので、私が質問した。
次の問いかけであった。

「まことにマニアックな質問なのですが、ヨギーなりヨギー二とっては、言語などはどうでもよくて身体だけが重要と考えているのではありませんか? 私は『ヨーガ・スートラ』を読んでいて、そう感じるのですがいかがでしょうか?」

これに対する答えは、言語にも体にも偏る必要はないし、もともとは1つなのだというのだった。通訳を通じての質問だったので、うまく通じなかったのかもしれないが、もともと体と心は1つというのは当然の前提にしていて、そこからもう1歩進んで、身体のみではないかと問うていたのだ。ヨーガは本当はそう考えているのではないかというのが質問の本意だったのだけれど、通訳自身が何を言っているのかよくわからなかったと後で言っていたらしいから、やはり通じていなかったということが判明したのであった。
そこまでのことを勘案しても、このチリ人インストラクターには、やはりそこまでの考えは無いように感じた。

何のことかサッパリわからないかもしれないので、もっと具体的に私の質問について述べておくと、古代インドのヨーガ学派というものは、インド六派哲学の一つという割には、哲学的ではないし、むしろマニアルばかりの実技のスートラと受け取っていたからだった。

かなり以前に初めて『ヨーガ・スートラ』に接したときには、読めば読むほどヨーガというのは苦しくなっていくのだなぁというように思えて、これでは苦しいばかりじゃないかという印象を得ていた。それがひょんな事からヨーガを習いはじめるようになると、やっている皆さんは決して苦しくなくて楽しんでやっているように映った。もちろん難しいアーサナで、身体の苦痛を訴えている時もあるかもしれないけれど、それは「痛み」であって、「苦しみ」ではないように思える。

どうもスートラと実践では印象が違うようだった。
それは、読解したヨーガと実践のヨーガの大きな乖離であって、印象ががらりと変わってしまった。この違いは一体なんだろうという疑問が私の中でくすぶっていて、それが今回飛び出したと言える。初めて接したヨーガの言語によるレクチャーというので、ついその質問が出てしまったというわけだった。

そのレクチャー自体は、ヨーガの八支則の第一禁戒(ヤーマ)から始まって、その五戒のうちの第一非暴力(アヒンサー)、をめぐって議論していて、その非暴力は物理的な暴力から始まって、言葉による暴力、また悪意をかけるということ、悪意を抱くという事まで拡大されて、その範囲までおよんでいる。小グループに分かれて議論して、それを全体でシェアしたのであるが、我々は少しも実践できていないなぁという結論に終わってしまった。スタートした途端に、終わってしまったようなレクチャーというのか、入口論だけで、質疑応答になってしまったのであるが、ヨーガのアクシスは「三昧」であって、いかにしてその境地に至るかというのが、本質的な問題なのに、はじめの第一歩だけで終わってしまったようなレクチャーになってしまった。なんだかレクチャーというより、初心者向けの注意事項のようなものだった。

話を元に戻すと、問題はそこではないというのは、この三昧に至る過程が言語理解ではないし、まして形而上学も持っていないヨーガにとっては、知解(知的理解)ではなく身解?(身体による理解)とも言えるようなものではないかということなのだ。

ヨーガ学派の形而上学は、サーンキャの借り物だし、八支則についてもとってつけたような階梯だし、ましてヨーガ・スートラ自体がいろいろな断片を再構成して編集されたようなものであるのでスートラと言っているけど短い偈(カーリカ)の集まりであったというのが、本体であるから言語に対するこだわりは少ないように思われる。

もしヨーガが実践者にとって、言葉は何ほどのものでもなく、ましてヨーガ・スートラなど他のインドの学派が同じように作っていたから我々もスートラを作ってみたのだという動機であったとしたらムリヤリのこじつけのように思える。かつ現代においてはこのような伝統ヨーガの下にはなくて、近代ヨーガとも言えるハタヨーガが確立されている。アシュタンガヨガ、アイアンガーヨガ、シュヴァ―ナンダヨガ、などがヨーガとして認知されている。これらは、ビジネスヨーガであって、また違った様相を呈しているわけで、まさに身体技法化したヨーガのみで、そこには瞑想もムドラーも重要でないのかもしれない。
それでもなおかつ吹っ切れて、身体に特化しているとするなら、これは逆に凄いということではないかと感じたのである。

身体によるスポーツ化したのものではなく、また心と身体と切り離した身体上のものとしてのヨーガが、フィジカルなヨーガだとしたら、フィジカルとメタフィジカルを含めた身体、つまり〈身体〉ではないかという期待がそこにあった。
この〈身体〉は理屈はどうでもいいんだ。それより身体を動かすことが楽しい。関節の可動域が1ミリでも広がることが楽しいというものに集約される時、解脱などという心的なものはどうでもいいという気になるヨーガのことだ。

なかなか、その点が伝えられないかもしれないが、デカルトによる心と身体の二元論にかなり近代人は影響受けていて常識だと思っているので、分けて考える習慣がついてしまっている。それでも違和感が生じるので「心身一如」などの言葉でもって心と身体は同じものですよという発言をすることがあるが、本心から言っているようには思えない。口ではそう言いつつもやっぱり分けて考えている節がある。そうではなく、心身一如とは思っていないようなものなのだ。

