見出し画像

プール授業での悲劇

高知市でのプール授業中、児童が死亡した事故について、テレビやネットニュースで繰り返し見聞きするたびに胸がいたむ。私は、現役の頃プール授業について否定的であり、その考えは今も変わらない。そもそも、文部科学省が示す学習指導要領に否定的である。(内容が煩雑になるため指導要領については別の機会に書くことにする。)

小学校で水泳を学ぶ意義は、「いざという時に命を守るため」が一番てっぺんにくるものだと考えながら指導してきた。しかし、25m、50m泳げるようになったところで、「いざ」という時に命を守れる保証はない。災害は、どんなトップアスリートの命も簡単に奪うのである。
皮肉なことに、今回の事故のように、命を守るための学習で命を落とすことにつながってしまったことは、過去何件もあった。その度に避難を浴びるのは学校関係者である。誤解を恐れずに言えば、水泳を教えたくて教員になった人は、基本的にはいないと思う。むしろ、毎年、水泳シーズンが始まる6月初めには、どの小学校でも、水泳に関わる全職員が、消防職員から心臓マッサージやAEDの使い方を学ぶ講習会が実施され、心の底から、「児童が死にませんように!」と叫びながら、恐れながら実施するのが水泳授業である。それでも、日本全国で決められているため実施するしかないのである。

死亡事故までは至らなくとも、ヒヤッとする場面はほぼ毎年目にしてきた。同じコースを泳ぐ児童同士が、頭と頭で衝突し、プールサイドに上がってから嘔吐したり、水を飲んで咳が止まらなくなり過呼吸を引き起こしてしまったり…。いくら指導を徹底していても、寝不足にならず体調万全で担任や職員が目を光らせていたとしても、プール授業をしている限り、危険な場面は必ずある。繰り返しになるが、教員の本音は、やるしかないから仕方なくやっているのがプール授業である。

また、高知市の一つの学校での死亡事故を受け、高知市立の小中学校全て、今年度の水泳を行わないとの方針が出されたことも違和感を感じないだろうか?安全管理マニュアルについては、どの学校でもしっかりと検討したうえで長年の積み上げのもとプール授業を、むかえているはずである。「死亡事故があったから近場の学校もやめとこうぜ。」と、やらない決断ができる程度の重要度のものならば、もっともっともっと早い段階で「小学校で水泳、必要ですか?」と問題提起し、さっさと無くしていれば、今回の命は亡くなっていなかったのかもしれない。
高知市立の小中学校が今年度の水泳を取りやめたのが、保護者や児童の心理的不安を配慮してのことだとしたら、「いやいや!47都道府県で心理的不安あふれてますけど!?」と叫びたい。高知市だけの問題ではない。

私の意見としては、水泳は保護者が責任をもって然るべき場所へ連れていき、命を守ることができる程度の泳力が身につくように指導、見守りをする他、方法はないと考えている。もちろん、保護者自身が泳げなかったり、競技「水泳」を楽しませたかったりと事情があるなら、スイミングスクールに通わせる家庭があっても良いと思う。
学校ではなく、公園で自転車に乗れるようにするため、後ろを手で持って支え、練習したように、水泳もそのようにできないか、と思っている。

学校教育のシステムは、もうずっと前から大変なことになっている。それを現場の教員もうすうすわかっている。それでも愚痴をただ言い続けて、なにか大きな問題が起これば「ああ、うちじゃなくてよかった。」と胸をなでおろして終わり。また次の被害が…の繰り返し。そんな闇が垣間見えた事故だったように思う。

今回亡くなられたお子さんのご冥福をお祈りいたします。親御さんの心中を察すると、胸が張り裂けそうになり眠れません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?