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"声"が"歌声"に変わる瞬間
こんばんは。感動体験からハンドメイドするシンガーソングライター、ソーダ・ヒロです。
今回は『"声"が"歌声"に変わる瞬間』というテーマで考察をしていきたいと思います。
“歌声”とは何か?
よく喋り声と歌声が違う、なんてことがありますが、単に出してる音のキーが高くなってるから『聞き馴染みのない声』=『歌声』なのかなぁ?、とか。
シンプルに文字通り『歌を歌う声』=『歌声』?歌を歌えばそれすなわち歌声?とか、
路上で歌っていた時には、『より高いキーが出ることが上手い証』くらいに思って自作曲のキーはどれも高めにしていました。路上で低めのキーだと通行人やお客さんに声が聴こえず届かない、ということや、「自分の声には感情がない」と感じていた"声に対するコンプレックス"から「声を張り上げれば感情が出るのではないか?」という意識もあったと思います。
でも路上活動がなくなり、ソロになって、改めて自分の歌唱を聴き直した時、楽曲の感想より先に「何かと戦ってるのか?」「これ一体何の競技?」といった高いキーで歌うことに躍起な自分の見苦しい姿ばかりが気になり、、、。
歌声って一体なんなんだろう?
低いキーで歌ってるアーティストの方もいますが、そうした声は聴いていてちゃんと"歌声"と感じられる。
先日書いたブログへのコメントでもいただきました
『音程やリズムがしっかり合っているのに感動しない』という歌唱も確かに存在していて、テレビの歌企画や実際に自分が音程やリズムを合わせることだけに注力して歌ったものには、聴いていて何も思わないどころか逆に雑念すら出てくる。。。
感情を乗せて歌えば"届く歌"になると思ってたんです。でもリスナーの立場で歌い手が感情を乗せてうねるように歌われると、「そっと聴かせてほしいな、、、」と思ったりします。その曲のイメージを作る作業を"聴く側にコントロール権を握らせてほしい"、と思ってしまうのです。
なので、歌い手が歌に自身の感情を込めすぎるのも聴き手にとっては時に"ノイズ"のように聴くことを邪魔する要素になってしまう、と。
でも何も考えず音程やリズムを合わせて歌う歌ですらその"ノイズ"が聴き手に発生してしまうとは、、、。(「空歌いだなぁ、何も感じないなぁ」というノイズ)
そうした時に、歌声とは何をもって"歌声''と言うのだろうか?
“歌声”に対する一つの解答
この疑問に対して一つの気づきをいただけました。
これも前回のブログ記事でいただいたコメントの中で、『草野マサムネさんの歌う姿はただ無表情なのではなく、"想いを馳せている"』という言葉をいただき、ハッとしたことで、
歌声になる瞬間とは、
『その歌の先に届けたい人やものが見えている状態』(※「もの」←物質的なもの以外にも"思い"や"考え"なども含む)
AIができなくて人ができること
そもそも作ったメロディーを音程やリズムを合わせて歌うだけならボーカロイドで事が足りるはず。
でもきっと僕は"人の声"を選んでしまうと思います。
AIができなくて人ができること、
それは『愛する』こと。
“想う”ことが“人らしさ”を作る
自己愛も他者愛も含めて、その対象に対して"想う"ことは人にしかできず、
歌声に感情を乗せることはAIでも可能だと思いますが、感情を付けてる時点でそれすら"違和感"。
"想う"ことの力は、感情を言葉に乗せようと意図しなくても、その場面、その心情に合致した(もしくは強がりのように反発した)感情がひとりでに言葉や声に乗ること。
今生の別れを前にした母と子の「さよなら」という一言に『暗いトーンで』という当てつけ可能なフォーマットから選んだものでその一言を語れるのか。
きっと難しいと思います。
歌を歌うのが人だから、それぞれ個性の違う人だからその声にストーリーが存在し、また何を思い(想い)何を届けるのか、という"想い"とのマッチングが人肌として"温もり"を帯びる。
人の声は“絵の具”
まるでパレットに出した絵の具を筆で混ぜたみたいに、色が濃いところ、混ざり切ってなくて薄いところ、それらは整然としていなくてむしろ散然としていて、
パソコンのイラスト用パレットなら光の色の調合のように混ぜても綺麗な一色一色になりますが、
人の心は絵の具のように混ぜてもムラが出る、でもそこが"味"と呼ばれる"面白み"であり"余地"であり、人が人へ届ける際の心地の良い"ザラつき"になるのかもしれません。
僕がやらねばいけないこと
僕は人として人に届く音楽を作りたい、と思う中で、
それを届ける際の"歌声"に本当の意味でならなきゃいけない。
当然曲を作る工程では体験や出来事から受けた感情をこれでもか!と詰めているつもりではありますが、
それをアウトプットする際の"歌う"ということに対しては、もちろん曲に込めた感情をメロディーとして音程やリズムを忠実に歌わねば、と思います。
その上で、
馳せた想いの先を見つめながら、そのメロディーに身を任せて自分に与えられたこの肉声で歌えたら、と思います。
どういう考えが正解で、何が間違いなのか、
曲を作って歌うことやカバーとして誰かの曲を歌う中で、聴いていただいた方のお声と照らし合わせながら自分自身の体験を増やして進むべき道が見えてくれば、と思います。
まだまだ未完成で道半ばの半端者。
トライ&エラーをたくさん繰り返していけたらと思います。よかったらまた色々教えて下さい!
ではまた!
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