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【前編】困難から立ち直る底力はどこから来ているのか? 母親からの「1番じゃなきゃダメ」の重圧を乗り越えて 〜外資系コンサル企業を経てクラファン企業とベンチャー企業の二足のわらじで活躍する東大理学部出身・中山貴之さん

東大生を中心に「この人はどうやって育ってきたのだろう」と思う相手とその養育者にインタビューを行う”育ち方プロジェクト”。

今回インタビューした中山貴之さんは、福富(育ち方PJ主催者)が大学時代に所属していた環境問題に関心のある学生が集うサークルの同期。
「自分の意志をはっきり持っていて熱く、しかもユーモアのある魅力的な人」。当時、福富は中山さんに対してこのような印象を持っていたという。

現在は研究者を支援するクラウドサービスを提供する企業と、クラウドファンディングサイトを運営する企業の2社に所属している中山さん。
このような企業で働く社会貢献意欲や魅力的な人柄がどう育まれたのかを探るべく、話をきかせてもらうことに。ところがインタビューを進めるうち、およそ周囲からは窺い知れない幼少期の葛藤が明らかに……。

中山・貴之(なかやま・たかゆき)
READYFOR株式会社、株式会社Inner Resource 経営企画。
山形県出身。東京大学理学部卒業、同修士課程を修了。A.T. カーニー株式会社を経て現在はREADYFOR株式会社と株式会社Inner Resourceの2社に携わっている。

「人間は成長している時が幸せ」と教えてくれたのは…

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ー東大で一緒だった環境サークル時代、いつも自分の意見をはっきり表明したり夢を熱く語ったりと、情熱と責任感のある人だなと思っていました。

がっかりされるかもしれないけど、環境サークルに入ったのは特に深い意味はないんです。実はお酒が弱くて、お酒を飲まずに済むサークルを探していてたまたま入ったという感じで。高校時代に放送部に入っていたので、大学でも入りたかったんだけど、入学当時は部がなかったんだよね。なので2年生からはそっちに移りました。

ー高校時代に放送部で頑張っていたという話は当時も聞いたことがあります。大会でもいいところまでいったとか…? 

朗読で県大会4位、全国大会で3位までいきました。他にも水泳部と将棋部も兼部していましたね。

ーいろいろされていたのですね。チャレンジ精神旺盛なイメージは大学時代からありました。社会人になって久しぶりに再会した時も、「新卒で入社するならおもいっきり自分をストレッチしてくれる会社がいいと思う」と話していたのが印象的でした。
成長意欲や向上心はもともと強いタイプだったのですか?

基本、やったことがないことは好きですね。特にそういう風に親から育てられたというわけではないですが。
そういえば小2のとき、速聴のCDにハマってよく聴いてたのですが、その内容が「人間は成長している時が一番幸せだ」というもので、その影響が大きいかもしれない。苦手なものに取り組んだ方が伸びしろが大きい分、幸せだと思い込んでいました。本当は文系脳なのに大学で理系に進んだのもそれが理由ですね。

ー速聴のCD…? 珍しいものを聴いていたのですね。ご自分で望んで聴いていたのですか?

たぶんそうだと思います。大人向けの自己啓発系のものだったと思うのですが、本屋さんで自分で選んだのかな。いや、親が買ってきたのかな。よく覚えていないです…。

1番になるより大切なこと

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ーそれにしても実は文系脳というのは意外です。東大でも3年次の学科選択の際、理系で一番数学ができる人が進むイメージの強い”理物(りぶつ)”(※1)に進んでいましたよね。

ああ、そうなんですよね。学科振り分け時の難易度が高いからこそ挑戦してみたところもあって。
でも実は、物理学科に進んでちょっと後悔したんですよ。自分以外の周りの人があまりに物理を好きすぎて…。これでは自分がいくら頑張っても1番になれないと気づきました。というのも、小さい頃から母親に「1番になれ」と言われて育ってきたんですよね。

ーそれはたとえば中学や高校の学年テストなどの順位のことですか?

そうです。たまたまかもしれませんが、2番や3番にはなれても1番にはなかなかなれないことが多くて。だから「自分が1番になれるのは何だろう」ってずっと考えて生きてきたんです。

でも、東大で理物に進んで「自分の考えは間違っていた。本気で好きなものじゃないと1番になれるわけがない」と気づきました。本当に大好きで24時間取り組む人と、そこまでじゃないから4時間休んで20時間取り組む人とでは、圧倒的な差が生じてしまう。

「本当のトップになろうと思ったら、24時間取り組んでも苦痛じゃないくらい好きでないとだめなのである」と気づいてからは、伸びしろがあるかどうかより好きかどうかで選んでいます。

ーちなみに「1番になること」へはもうこだわっていないのですか?

