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近現代歌謡考古学もしくは若年性昭和歌謡拒絶症候群に関する一考察

藤田ニコルがドン引きしたと噂されている昭和の歌謡曲について考える。職業、年齢、性別、コロナ陽性反応の如何を問わず凡そ次の通り。

モラセクであるとされる『セーラー服を脱がさないで』や『関白宣言』
 ソース:週刊女性プライム

 こちらの記事にも有るように、発表当時から今で云うフェミニズムに相当するウーマン・リブと云う概念(厳密にはフェミニズムの一部)があった。ひょっとするとイマドキのフェミニズムよりある面過激だったかもしれない。
 発売当時、そらもう、ウーマン・リブな人から、さだまさしはフルボッコにされた。もう、みんな、曲の冒頭しか聞かないし、さだまさしの容姿を見れば分かるのだが、チョット頼りなさげな優男なんで、そういうキャラの男が ”黙って俺についてこい” とコッパズかしいのを隠して見栄を張っている流れの歌詩でしかないコトには気が付かずに炎上しているようだった。
 とは云え、この歌詩自体を理解するには大正・明治ぐらいの日本の文化・風俗に対する教養もある程度は必要になる。これは、洋の東西を問わず、多くの文化圏で男は外で稼いで女は家を守る傾向があることに起因する。欧米にせよウーマン・リブの 1960 - 1970 付近と云う時代はいろいろな物事が変化した時代であるし、第一波フェミニズムの女性参政権が19世紀末から20世紀頭と云うのもいろいろな物事の変化した時代であった。
 さて、この色々な変化はより具体的に挙げるのであれば、レコード、電話、自動車(実は電気自動車もあった)、生理用品、避妊具、抗生物質、が改善、発明、実用化されたのが20世紀初頭であった。そして、一般に充分普及するのは20世紀後半になる。ここまでは基礎教養なので機会が有ったら調べてほしい。そして、これらの変化と進歩は、多かれ少なかれ男女関係の変化にも影響している。

では、ここからもう少し理解を深めるため話を掘り下げていきたいと思う。

「結婚という制度」

 異論を挟みたい人は好きなだけ挟んでくれて構わないが、私にはどうでもいいコトであると前置きする。
 結婚とはそもそも近現代以前は対外的に子孫を公式に残すための制度であった。しかし、現代においては、出来るだけ互いの感情面での合意に基づいて生活を共にするように努力する制度になっている。
 なので、国によっては、若しくは宗教によっては妻若しくは妾をを複数持つことが許されており、日本も、つい150年ほど前までは正妻と側室がいたため明治天皇の子孫として有名な人が居らっしゃったりする。また、宗教によっては後家さんとなった女性を早く娶れと正妻に怒られるという文化がある。なお、日本であっても二次大戦以前は普通に妾を作れたし、カネがない場合は再婚も頻繁にあったことは、曾祖父母辺りに聞けばわかるかもしれない。
 さて、何故にこの様な状況に昔はなっていたのかを理解できている読者の方はいらっしゃるだろうか?
 答えは単純で、昔はよく人が死んだ、特に男は良く死んだ。ので、余裕があるなら女を養え、余裕がないなら再婚を繰り返せ、という文化と社会が日本には有った次第である。このため、女子供を食わせられない男は男として価値の無い時代だった訳だ。特にカタギは。
 では何故、男が死ぬかと云えば男は外で活動しているからだし、特に戦争とかなると男手が持っていかれた。そして、留守を守るのが女の仕事だった。そして、建付け的に公式の子孫出産代表者選定としての結婚が行われていたに過ぎない。
 また、公式の婚姻と云う制度も明治以前の地域の名主とか、それなりの名家でもない場合は乱婚と云う状態もあったが、この辺りは文献がどの程度あるかは不明である。おまけだが明治以前は混浴が多く、日本に来た外国人が日本人は性別を意識しない不思議な連中だと日記に書き残してるという文献を観たこともある。