その語意を調べてみても、心と体は1つ、心と体はつながっているというニュアンスで、「心を変えることで身体が変わり、身体を変えることで心が変わる」とある。つまりつながっているだけで同じとは言っていないのだ。
そこをもう1歩進んで心って身体の別名に過ぎないとする〈身体〉を提案してみたい。
もしそういうものがあるとするなら、ヨーガこそが、そうじゃないかとひらめいたのであった。もしそうなら、デカルトを超えるし、かつ心と身体(ここで言うのは物理的な身体を意味して使っている)にも大きな変革を与えるだろう。

先に身体ではなく〈身体〉じゃないかと書いた。その意味は、今ここに具体的に存在する〈私〉の身体ということを意味していて、ここにもあそこにもあるという身体一般ではなく、この今の私の身体なんだということを意味している。この〈身体〉が感じているし、この〈身体〉が考えているのだ。哲学者永井均の〈私〉と言い換えてもいいようなものなものだ。それを実践してきたのがヨーガではないだろうか? 人知れず山奥で誰にも知られずに、修行に励む、ヨギー、ヨギー二は、言葉を超えていたのではないだろうか。

チリ人ヨギー二は、ヨーガは富裕層のもので、庶民というか大衆は触れることも学ぶこともできなかったのだと述べていた。本当にそうであったかどうかについて知識はないけれど、ともかくまずは食えなくちゃヨーガもできないから、粗食をとおす信念のヨーガですら経済力がないとできないということはよくわかる。どんな修行でも経済力は必要で、世捨て人の文学者の『方丈記』の鴨長明にしたところで、鴨氏からの経済援助がなければ、著作など表せるはずもないから、ヨーガだって、経済力がなければできないのだろう。

信貴山から降りてきて、主催者のヨギーニと話しているうちに解脱したヨギーはいない、いやいるという論争になって、私はヨーガ・スートラに解脱は、転生にあるとあるからこの世での解脱はありえないとした。そう口走った私は、もともと解脱するという心の問題にヨーガは関心を示していないと考えていたから言語上のことだと思っていたのだ。しかし、もしそうでないとすると身体が解脱するという事は、どういうことなんだとまた考え込んでしまった。ヨーガ・スートラに戻ってみると、4章の最後の偈に次ようにある。

4・34独存位とは、真我のためという目標のなくなった三徳が、自分の本源へ没入し去ることである。純粋精神なる真我が自体に安住することだといってもよい。

佐保田鶴治『解説 ヨーガスートラ』

独存位とは解脱のことであったから、目標のなくなった三徳(グナ)は転変が終わって、逆にプラクティへと逆に戻っていって、プルシャへと帰還することを意味している。
この4章はまさに独存位の章なのだけれど、前半で輪廻転生について語り、4・5で「転生によって変わる多くの心の発現の仕方は種々と違っているが、それらの多くの心は唯一の心によって使役されている」とあるので、唯一の心、つまりプルシャに使役されているので、転生によって変わっているうちは解脱はないわけだ。
佐保田鶴治は解説して「転生する間に、あるいは人間になり、あるいは猫になりなどして、その時その時の心のはたらきが違ってくるから、従って、それらのはたらきの主因となる心もそれぞれ違ってくるはずである」と述べている。そうだとすると、輪廻転生はあるとしても、常にリセットされるから、現生での解脱はあり得ないことになる。

実はヨーガ・スートラは4章より構成されているが第1章が最後に成立したという事情があるので第4章の結論を受けて、いやそれでも解脱するというのが1章のスキームなのかもしれないのである。
言語上のスキームのことであって、実際はプラクティへと逆に戻っていって、プルシャに帰還することができたとは思えないので、その可能性はいつか生まれ変わるしかないと考えていたのではないかと思う。


雨雲に覆われているなか、早朝宿坊を濡れた石畳をあるいて護摩堂にいき、そこで、護摩行の炎の立ち上がりをすぐ目の前で接して、圧倒され、その精神状態のまま本堂へと夜が明けきらない前に移動した。本堂は一番高いところにあって、奈良盆地に向かってせり出している。まずは、線香の束を買ってくれた仲間から受け取り灯明で火をつけて、線香をさした。そして、その煙を体じゅうに手でふりかけ、お清めをした。それから、道内の入り、本堂での何本かの読経の後、高速般若心経の読経におどろき、本堂での祈祷をうけた。「戒壇巡り」を終える頃には、すでに洒脱されていた。
 

 この山上でのリトリートが、いかにもある種の神秘的なパワースポットにでも入っているかのような滞在時間だったのであるが、その印象は極めて強く本当に解脱などということが、この生きているうちにあるとは思えない時間となってしまった。
宿坊での大広間での、ヨーガマットを隅っこに敷き、なんとかレッドについていこうとして頑張ったが、途中で断念し、最後だけはともに終わった。不慣れで苦しいヨーガ実施の時間帯だけが、心であり、身体なんだと確信したのであった。
つまり、〈身体〉のみなのだと。



 

 

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