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苦悩と葛藤のヒストリー〜音楽の表現編①〜

こんにちは。音楽によって感動体験を生み出したい、ソーダ・ヒロです。

本日は、5回にまたいで追って参りましたこの"自己紹介"兼、わたくしの過去の失敗と苦悩と葛藤談総まとめ的な記事となります。

前回までをざっとおさらいしますと、何事にも奥手で自己主張のできない少年期、青年期を過ごしますが、音楽との出会いで好転していきます。しかし、これまで抑圧されてきた"自我"が芽生えたことで周りを振り回し、得てきたもの失い、音楽の方向性までもを失い、また孤独となった後、音楽から離れて社会に出ました。ただ、これまで様々な試練から"逃げてきた"自分に対して社会は冷酷なほどその現実を"実力"という形で浴びせます。心身共にボロボロになった時、新たな出会いやそこでの気づきが転機となり、一歩また一歩と歩みを前に進めていくことができるようになりました。
大事なことは、『相手を理解すること』『物事の本質を知ること』『客観性』。
そのことを再度、諦めてきた音楽に吹き込みたい、もう一度音楽に挑戦したい、と人としての成長を音楽にフィードバックしていこう、という心づもりで、今回、『僕が体験してきた中で感じたものを通して音楽を考え直してみた』というテーマで書かせていただき、このシリーズの『完』とさせていただこうと思います。

(前回の記事はこちら↓↓↓↓)


少し長文にはなりますが、お時間よろしければどうぞお付き合い下さいませ。


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『ミュージシャン』の前に『人』として



音楽を届けようとする相手も人間であり、届ける自分も人間なのだ、と。

何を当たり前のことを、ですが、

例えばそれは、住宅地に建ち並ぶ家々はそれ自体まるでプラモデルのミニチュアのようでも、その窓明かりの向こうには人が住んでいる、走っている車は鉄の塊でも、その中には人がいる。
音楽を作り、届ける先にいるのも人である、と。



『音楽の届け先』と『“音楽を作る”ということ』


僕はいつしか"音楽に向かって音楽を作っていた"な、と思います。

このメロディーは他の曲より良いか
他のミュージシャンとかぶった要素がないか
サビでキャッチーなフレーズを使えてるか
意味の通じる歌詞になっているか
etc...

こうした要素ももちろん音楽には必要だと思います。
しかし、それは音楽を送り出す際の"テクニック"であって"本質"ではない。

大事なことは、
『誰に何を届けたいのか』
『自分のどんな感情を表現したいのか』


そうした""の部分があって初めて"テクニック"が活かされるのだと、身をもって体験しました。

今にも見透かされそうな小手先の手法では軽薄な音楽しかできない。

"人として"の僕がきちんと意思を持ち、成熟しなければそれは音楽に反映されないのだと思いました。

あの頃の苦悩と葛藤の正体


中学時代、友達つくりのツールとして始めた音楽。それから高校、大学と地元の友人と組んで行っていたグループでの音楽活動で味わった失敗。そして解散し、ソロになってからの挫折。


あの苦悩と葛藤の正体はなんだったのか?いや、もちろん今も悩み苦しんではいるのですが。。
曲を作っても作っても、歌っても歌っても思ったような評価がされない。思ったような反応が返ってこない。
ソロになっても悲壮感と切実感とが入り混じったようなマイナー調の楽曲しかできない。
コントロールしたいと思った。自分のそういう感情がそのまま楽曲に投影されてしまう部分を。
どうすれば評価される曲が作れるのか、どう歌えば目の前の人に届くのか、どうすればたくさんの方に聴いてもらえる場所に行けるのか、

一つ一つの壁にご丁寧に一つ一つぶつかって、もがいてあがいて、不安で希望が見えなくて、

音楽と距離をとって社会で働いて。


僕は今、僕を取り巻く現状が何も変わっていないことを理解しています。

理解した上で、以前より前進できている実感を少しだけ感じています。


それは、『音楽自体を理解すること』に時間を費せたから、です。

いや、そんなことを言っても何か結果を残せてるわけではないのですが、、。

以前の僕の悩みの全ては、"音楽という表現がすでに存在している"ことを前提にして、音楽をやること、具体的には、曲を作ったり歌詞を書いたり人前で歌ったりすることに何の疑問も抱かず、さも当たり前かのような顔をして取り組み、その活動の中で起きる紆余曲折に一喜一憂していました。

でもそれは単に"音楽の表層"しか見えていなかったのだと気づけたのです。


“音楽の本質”


自分はなぜ音楽で表現を続けるのか?
なぜ表現しないといけないのか?
なぜ音楽でないといけないのか?
音楽という表現がなぜ生まれたのか?
なぜ音楽は愛されてきたのか?
曲を作るとは?
歌詞を書くとは?
歌うとは?



そうした根源的な疑問を"当たり前のもの"として受け流さず、自分なりにそれらに"解答"を持つことが自分にとって悩みを解決し、音楽に取り組む熱量と意義となることを知りました。

正体の分からないものを分からないまま取り扱うことで拭えなかった不安を、分かる(もしくは分かろうとする)ことでクリアにし、そこへ向かってアクセルを躊躇なく踏み込むことができるような気でいるんです。


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と、長くなりそうなので、記事をまたいで次回はこの続きの
『自分の取扱説明書』という名の"客観性"の話からさせていただこうと思います。

ここまで読んでいただけた方がいるなら本当に感謝です!

次回もよろしければまたお付き合い下さいませ。

ではまた!


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