「恋愛という行動」

 恋愛と云う行動は感情面と性行為という二つの側面がある。この感情面に関しては本能的に子孫を残してもいいかも?と云う本能による情動であることは否定されても困る。それは、”リアルに子供ができるというコト” と、”単なる情動的反応” と、を混同しているに過ぎない。
 「子供は面倒だからいらない」という ”考え” と「大脳辺縁系が遺伝子を残してもいい」という ”本能” はまるっきり別で、女子高生が「お父さん臭い!」と云うのは「近親交配を避ける本能」を如実に表している具体例である。反論はいくらしてもいいが私には関係ない。
 よって、人間は将来の異性の性能や子孫の性能を織込んだ恋愛行動を踏まえて品定めをして子孫を残そうとする。そして、この子孫に肩書などが必要な場合において人は結婚という制度を利用するし、DINKsの筈が後で揉めるとかもある。更に、例外的に上手くいくと子孫を残さなくて済む場合もあれば、子孫を残したい本能に駆られて養子縁組までする。因みに養子縁組により残したい遺伝子と云うのは厳密にはドーキンスの云うミームであろうと私は感じている。
 ここまで読んで、知らない単語の出てきた人は、自分の無知をまず呪っていただきたい。

「生理用具・避妊具・病原菌」

 さて、前段までが前振りである。この文章が長いと思う人はアタマが恐らく悪いので、ここから後を無理して読まなくてもいい。反論は認めない。嫌なら係わるな。去れ。これからが前提知識の整理なのだから。
 最初の段で記載したとおり20世紀の社会変化をなぜ紐解いたかを説明しよう。産業革命に始まった大きな時代の変化は20世紀初頭にほぼ全ての技術が発生し後半に社会に大きく普及し文化を改変した。産業革命に始まった余暇時間の拡大は当然のことながら人々のコミュニケーション時間の獲得をはじめとした色々な時間の制約から解放された。それにはもちろん男女の時間にも影響した。
 例えば生理用品に関しては 1860 - 1890 年頃の欧米で、より良いものが一般化し女性が避けて通れない期間の行動をより良いものにしているのと前後して政治への参加意識が高まり第一次のフェミニズム期と偶然ながら重なりを見せている。ある意味、生理からの解放がフェミニズムを生んだと云えるのではないかと云う疑念を抱く時期となっている。
 次に避妊具だが、代表格のコンドームが 1850 年以前にゴム(そのままの意味で)量産化のノウハウの成立によって実用化され始めた。このような変化は日本にも江戸時代末期には輸入されていたようで、訳わからないところで、訳わからない子供ができる可能性、若しくは 嬰児殺し(水子含む) というリスクの生じる可能性が大幅に減ったという流れがある。
 チャールズ2世のような好色漢には有難い話だ。余談だが、産婆さんが助産に行ったとき、その家の玄関の屏風が逆さまだったら ”嬰児を殺す” という暗黙の了解が有ったことは現代人でも知らない人は知らないだろうと思う。産婆さんと云う文化自体が半世紀以上前の文化なので、もはや口伝でしか伝わってないかもしれない。
 さらにもう一つ、抗生物質の進化について軽く触れる。抗生物質の進化は多くの病気に対応できるようになったことにより基本的な致死率の減少にも貢献するばかりではなく、その中にはもちろん性病も含まれている。
 そして、性交本能が強く不特定多数との性行為頻度が高ければ性風俗産業における性行為頻度も高くなり感染リスクも上がるが、陰茎にキノコ状のモノが生えるレベルの性病であっても、そこまで悪化する前に抗生物質を投与すれば回復する者も増え、一つの安定循環産業が構成されていったのかもしれない。
 この結果、本当に子供を欲しくない人や恋愛ができない人で性欲のみ処理したり疑似恋愛をしたい人にとっては有難い環境が生まれた、との考察を賢い誰かが何時か論述してくれそうな気もする。余談だが、友人の風俗嬢曰く、イソジンでうがいしてシミル客は有病者なのでキャンセルするとのハナシをしていたのが興味深い。
 このような流れを以上の三点に基づいて整理すると、女性の性からの解放と男女の性行為リスクからの解放が20世紀の100年をかけて生じたのではないかと云う疑念を私はぬぐえない。
 そしてこの100年という時間は四世代ぐらいを経る時間ではあるが、それまでに文化として叩き込まれた概念・価値観・信念がすぐに入れ替わるわけでもない。

