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『芸術』の役割とは②

こんばんは。シンガーソングライターのソーダ・ヒロです。

前回の話では、芸術を語る上での前提条件となる『産業革命は"手段"の進歩』という内容の話でした。
(前回の記事↓↓↓↓↓↓)


本日は主題にあります『芸術の役割』について自分なりの考察にて確信に迫ってみたいと思います。

よろしければお付き合い下さいませ。


なぜ芸術はいつの時代も愛され、必要とされてきたのか


芸術とは、いつの時代にも存在し、人々の生活に寄り添い、愛され続けてきました。
それは時に絵画、演劇、音楽、など、様々な表現者が様々な形で表現してきました。


ではなぜ芸術はいつの時代も愛され、人々に必要とされてきたのか、


それは『手段』の進歩では果たせない、"人の心をつくるもの"だからだと思うのです。


芸術とは“人の心をつくるもの”


芸術は聴衆に何かを押し付けるでもなく言い聞かせるでもなく、常に聴衆側が作品の中から何かを"見つける"ものです。

『学校の勉強からより、大事なことはあの音楽から学んだ。』みたいな経験って少なからず誰しもにあったりします。

芸術は"社会性に寄り添う"のではなく、"感情に寄り添う"ものだと思います。

芸術という表現に触れ、例えば一枚の絵画には自分の解釈と感情を投げることで、作者の意図とは裏腹に、何か"自分へのメッセージ"を感じたり、生き方・生き様を見たり、意義を見出したり

作品は決して自分に対して話しかけてはきません。けど問いかけてくる「あなたには何が見える?」まるで壁にボールを投げてまたそれをキャッチする、それは時に自分の意思とは違う予期せぬ方向へ返ってくることも。自分の意思を投げかけ跳ね返し、自分の心との対話をさせてくれるものであり、"作品を通して自分を見ている"のだと思います。

『民衆を導く自由の女神』の絵画の女性を見て「自分が今戦うべきものは何なのか?」「決断を実行に移せたことはあるのだろうか?」と思うかもしれませんし、『モナ・リザ』の微笑みを見つめ返せる心根を持ち合わせているだろうか?とたじろいでしまったり、セザンヌやゴッホの静物画を見て自分がいかに他者の意見で行動を決めてしまっていたか内省を繰り返すかもしれません。


自分にとって大切な信念は何か?
何が不満で何を求めているのか?
自分の願望とは?存在意義とは?
価値とは?幸福とは?


毎分毎秒を競い合うような産業革命での社会の体系づくりの中にはない、立ち止まって自分という存在、"一人の人間"としての自分やその生き方を見つめ直せるもの


"大勢の中の一人"ではない、自我を持つ"たった一人の自分"という存在。その存在を肯定するためにも、芸術は人間とは切っても切れない存在。


だからこそいつの時代にも芸術は存在し、時に姿形を変えながら長らく人々の生活の中で愛されてきたのだと思います。


欠けてはいけない『手段』と『心』という“両輪”


産業革命が人々の暮らしを便利に効率的にする"手段の多様性をつくるもの"だとしたら、
芸術とは"人の心をつくるもの"


その二つが対となり、どちらも欠けることなく手にすることで、きっとそこに満足感や幸福感が見出せるのだと思います。


自分の欲求の正体を芸術との対話で探し当てる


手段が多様化し、人の心が成熟される中で芸術の中から派生した『ポピュラーミュージック』により、僕自身、身近に音楽に触れ、また魅了され、音楽という表現に持てる時間を注ぎたいと思いました。

でも、

なぜ音楽でないといけないのか、
何をそこまで表現したいのか、
自分の願望とは何か、

払っても払っても湧いて出るこの表現することを渇望する自分の欲求の正体を、僕自身探り当てなければならないと思います。

ただ好きだから。
ただ魅力的だと思うから。

そうした感覚的な感情を具体的に言語化し、
思いと論理の双方向から自分を分析できてはじめて自分自身、幸福感や満足感を得られると思うので、


今度はその点について、胃が痛くなるほど考えていきたいと思います。
(きっとその記事はほぼ自分に語ってる内容だと思うので見苦しいものになるかもです。。はい。。)


長々とした文章を読んでいただき誠にありがとうございました。

ではまた次の記事で!


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