そうですね、それより自分が楽しいと思えるものに取り組む方が大事かな。「広く浅い好き」ならたくさんありますけど、その中の「好きの中の好き」を見つけたいですね。
就職活動もそういう意識でいたので、興味のあるジャンルの会社でインターンをして確かめていました。それでA.T. カーニー(※2)に入社しました。

ー現在は別の会社でお仕事をされているのでしたね。

はい。A.T. カーニーの仕事はとても楽しくて好きだったのですが、ちょっと忙しすぎたせいかメンタルをやられてしまって。2ヶ月休職している間にいろいろ考えて、別の道に進むことにしました。

※1「理学部 物理学科」の通称。ノーベル物理学賞受賞者を多数輩出する、物理マニアが集う学科。
※2 アメリカで設立され、世界41カ国に拠点を持つ経営コンサルティング企業。

「長い人生から見たらたいしたことない」

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ー中山さんが会社を休職されていたことは初耳でした。実は私(福富)も、新卒で入社した会社をメンタル不調が原因で辞めているんです。中山さんも大変だったのですね…。

そうね、けっこう大変でしたね。寝られなかったのがキツかったな。ただ、「これ以上追い詰められたら本当にヤバい」という自覚があったので、早めに撤退したのはよかったと思う。

病院に行って休職の診断を出してもらった後、1ヶ月の引き継ぎ期間をもらったんですが、引き継いでくれる後輩がとても優秀な人だったのと、上司や周囲が理解を示してくれたことですごく気持ちがラクになりました。
それまでは「仕事がうまく進まないのは全部自分のせいだ」みたいに思いすぎていたのかもしれない。

ーその気持ち、とてもよくわかります。

休職すると決めてからはうまくいかなかった案件に対してそれまでと違った対応ができて、結果的にとてもうまくいったんですよ。今まで悩んでいたのが何だったんだろうぐらいの感覚。

それに、医者に「とにかく丸1日寝てください」と言われてひたすら長時間寝て起きたら気持ちがスッキリして「長い人生から見たら、これくらい、小さなことだな」って思えた。「あの2ヶ月があったから今がある」と思えるような休職期間にしてやろうと思いました。

ーどんな2ヶ月を過ごしたのですか?

とにかくいろんな人の話を聞こうと思って。全部で30〜40人くらいには会ったのかな。「初めて会う人」「昔は仲が良かったけどご無沙汰になっていた人」「今も昔も仲の良い人」がそれぞれ3分の1ずつくらい、バランスよくいろんな人と会って話をしました。

30歳を過ぎて「人生に迷っています」と言うと、けっこうみんな真剣に相談にのってくれるんですよ。たくさんいいアドバイスをもらいました。

ーどんなアドバイスがありましたか?

たくさんありすぎて選べないくらいですが…。初めて会う人とは「Yenta(イエンタ)」というビジネスマッチングアプリを通じて知り合ったのですが、中でも衝撃的だったのはベンチャーキャピタリストの人。

「1番好きなことをやりたいんです」と相談したら「中山さん、1番やりたいことをやるというのは無理だよ。なぜって、やりたいことというのは変わっていくものだから。ベンチャーキャピタリストとしていろんな起業家に会ってきたけど、この世で一番『やりたいことがハッキリしている人』と思われがちな起業家という人間だって、何かをやっているうちにやりたいことは変わっていく。だから一番でなくていいから『やりたいなあ』と少しでも思えたら、まずやってみたら」と言われたんです。
確かにそれもそうだな、と。

ー価値観が変わった結果、別の会社に移ることにしたのですね。

A.T. カーニーに残る選択肢もありましたが、同じく「Yenta」で会った人の中に、いま所属している株式会社Inner Resourceの社長がいたんですね。日本の研究者がなかなか研究に集中できない環境にあることに課題を感じ、研究以外の煩雑な業務をワンストップで解決できるクラウドサービスを開発していると聞いて、興味がわきました。

というのも実は僕と父親が難病持ちで、難病を解決するための研究を応援したいという気持ちもあり…。社長からも「経営企画として入社しないか」と誘われたので、ジョインすることにしたんです。

ーもう1社、READYFOR株式会社にも所属しているのですよね。

そうです。「人生でやりたいことって他にもいろいろやりたいことあるなー」と思っていて、クラウドファンディングサービスなら間接的にいろいろなことを応援できるしお金を流せると考えました。

流れるべきところにお金が流れていない分野やプロジェクトって、世の中にたくさんありますよね。実は僕、理学部に進む時は研究者の道も考えていたんですが、周りほどその分野が好きじゃないと自覚してからは、教師の道も考えていたんです。

教育実習に行った時、とても楽しかったしやりがいがあったから。でもその時に再会した当時の恩師に「僕、先生みたいな教師になりたいから教職を目指します」と言ったら「経済的に苦しいからやめておけ」って真剣に止められて。

覚悟を試されてるのかなと思って「お金じゃないんです!」って訴えたんですけど、延々1時間以上説得されて「あ、これ本気で忠告してくれてるやつだ」と気づきまして。その時に「流れるべきところにお金が流れてないのは嫌だな」って思ったんですよね。

ーなるほど。そのような思いがあったのですね。それにしても、休職期間中に「人と会おう!」と前向きな気持ちになれたのが中山さんのすごいところだと感じます…。どうしてそのように思えたのか、そのあたりも後半でぜひ聞かせてください。

後編へ続きます↓↓


インタビュー/福富彩子、村上杏菜
執筆/村上杏菜
文字起こし協力/川合香名子、中尾愛

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