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主体性の回復をめざす 映画『精神』『精神0』からみた山本昌知医師

想田和弘 (映画作家)

 僕が監督した新作ドキュメンタリー映画『精神0』(二〇二〇年、観察映画第九弾、一二八分)が完成した。二月のベルリン国際映画祭で上映され、宗派を超えたキリスト教者が精神性や人間性を重視して選ぶ「エキュメニカル審査員賞」を受賞した。
 本作は5月2日から日本で劇場公開される予定だったが、コロナ禍のため劇場での公開は延期せざるをえず、まずはネット上の「仮設の映画館」で公開がスタートした。しかし緊急事態宣言が解除されたいま、東京・渋谷のシアター・イメージフォーラム等で上映が始まっている。
 『精神0』の主人公は、精神科医の山本昌知医師ご夫妻である。二〇一八年三月、八二歳になる山本医師が突然引退されると聞いて、急きょカメラを回し始めた。あの偉大な山本医師が偉大現場を去られるのであれば、とにかくその去り際の様子をつぶさに記録しておかなければばらない。僕には一種の使命感のようなものがあった。
 同時に僕の頭に浮かんだのは、患者さんたちはいったいどうなってしまうのだろうという疑問である。
 というのも、前作『精神』(二〇〇八年、観察映画第二弾、一三五分)を作りながら、山本医師が多くの患者さんにとって、特別な存在のように見えたからだ。ある意味で彼らの命をつないでいる「生命線」のようにも見えた。
 僕は精神医療に関してはまったくの素人であるが、本稿では、映画作家の立場から観察させていただいた「山本昌知の臨床作法」について書かせていただく。

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当事者主体の精神医療

 結論から申し上げると、「山本昌知の臨床作法」の根幹にある思想は、「当事者主体の医療」であると思う。
 そのことはまず、「こらーる岡山」のネーミングに現れている。「こらーる」とは合唱を意味するが、山本いわく、そこには「患者の声に治療者が声を合わせて合唱を作る」という目標が込められているというのである。
 しかしそれは単なるスローガンではなく、日々の活動で実践されていた。
 実際、僕が診療所での撮影許可を求めた際にも、山本は可否の判断を医師として判断するのではなく、当事者たちに委ねた。こらーるには当事者が中心になって運営する「活動者会議」というものがあり、「想田を受け入れるかどうか」はそこで話し合われたのである。その結果、僕らは「被写体一人ひとりから個別に撮影許可を取ること」を条件に、カメラを持って診療所に出入りすることを許されることになった。 ただし僕はその経緯を、撮影中には知らなかった。
 ドキュメンタリー映画を作る際、僕は先入観や予定調和をできるかぎり排するため、被写体について事前のリサーチを行わない。したがって『精神』の撮影を始めた際、山本やこらーる岡山についての知識はほぼ皆無であった。
 映画が完成した後になって、僕は初めて山本医師と対談する機会に恵まれたのだが、そこで撮影が許可されたプロセスを知って、驚かされたのであった。

想田 ひとつ聞きたかったのは、この映画を撮りたいと申し込んだときに、かなりすんなりと許可を下さったでしょう。リスクもあるかもしれない。何が起こるか分からない。患者さんが動揺されるかもしれないし、これが元で大惨事が起こるかも知れない。山本先生からしたら、僕は「得体のしれない外の人間」ですよね。それなのに自由に撮らせて下さったのは、どんな思いだったんですか?
山本 想田さんが、手順は踏まれると思ったんです。つまり、撮ってもいいかどうか、患者さんに聞かれて撮影するだろうと。想田さんについてはよく知らないけど(笑)、手順を踏んだら、患者さんが決められると思ったのね。想田さんの提案を受け入れるなら撮影は進むだろうし、そうでなければ進まない。当人の話し合いで決められると。そこにこらーる岡山の意味があると。僕が反対しても、当事者がイエスといえば、当事者の決定を駄目だということはできない。だから悩まなかった。
(拙著『精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける』中央法規出版、二〇〇九年)

衝撃を受けた精神医療界

 当人の話し合いで決められる——。
 なるほど、考えてみれば当たり前のことではある。しかし、ここにこそ精神科医・山本昌知の真骨頂があったのだと思う。
 実際、こうした方針を現実に実践できている精神科医は、そうそういないのではないだろうか。特に現代では、施設の「管理者」としての責任が、とかく厳しく追及される時代である。映画のせいで何か深刻な事態が生じた際には、主宰である山本医師にも非難がおよぶ恐れが高かったはずだ。『精神』で僕はまったくモザイクを使わず、被写体の方々には例外なく素顔で出ていただいたので、なおさらである。
 事実、映画を公開した後に一番衝撃を受けていたのは、精神医療の関係者たちだった。各地の上映会へ出向くと、多くのプロフェッショナルたちが僕のところへやってきて、信じられないという顔で「いったいどうやって診療所から許可を取ったのですか?」と聞いてきた。経緯を話すと「奇跡的だ」と言って賞賛する人もいれば、「患者の人権を危険にさらす」と怒りに震える人もいた。これは日本でも国外でも同様だった。
 いずれにせよ、撮影においても患者らの「自己決定権」を徹底して尊重した山本医師のポリシーは、精神医学界ではラディカルなものに見えたのである。

