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苦悩と葛藤のヒストリー〜仕事の本質編〜

こんばんは。ソーダ・ヒロです。

前回、一人になってからの苦悩の時間を過ごす中で結婚し、子を授かり、その出来事から仕事への意識も変わりましたが、これまでの自分の変え方も分からずただ遮二無二なって目の前の仕事をこなしていました。
音楽に対しても八方塞がりの状態は続いており、自分の未来に音楽を結びつけることができずにいた時、自分の音楽観を変える転機が、、、

という話でした。


今回はその続き、つまり転機の話です。
よろしければお付き合い下さいませ。

(前回の内容はこちら↓↓↓↓)

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店舗責任者に就任


仕事にも音楽にも自分の身の振り方の答えも分からずいた時、

仕事において、当時のエリアマネージャーから"店舗の責任者"を任命されました。


遮二無二働いていた自分が働く中でその先にぼんやり見え隠れしていた目標でもありました。
でも、自分がその立場になることは全く想像がつけられていなかったのです。

なぜなら僕は学生時代から、何かのリーダーになることや意見を持つことから逃げることばかりで、誰かの決めた物事の中に参加させてもらうだけの人任せな生き方をしてきたからです。

それはきっと"傷つきたくなかった"ということだと思います。

自分が責任をとることで何かの矢面に立ち、非難されたり否定されたりすることを強烈に恐れていたのです。

だからこそ人とのコミュニケーションもろくにとれず、一人で物事を完結させ、独りよがりの答えの中で自分の自尊心を守り、いいわけのような小さな肯定をしてきたのです。


そんな自分が責任者として従業員を、商品を、お金を管理する、というのです。


エリアマネージャーを前に僕はまたしても自分を守るいいわけを口にしそうになりました。

しかし、もう守るべき家族がいる。という後戻りしようのない状況が自分にそれをさせませんでした。

僕はその任命を引き受け、そこから、店舗の責任者として店舗を、従業員を管理する仕事を始めることになったのです。


店舗責任者になった後の散々たる結果、、、

実際にその役割として働き始めたその内訳ときたら、もう目の当てられないほどに散々たるひどさでした。

何か指示や指導をしようとすれば、その伝え方、また自分の動き方の悪さから反発をくらい罵詈雑言の嵐を受け、一つ物事を判断すれば、あらぬ疑いをかけられ信用もされず、誰も言うことを聞かないのです。

従業員をまとめるどころか、無いところに火を放ち火事を起こし続ける毎日。
入社して9年経っていたということも従業員の僕への印象を悪くする要因の一つでした。
「9年働いてこれ?」「責任者のくせに」
そんな言葉が降ってくる中にいて僕は日に日に心を病んでいきました。

ただ、それは当然の報いだったのです。
先ほども述べました学生時代の頃からの僕の行動が今になって全てこうした結果を生んだのです。
『逃げてきたものはいつか必ずまた対峙する時がくる。』
それをまざまざと感じた時期でした。


新たな出会い


誰からも信用されないことで僕も従業員を信用できなくなっていました。
もうこの時点で人間関係はほとんど破綻したようなものでした。

その時は妻だけが僕の味方でいてくれました。本当に感謝していますし、そのことでなんとか働くことだけは続けられました。


精神をギリギリで保つようにして働いていたある時、

新しいエリアマネージャーが赴任してきました。

その方はずっと本部で指揮をとっていた、僕にとっては雲の上にいるような方でした。

そして、その方との出会いで僕は大きく救われることになったのです。

その方は僕が知識も方法論も知らないで背伸びしていた働き方をすぐに見透かして、僕のレベルに合わせて一つ一つ言葉をかけてくれたのです。

それまでのエリアマネージャーも優れた方々でしたが、僕は自分ができていない姿を知られたくなくて無理な残業などして取り繕っていたために、エリアマネージャーは僕を一人の責任者として捉え、当然の厳しさを指導されていました。
結果、責任者としての土台のない僕は指導内容を理解することすらできず何も変えられなかったのです。

しかし、

新しく赴任されてきた方はすぐに僕のそんな姿を見透かし、僕に分かるよう一つ一つ丁寧に教えて下さったんです。

「問題の渦中に入るな」
「一度俯瞰で見てみろ」

そこで教えられる言葉は皆新鮮で、また、人としての本質的な部分の話ばかりでした。

中でも印象深かったのが、
僕がある従業員と対立し、お互いがお互いを信用できていなかったときにかけられた言葉で、

「相手と向き合うのではない、相対するのではない。肩を組んで指差す方を一緒に見るんだ。」

僕は相手に自分の主張をぶつけるだけで、相手の主張を否定し、理解することをしていなかったのです。こちらが拳を握れば相手も握ります。僕の行動は相手に対して戦いを仕掛けるポーズに捉えられていたのです。
それをエリアマネージャーは、相手と同じ立場に立って目指すべき方向へ一緒に走るよう教えてくれたのです。


この考え方はその後の僕の働き方に大きな変化をもたらしました。

その言葉に沿うよう自分の言動、行動を改め、まず相手のことを理解することに努めました。
相手が何に不満を感じ、そもそもどういう意思をもって働いているのか。従業員という括りで皆を見るのではなく、一人一人の人間として、背負っているものも違えば、考え方も違う、この職に就いた動機も様々。

相手を知ることから仕事を考えることにシフトしていきました。


徐々に起きる変化


そのことで徐々にですが従業員と関係も良くなり、当初の僕からは信じがたいですが、従業員と普通に笑い合えるまでになっていました。
仕事においても少しずつ成果を残せるようになっていったのです。

『1年で異動』という慣例の中にいて、結局僕はその店で気づけば3年近く勤めていました。
それもそのエリアマネージャーが僕に失敗を成功に覆す機会を与え続けてくれたからでした。

そのエリアマネージャーには本当に頭が上がりませんし、感謝してもし尽くせません。今でも本当に尊敬しています。

成功体験を味わった僕は徐々に自信をつけ、今度は自分から学びにかかるようになりました。


学びの中で得たこと

僕が知らなかったことでも、エリアマネージャーが知恵や方法論を教えてくれたように、

自分が持っていない答えは自分ではない他の誰かが持っている。


そんな当たり前のことに気づき、それをもっと得たい、と、そのことでもっともっと誰かと幸せな気持ちを分かち合いたい、と思うようになったのです。


転機

ここで冒頭で出てきた"転機"の話です。


それは、相手を一人の人間として理解することに努め、その努力を自己完結ではなく、先人からの学びによって成功へと実らせること。

僕にとっての転機とは、
そうした事実を自らの体験によって知ったことなのです。

このことは『客観性』と『物事の本質』を自ら行動を起こして知識を学びにかかることで得た、ということと思います。


そして音楽へ


この頃から僕は音楽に対しても

「もう一度本気で挑戦したい!」

と思うようになりました。


前途しました『客観性』と『物事の本質』を見る目を持って、今度はそれを音楽にフィードバックさせたい、と思ったのです。

八方塞がりで自分のやり方では答えが見出せなかったその音楽に、

僕が仕事から得た一人の人間としての普遍的な要素を持って挑んでみたい、とそう思ったのです。


自分を変える作業は困難なものでした。
しかし、一筋の光は、兆し穴は見えてきたように思えました。


と、

ず、随分と長くなりました。。。

長すぎるので今回はここまでにしまして、、

次回『仕事で得たもので捉えた"音楽"というもの、そしてブログを始めたきっかけ』

これらを書かせていただき、この振り返りシリーズの完とさせていただこうと思います。


見て下さった方がいるならば、本当にありがとうございました!!

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