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苦悩と葛藤のヒストリー〜苦悩の連鎖編〜

こんばんは。ソーダ・ヒロです。

もうホント長らく自己紹介を続け(←もはや自己紹介ではない?)、記事をまたぎにまたぎ、自分の過去を遡ってきました。
そろそろ終盤です。

本日は自分の誤った考えでグループを失い、音楽を披露する場を失った話の続きです。

(前回の内容はこちら↓↓↓↓)

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そして僕はまた、、


そして僕はまた一人になりました。


中学時代あれだけ逃げ出したかった一人の時間にまた戻ったのです。


就職を決めた僕の本音は、


自信がなかったからです。


あれだけわがままにメンバーを振り回し、自分の勝手な理論で音楽を捉え、思うままに音楽を放っていた自分でしたが、


その自分に自信が持てていなかったのです。


どこかで分かっていたのかもしれません。
こんなやり方ではダメだ、と。こんなやり方で音楽に取り組んでいてはいつまで経っても夢物語のままだと。

路上の先輩ミュージシャンからは「頭が硬いやつ」「自分本位」だと他のメンバーに話していた、ということも漏れ聞こえてきていました。

自分は間違っていた。ただの世間知らずの青二才だ。
やはり夢は夢なんだと。ミュージシャンになって生活をしていくことなんてテレビの向こうの話なんだと、実際周りの人で大成した人など見たこともない。どちらかと言えば夢を追いかけて年齢的に現実を見つめる時期になったら諦めるものなのだ、と、自分にそう言い聞かせていました。


居場所を失った後の自分の弱さ


働きはじめた時にはまだグループで少しは活動していましたが、ほぼ惰性でやっていたようなものです。


音楽とは見切りをつけなければいけない


そう思っている自分と、


まだどこかで諦め切れていない自分が日夜葛藤を繰り返し、ただ何の行動にも起こせない、なんていう日々が続いていました。


友人にも「音楽は趣味だから」なんて言っていました。


自信もなく、ホント夢みたいな目標を口にすることから逃げ続けていました。

唯一、路上での音楽活動はなくなっても、ペースはずいぶんと落ちましたが年に2〜3曲は曲を作っていました。


でも、誰に聴かせるでもなく、どこかで披露するでもない、側からみれば"趣味の域"での細々とした作業でした。


グループの活動休止という結果、つまり"自分が間違いを犯した"という事実も半信半疑で受け止めていたこともあり、これまでの曲作りの方法からもなかなか抜け出せずにいました。

今まで3人で歌うことを想定し、"グループの曲"として発信していたが故に、それが一人になったことで発信する曲に対する責任を一人で背負うことになりました。

そのことで曲作りは一層困難なものになり、一人での表現の仕方を知らないことや、一人で歌うことを想像した時の場面を思い浮かべることで"恥ずかしさ"というものも蘇ってきました。

音楽に対する身に付けた悪い習慣だけを残し、全てのことがリセットされていたのです。


音楽が映す心


ネガティブな思いは日に日に大きくなり、出来上がる曲もそうした思いの影響か、マイナー調の暗く、重苦しい曲ばかりになっていました。

(↓↓以前の記事でその頃の一部の曲を載せております↓↓)


そこに輪をかけて、
就職した先は小売店だったため、常に有線から音楽がかかっている環境でした。

音楽好きの友人からは「毎日音楽を聴ける環境で働けて羨ましい。」と言われましたが、

僕にとっては"いつかたどり着きたい場所"である"ミュージシャン"のキラキラした曲を毎日聴いては、そことどんどん離れていっている自分の状況との距離感を、嫌というほど味わわせる苦痛な時間であり環境でした。

その時の僕は、ただリスナーとして音楽に関わることしかできなかったのです。

とても悔しくて寂しい。でも何も変えられない。

楽器店の楽曲コンテストに出して返ってくる曲の酷評も相まって、


その時の僕はもう音楽活動に関して八方塞がりの状態でした。


選べる選択肢は「音楽を諦める」。

それしかないように思えました。


身の入らない仕事、ダメな社会人


音楽に絶望する生活の中で、気を紛らせるように仕事をしていましたが、目標を失った中での音楽とは関係のない仕事に対して身が入らず、中途半端で無気力でした。


その仕事は自分で入社を決意した、というより、
何社か受けて受かったところに行く、という目標も意思も何にもないものでした。

それ故、仕事に対して執着もなく、
「どうせ2〜3年働いて合ってなければ辞めるんだ」という気持ちもあり、自分を変えようと努力すらしないため、働いていても僕は出来損ないでした。そして出来損ないの自分を「僕はこういう人間だから」と甘く擁護するのです。
その方がなのです。傷つかなくて済むと思ったのです。何かに本気になって"できない自分"を知ることが恐いのです。


ただ社会は"留まること"を是とはしません。そんな思いで働くことが許されるほど甘くはなかったのです。


僕はただ社歴だけを重ねて、同期にも新しく入社した後輩たちにもどんどん抜かされていきました。


今まで普通になりたいとがんばっていましたが、その時の僕はまたもや"劣った人間"。

しかも学生時代とは違い、その差は残酷なほど仕事の中で痛感することになり、僕はとても惨めな気持ちになりました。


停滞と変化


そんな中、

支えてくれていた当時の彼女と26歳で結婚し、翌年にはありがたいことに子も授かりました。

新たな責任を背負ったことで、仕事に対して一旦ネガティブな感情を封印して働きました。

ただ、どう自分を変えて良いか分からず、とにかく目の前の仕事をこなすことだけに遮二無二になりました。


その時点でも音楽に関しては年に数曲作っていましたが、
相変わらず八方塞がりで、何も結果を出せていませんでした。


訪れる新たな兆し

そうした時、大きな転機が訪れました。


その出来事は後に僕の音楽観を大きく変えてくれるのですが、

僕の音楽観を変えたのは音楽的な要素のものではない出来事からでした。

ん〜、、長くなったのでまたまた次回へ。

あと2回でこの話終わります!!というか終わらせます!!すいません!!


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