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「いったい誰が、鍵を閉めているのでしょう?」

 山本医師のこうした「当事者主体の医療」の原点は、一九六九年、彼がまだ尾道の精神科病院に勤務していた頃の体験にある。当時その病院は閉鎖病棟が中心だったが、三四〇人もいる患者に対して、医師が山本を含め二名しかいなかった。そのためケアが行き届かず、患者は一日中部屋に閉じ込められていた。鍵が部屋の外からかけられていたため、自分の好きなように庭や廊下へ出ることも不可能だったのだ。
 その状況に疑問を覚えた山本は、毎週一回、最も症状の重い病棟の患者たちと看護スタッフらを集めて、話し合いをもつことにした。テーマは毎回同じ。すなわち「いったい誰が、鍵を閉めているのでしょう?」である。
 すると患者たちは「医院長が閉めているのだ」と看護者側を非難する。逆に看護者側は「患者さんが無断で帰られたりするから、閉めざるをえないのだ」と応酬する。平行線である。しかしそうした話し合いを毎週繰り返すうちに、患者側と看護者側の双方に変化がみられていったという。
 「患者さんの方から、『わしらもまあ、おかしいわな』という話が出てきて。で、看護者の方も『患者さんのためでなく自分らの安心のためにかけとるんだ』という意見が出てきて。そのときにね、『看護者が』とか『患者さんが』とかいうんでなくて、『看護者も患者さんも一緒になって鍵を開けようではないか』ということで、鍵を開けたんですよ。そしたら結構上手くいくわけですわ。その、お互いに関心をもちあう、共通の目標ですな。鍵を開けるという、その目的のためにお互いが気配りすると、うまくいくわけですわ」(『精神病とモザイク』)

 このエピソードで重要なのは、話し合いを看護側だけで行わず、患者も交えて行なったという点にあるのではないだろうか。まさに「当人の話し合い」のすえに鍵が外され、その結果、うまくいった。山本医師の臨床哲学は、この画期的な成功体験によって裏打ちされているのだと思う。
 考えてみれば、精神の病いというものは、人間が自らの精神をコントロールできず自由を失う、つまり主体性を失っている状態だとも言える。であるならば、治療者としては彼らの中に残っている主体性を刺激し、強化し、応援してあげなければならないはずだ。しかし現実には、閉鎖病棟の例などが示すように、治療者によってさらに主体性が剥奪されてしまうケースが多いのではないだろうか。

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診察室での山本医師

 そういう観点から山本医師を観察させてもらうと、彼は日々の治療でも「当事者の主体性の回復」を目指していたようにみえる。
 例えば『精神』では、山本医師の診察室にもカメラを入れさせてもらったが、診察の中で山本が患者に対して必ずと言ってよいほど発したのは、次のようなフレーズである。

 「あなたはどうしたいん?」「あなたはどう思う?」

 このシンプルなフレーズには、どんな薬にもおよばない、特別な効能があるように思う。というのは、当事者の多くは山本医師に確固たるアドバイスを求めてやってくる。彼らの多くはどうすればいいかわからず途方に暮れているので、何かを指示されたくてたまらないような心境で診察室を訪れるのだと思う。いわば自ら主体性を明け渡したいようにもみえるのだ。
 しかし山本は、当事者のそうした願望には付き合おうとはしない。患者の状態や今後の方針などについて問われた際、必ず「あなたはどうしたいん?」「あなたはどう思う?」と聞き返す。投げられたボールを、必ず本人に投げ返す。ボールをどうするかは、山本ではなく本人次第だ。そこで本人は少しハッとする。そして自分はどうしたいのか、自分はどう感じているのか、自分の頭で考え始める。眠ろうとしていた主体性が呼び覚まされるのである。
 少し長いが、そのことがよくわかる場面を『精神』から抜き出して、具体的に検討してみよう。藤井さんという男性の患者さんが診察を受けるシーンである。

山本:教えて、その…状況。
藤井:状況はですねー、あのー落ち着かないんですよ。いらいらしてて落ち着かなくって、昼間こう気持ちをリラックスさせようとするのが難しい。時として、こんなに苦しいのなら、死んだ方がいいかなと思えたりする。しかし、夜になって、両親と三人でお経を唱えるころからは落ち着いて来て。で、そのことを夕べ、夕食のときに父母に言ったら、そりゃあ、仕事の糧がないからじゃあないかと。確かに水曜と金曜は牛乳配達したりやりょうるけれども、この日はこれをする日とかいう、毎日することが決まった生活をしょうんじゃないからじゃないかいうて。
山本:自分ではどう思う?
藤井:まあ、確かにそりゃそうかもしれないけれど、自分が本当にこれをやりたいことをやってれば、毎日、あの、死にたいとまでは思わんじゃろうし。自分がやりたいと思うことを毎日やることができたら…。
山本:夕方、読経する時まで一人じゃな。読経までは。
藤井:それまでは、一人。うん。
山本:それまでが、いけんのじゃな?
藤井:ええ、そうですね。その一人になってる時に苦しいという。こうやって山本先生と会ったりしてるときは楽しい、いうか、落ち着くんですよ。孤立っていうことが、孤独っていうことが、今の僕にとって凄い苦痛、ストレスになっているんかな、思うんです。