「レコード・電話・自動車」

 1950年代ぐらいまでの電話は交換手が繋いでいたことを御存じの方もいるだろう、マイカーブームは1960-1970年代ぐらいが走りである。車でナンパして誘拐なんて事件もあった。そして、レコードは45回転と33回転に1970年代には統一され、1980年代にはCDになっていった。
 しかしながら、携帯電話が普及するのは1990年代以降であったし、1980年代はレコードやCDを貸し借りしたり、車も一家に一台程度だったため、恋愛事情にも影響が有り、物理的にレコードなんかをそのままかカセットテープに録音して貸したり、電話するにも電話を取る親とか、ドライブにも家の車を親から借りると云うハードルが有ったそうだ。もちろん男子にはアダルトなコンテンツの隠し場所などの問題もあっただろう。しかし、今はスマホでほぼ片付くが、この時代の歌謡曲を調べると歌詞にいろいろと織り込まれているので、あとで触れたいと思う。
 そして、これらの音楽や電話、逢引きとしてのドライブは男女の距離を縮めるのにそれなりの効果を発していたのが20世紀までだったのであろう。90年代のバブル崩壊後、若年層で車を持つことは次第になくなり、シネコンやレジャーランドと云った逢瀬スポットを中心に携帯で気軽に連絡を取り合い、趣味を共有し、会話を楽しめる形に文化形成されていったのが21世紀初頭の若年層の文化なのだろうなと感じている。

『セーラー服を脱がさないで』と『関白宣言』にかけられた呪い

 これらの曲は私からすると、手短に云うなれば19世紀の呪いの産物である。より具体的に説明していこう。

・秋元康の場合
 ウーマンリブの要素は二次大戦前からあった。これらの要素は前述したように女性が自身の ”性” から解放された事によって得られた時間や行動面での自由によるものではないか?と想像できる。二次大戦後はこれらが急拡大するとともに若年層男女間の接触における各種ハードルの低下が、その自由を加速させているのだろう。
 例えば知ってる人は知ってるが、戦前のカフェは援交喫茶だった。小説家たちがハマるわけである。とは云え、今ほど情報の流通速度が速くは無いから同好の士が集まっていたのだろうことは想像に難くない。戦後は会員制出会い系雑誌なるものも普及し1990年代になっても、雑誌紙面上で ”援助交際希望” との文言が並び、援交ブームの生じる5年以上前から存在しているワードである。
 そんな中、『セーラー服を脱がさないで』の歌、つまり作詞に込められた思いと云うものは、ある種のアダルトビデオと同義である。アダルトビデオにおいて、そのタイトルには ”女子校生” は許されるが ”女子高生” は許されないらしい。つまり、”女子高生” だと未成年であるため違法行為を表現していることになるからとの建付けだと聞いたことがある。
 ここで、アダルトを作っている関係者によると次のような解説がなされていた。それは、「性欲のが大きく開花する10代後半(前半は開花しきって無いらしい)の時点で性欲の対象だった異性に対して想いを遂げられなかった多くの若いリビドーが、ルサンチマンを拗らせて高校を卒業し、拗らせた先における妄想の投射対象としてアダルトコンテンツにおける制服に欲情するのだ。」と云う話だった。
 思えば、というか、そもそも明治以前は15歳で元服し成人として結婚できる年齢であったし、その名残で20世紀の末ぐらいまで東京都と長野県は淫行条例が無かったような気もする。
 つまり、『セーラー服を脱がさないで』は作詞家が若年層が感じるであろう妄想を織込んで作詞した、若しくは、自分自身の投射対象の具現化として作詞したとの憶測ができるが、作詞のプロなので恐らく前者である可能性の方が充分に高いと考えられるものの、聞き手が後者を想像すると聞き手に取って気持ちの悪いものに感じるのかもしれない。
 そして、以上の経緯から、この件を私は一つの呪いとして感じてしまうのである。もっとも、子供にどういう歌を謡わせてるんだ?と思わなくもなかったが、番組内で親子連れで娘の入浴映像を流す企画もあったのですごい時代だったのだなぁ~と思わなくもない。

