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苦悩と葛藤のヒストリー〜音楽の表現編②〜

こんばんは。感動の大きさをそのまま取り出せた曲こそ“傑作”と思うソーダ・ヒロです。

前回の記事では、これまで5回に渡って書き連ねてきたような苦悩や葛藤により音楽を諦め、一般企業に就職する、という人生の選択をした中で体験して得た学びや気づきでもって音楽を見つめ直してみた、という内容でその気づきの一部を書かせていただきました。(前回の記事↓↓↓↓)


今回の記事は、
前回の最後に挙げました『"音楽の本質"を知ることが大事。』というテーマの続きとなります。
もしよろしければお付き合い下さいませ。

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『自分の取扱説明書』という名の"客観性"

"音楽の本質を考える"なんて、人によっては「そんなの考えすぎだ」と思われることもあると思います。

きっと音楽の本質なんて分からなくても曲は作れるし歌えると思いますし、分からなくても素晴らしいクオリティーの楽曲を生み出される方はいると思います。

なので、これは"僕専用""自分の取扱説明書"なのです。僕が僕を扱う上で必須の要素、それが

『やること一つ一つに"意義"や"意味"を見出す』こと

なのです。

自分を理解し、音楽に対する自分の悩みを俯瞰し、そこに対して正解を見つけていく。
その作業は内省的に自分に語りかけ、禅問答のように問いかけることで答えを導き出せるかもしれませんし、"外から知識を得る"ことで解決するかもしれません。

その解答自体がもしかしたら音楽知識として一般的な正解とはズレているかもしれません。
でも、大事なことは"自分が納得できるかどうか"であり、自分に問いかけるにしても外から情報を得るにしても、そこに自分としての"納得"があるものを選ぶべきだ、と感じました。

自分の足で歩みを進める上で、
"意思"と"意義"をもっていない活動はいつか止まる

自分を客観視して見えた大切な学びです。



"人としての成熟"あって"良質な音楽"は生まれる

働く中で得た重要な要素である
『目の前のお客様を自分の一番大切な人だと思って接する』
そうした相手を敬う気持ちや、
共に働く従業員一人一人を"人生を背負った一人の人"として接し、理解を深めていくこと
人間関係、仕事での役割、効率や結果を出す行動に含まれる『物事の本質』
また、それを行う自分への『客観視』

もちろん全てがパーフェクトになんてできてやしませんが、
そうした学びをもって人として考えを豊かにしていくことがとても大切で、

音楽を表現するのも『僕』という"人間"
その人間が考え、作り出す作品にはその人間の要素が少なからず溶け出る

軽薄な音楽であればきっと僕は軽薄な人間なのだろう。

フェードアウトまで悲しみが纏う音楽ならばきっと僕は感性の乏しい悲しい人間なのだろう。

「いい音楽が作れない、、オリジナリティが分からない、、」と嘆く僕が"無意識"におざなりにしていた"人として"の要素

それこそが、作り上げる音楽の"核"として、また、メロディー、歌詞、編曲、歌唱、という表現の端々において"人としての成熟''がとても重要な要素だと思いました。


"無意識"→"意識"

こうした今まで"無意識"でいたものを"意識"的に考えることで、音楽に対して"正しく"向き合える気がしています。

例えば、

『メロディーが降ってくる』と言うけど、降ってくるのを待つことは不安で仕方ない。。
その良いメロディーはいつ降ってくるのか?
もしこのまま降ってこなければずっと自分の音楽は評価されないままなのか、

この感覚は"無意識"に音楽を作っていたからこそ、“たまたま降ってきたものをキャッチした"という"運"に頼った形に見えます。
それだといつまで経ってもこの不安から抜け出せず、僕は音楽に対して飢餓感しか生まれず、満足感や幸福感を味わうことがないのだろうと思います。
そんな不安に支配されてきた過去を変えたいと思うのです。



『メロディーを迎えにいく』

メロディーを自ら迎えにいくことができればきっと自分にとって有意義なことだと思います。
"無意識""意識"することで、あるべき場所にあるべき道で、表現のしたいメロディーの元である"感情"と再会し、割れないように傷つけないようにしかるべき方法で、そのままの感動の大きさで取り出すことができるのかもしれません。

なぜなら傑作と呼ばれる良質なメロディーは僕ならず皆がすでに持っているとびっきりの『感動体験』だという理解に至れたので、
(以前の記事でこの点に言及していますので、もしよろしければ見てみて下さい。その記事ではメロディーを『迎えに行く』ではなく『繋がる』と表現しております。)

「"メロディーを迎えに行く"という行為をこれから研磨して取り出せるようにする」という"努力の方向性"が明確になったのです。

がむしゃらに曲を作って、たまたま降ってきたものをキャッチするのではなく、自分の記憶や感情にノックして、"無意識"にではなく"意識"し、"意図"して自らの力で感動の大きさそのままを取り出したいと思います。

きっとそれが"手応え"として自分に自信や幸福感、満足感を与えてくれると思うので。



『目の前のたった一人の大切な人』へ届ける

そしてそれを、『たくさんの人に聴いてもらう』という漠然とした視点からではなく『目の前のたった一人の大切な人』に届けるよう心がけ、『メロディー』という気持ち(感情)を取り出し、その感情への案内役である『歌詞』を添え、大事に大事に梱包(「編曲』)して手渡していけるよう、音楽という"表現"に取り組んでいきたいと思います。

(『メロディーの正体とは』と『歌詞がある理由と役割』というタイトルでメロディーと歌詞について自分なりの解答を出してみた記事もよろしければ↓↓↓↓)


おわりに

長々と綴って参りました。僕のこれまで苦悩と葛藤から得られたこうした気づきを音楽に照らし合わせて音楽を考え直してきましたが、

放っておいても時間は平等に失われます。


楽曲コンテストに何度応募してもダメだった時から、返却される応募シートに審査員の方からコメント欄にいただいていた

「『いつでも今がスタート』だと思うことです」

自分の現状を『良し』と取るか『悪し』と取るか、
『もう手遅れ』と思うか『まだまだこれから』と思うか、
進むも止めるも自分次第
僕の音楽を待ってる人はいなくても、僕は『届けたい』のだから、それが僕の"意志"なのだから

僕が音楽を離れてから学び得たもので、今度こそあの日挫折したあの場面、感情を次のシーンへ繰り、目指す場所へ進んでいきたいと思います。


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これにて”自己紹介”と称して長々と語って参りました『苦悩と葛藤のヒストリー〜負け続けた日々と音楽〜』シリーズのとさせていただこうと思います。自己紹介としてはもう洗いざらい自分の恥ずかしい部分も含めて話せたかな、と思います。

重ねまして、長々と綴ってきましたこの文章を見ていただき、わざわざ目を留めて下さり、本当にありがとうございました。

これからまた様々な気づきを記事にし、何より”主である『音楽』”をたくさん発信できるよう日々取り組んでいきたいと思います。

ではまた!


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