 ここで山本は藤井にメモを書いて渡す。メモには、[行き甲斐 居り甲斐]——生き甲斐、と書いてある。

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藤井:行き甲斐・居り甲斐が生き甲斐だと、かつてこういうふうに書かれて僕に渡されたことがありますよね。
山本:生き甲斐のほうなあ、なんかこう、なにするとか。行く目標、短期目標、なんか作れるじゃろうか? 作れるかなあ? 持てる?
藤井:持てる? 持てる…。短期目標いうのはどういう意味ですかねえ?
山本:一週間のうちにこれを仕上げようとかな?
藤井:ああ、そりゃ今のところ僕の頭には全然ありませんねえ。全然ないです。
山本:そんなん、なんかこう好きなこの本を読み上げるんじゃ、とかな。
藤井:ああ、本を読み上げる? なるほどね、ああ、そういう目標でもえんじゃな。
(少し考えて)インターネットのFEBC、あれを続けて二週間聞き続けれるかなあ、どうかなあいう。 真剣に聞くんじゃなく、聞いてるだけでほっとする何かがあるんです、あの番組は。
山本:うんうんうんうん。そんなの定めて、それで僕ら誰でもいいんだけど、「わしゃあ一週間でこれしょうと思ようるんじゃ」「一週間、今週はこれしょうと思よんじゃ」とかいうようなことを話す。話して、話すことによって共有するかたちというか、一緒にはせんけどツーカーになるがあ、分かるがあ。
藤井:じゃからまあ、佐々木さん(こーらる岡山のスタッフ)に言うとか、それでもいいわけですわなあ?
山本:そうそうそうそう。そうすることによって、繋がるんかなあと思うで、人と。人ともまたあとで、どうだったこうだったとかいうて。

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山本医師の「戦略」と「主体性の起動」

 この場面における重要な鍵のひとつは、言うまでもない。山本医師の「自分ではどう思う?」という問いかけである。 山本がそう問うまでの藤井さんは、自分が苦しい心境に置かれている理由について、あくまでもご両親の見解を述べていたにすぎない。というより、ご両親の見解があたかも真理であると、藤井さんは思い込んでいたところがあるのではないだろうか。
 山本はそれにすぐさま気づいたのであろう、「自分ではどう思う?」とすかさず問いかける。それをきっかけに、藤井さんは自分の心に目を向ける。主体性が起動し始める。
 短期目標についても、山本は「短期目標を持ちなさい」とは決して言わない。「短期目標を作れるじゃろうか」と本人に問いかけ、目標の内容についても、あくまでも自分で考えてもらう。映像を見ると、目標を考える過程で藤井さんの表情がみるみる明るくなり、どこかわくわくしているのがわかるだろう。素人考えかもしれないが、このプロセスそのものが治療的に見えるのである。
 しかし、この場面から窺える山本の「戦略」は、それだけにはとどまらない。藤井さんが苦しい理由に、おそらくは「生き甲斐の欠如」だけでなく「孤独感」があると見た山本は、それを解決する一石二鳥の方策を思いつく。つまり「短期目標を作る」だけでなく、それを「他人と共有する」という策である。
 確かに一人で目標を追いかけるよりも、その方が他人と接点を持ちやすくなり、したがって孤独感の解消につながりやすい。そして他人に宣言した以上、目標の追求にも気合が入るであろう。しかもその目標は、他人から一方的に与えられたものではなく、自らの自己洞察に基づいて、自分が主体的に考え決めたものである。この短い診察の中に、幾重にも治療的な構造が効果的に仕込まれているように、僕は感じた。
 山本の診察を漫然と眺めていると、一見彼は眠そうな顔をして患者の話を聞いているだけのようにも見えかねない。しかし映像を何度も見返してみると、実は極めてシャープな技術のある医師であることがわかる。そしてその技術を根底で支えているのは、「当事者主体の医療」という思想だったのである。

 ベルリン映画祭でいただいたエキュメニカル審査員賞は"精神的、人間的、社会的価値に対して観客の感性を鋭敏にさせるような”作品に与えられる。今回の賞は、精神医療に人生を捧げ、患者さんたちとの共生をテーマに生きてこられた山本昌知医師と、そういう先生と共生してきた妻の芳子さんに対して贈られた賞なのではないかと思っている。

(日本評論社『統合失調症のひろば』15号に掲載された記事に加筆・修正しました)。

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