・さだまさしの場合
 例えば昭和歌謡で出てくる ”女性の一途な想い” という概念は、”間違って変な男の子供を孕んで育てるような状況にはなりたくない” という想いが込められており、さだまさしの歌詩の中にもそういった情念のようなものを書き綴る作品ががある。
 この手の歌詞の中には前述した昭和の風景の中に起因するものがいくつも見受けらえる。例えば、小林明子の『恋に落ちて』では、”ダイヤル回して手を止めた♪” となるが、2020年代風にするならば、”アドレス見つめて手を止めた♪” となるだろうし、さだまさしの『住所録』では ”二度鳴らしてまたかけて♪” とお互いに電話に出るときの合図を決めていて、イマドキだと不要なプロセスだったり、宇多田ヒカルの『Automatic』では、”七回目のベルで受話器を取ったキミ♪” と歌われて受話器を知らない世代もいるらしいし、野口五郎の『私鉄沿線』では、”伝言板に君のこと、ぼくは書いて帰ります♪” と歌われてもイマドキだとイミフになってしまうギミックで、シティーハンターの伝言板に ”XYZ” だって通じないという時代になっている訳である。
 さて、話を戻そう。『関白宣言』に関して誤解をしている人は多いが、大体が ”何を男がエラソウに、それ男女平等じゃないダロ!” 若しくは ”実際に父親が関白で家庭崩壊してDV状態だった!ふざけんな!” という状況である。
 『関白宣言』は 1979 年で普通に女性団体からボロクソに云われていたものの、女性活動家がちゃんと歌詩を理解してくれて和解したと云う流れがある。この辺りの理解は当時のさだまさしの容姿を観れば分かるのだが、彼は髪の薄い眼鏡でガリガリの優男である。しかも、映画で借金抱えて島とか買ってるという浪費家疑惑が生じかねないダイジョブ?この人??である。
 当時のビデオ 『関白宣言』 1980年ぐらい?
 
そして、歌詩全体に古典的な家族像、結婚したら簡単には別れられなかった社会。つまり、一緒に子供を育てて添い遂げるという文化や価値観に基づいた内容である。見方を変えると 米国ドラマ ”大草原の小さな家” の家族像に近いニュアンスである。
 結婚したら簡単に別れられない文化と云うものは、親が子供を育てないと奴隷として子供が売られても文句が言えない時代の名残であろうことは容易に推定できるし、子供が育たないと老後がどうにもならないという時代の名残でもあることも容易に推定できる。さらに、”余裕のある男は他にも女を養えて一人前だ” と云う文化が、第二次大戦前までは確実に有ったコトを知っている人は知っているし、今でも女房公認の妾を養ってる人もいる。
 そして、”添い遂げる” のが当たり前の時代が有ったからこそ、”未亡人” という言葉があることが分かる。意味は ”いまだ、亡くならざる人” もう男尊女卑と云うより、”なんであなたは生きてるんですか?” との行間を想像させる酷い言い回しで、寧ろ ”後家” の方が物言いとしては軟らかいのではないだろうか?
 つまり、2020年代の今からすると価値観があまりに違い過ぎる。恐らく100年分ぐらい違うので、理解するには、”家族の形” が決まっていた時代や ”余裕が有れば他にも女を養えて一人前だ” と云う文化への理解のないまま ”言葉” だけたどっても ”家族の形” や ”余裕が有れば他にも女を養えて一人前だ” と云う呪いがかかっている上に、”添い遂げる” という呪いがかかっている歌詩であるのだ。
 でも、妻への愛はある。だけど、やっぱりコッ恥ずかしいから照れ隠しで ”黙って、ついてこい” という遠回し、別の言い方をするなら ”月が奇麗ですね” のような流れ、そして ”男なんて、おだてとけばいいのよ~” と云う古典的な女性視点からの男性の扱いを織込んだ歌詩、と云う行間に対して ”ドン引き” されても、”嗚呼、貴方の世代にはそういう呪いがかかって無いものねぇ~” と思いながら私は昭和の歌詞の理解に励もうと思うのだった。

※なお、『部屋とワイシャツと私』がアンサーソングだと知らない人もそれなりにいるらしい。あとこれ、『極光』のアンサーにもなってるよね。

※※セルフアンサーソングの『関白失脚』については割愛している。


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