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先輩方へ(先日の"朝まで生テレビ"の刺激をうけて)

5月27日放送の、朝まで生テレビ ”激論!若者世代の本音 ド~する?!ニッポン”が熱かった。シルバー民主主義を考えるヒントが多く、今回の学びを高齢の先輩方に伝えよう。手段は考えるとして主訴はこうだ。

「人の話は最後まで聞きなさい」

朝ナマの司会、田原総一朗氏の常套手段だが、他人の話に大声で割り込む。討論なんだから仕方ない、論争の場なのだから言論で闘うのは当たり前、そう思う人は多いと思う。でも、論理ではなく圧力で闘うその空間は、頭脳戦というより肉体戦。肉体戦ならプロレス観戦のほうがマシだ。さも知性があるように見せて、思考を諦めて怒号に走るその姿は美しくない。昭和のスタンダードは通用しない。人の話は最後まで聞きなさい。

「争いはまっぴらなんだよ」

朝ナマに限らず、テレビ討論の議題はたいてい社会課題だ。熱っぽく話す人が集まって、なにをするかというと言い争い。課題解決じゃないのかよ!これは正直ダサい。国会もそうだ。与党は飄々ひょうひょうと白を切り、野党は青筋立ててこき下ろす。あまりの非建築的さに未来をまったく感じないのに、メディアはいつまでも政争を映して真の政”治”を評論しない。ったく、じゃれてる場合じゃないだろ。暇なの?
私は、多様な意見を寄せ集めて、理知的に議事を進行させて、建設的に議論を重ねて、社会課題の解決の糸口を協働で探り出すような熟議の場を見たいのだ。ふざけるのもいい加減にしろ。大人の本気を見せてみろ。
論争は戦争の始まり。人類の幸福と地球環境の持続可能性を希求する私にとっては、大概の論争はつまらない争いとしか感じない。

「騙し合いもまっぴらだ」

「こんな社会に誰がした?あなた達でしょう」とまでストレートには言わなかったけれども、本音はそうだろう。俺はそう思う。高度成長期の人口ボーナスが永遠に続くわけがないのに、少子高齢化に対する備えが不十分だったから、次世代にツケを回している状態。なのに引退世代は他人事。「頑張って養ってくれ」みたいな態度。騙された感が蔓延はびこる精神的不衛生な社会を年長者が広めている。ダサい。ダサすぎる。こんな不誠実で、同じ国民同士で騙し合う社会は欲しくない。

「見下した態度はやめなさい」

年金給付を平均寿命と連動させる、という案が出た。現実的な困難さは多々あれど、それくらい日本の財政が危機的だということを広めるために必要な言い方で、決して戯言ざれごとではなく本気の発言だった。俺はそう受け止めた。しかし年金給付を5年後に控えた産経新聞の人は「先送りするとしても、せいぜい2年」と私益を優先する発言。…おいおい、公共の話をしているのにそりゃないだろ。さらには、「この年になったら分かる」と年下の話を一蹴する発言。これはいただけない。これから生まれる子どもたちにとっては、30歳の年齢差なんて意味はない。仕舞いには「こんな僕の助けなんかいらないだろうけど」みたいな卑屈な態度をとる始末。公共の電波のもとに守られてる甘えた態度。情けないったらありゃしないし馬鹿にしてる。そうやって年下を気軽に見下す文化は次世代に継承しませんよ。悪いけど、僕らの精神はそんなに未熟じゃない。

「言い訳なんかしたくないからね」

そうやって既得権益に胡座あぐらをかいて、さも今の社会の生き辛さの責任は自分にはないとでも言うような無責任な態度を取る高齢者のダサい姿を、私達は真似したくない。ダサい姿を見せる日本文化なんて継承したくない。同じような年令になっても、同じような態度を見せたくない。社会を良くする、もしくは言い訳をせず素直に謝る。そのために力を尽くしたい。

「人として関われる社会が欲しいだけ」

「若者はみんなそうなのか?」「ホームレスはなんでホームレスになるのだ?」と、主語を大きく話しがちなのはわからないから。「アメリカ人はみんなそうなの?」と聞くのと同じで、目の前の個人に目を向けていない。障害者として一括ひとくくりにすることも同じ。人をモノ扱いして、他人を気安く集団として括る。自分のことは一緒くたに括られたくないのに、どうしてそうするのか?それは、これまでの日本はそれほど多様ではなかったから。ステレオタイプなライフスタイルが「標準」だった時代。それはもう終わった。終わったのにその呪縛に囚われて、今はもはや自分のことまでモノ扱いする。誰かのサクセスストーリーをなぞろうとして、自分の心に耳を傾けない。そんなんじゃダメだと本当はみんなわかってる。多様な社会では個人に目を向けて、個別性に好奇心を持って関わる、人を人として関わらないといけない。そういう社会がほしいのだ。

「人として誠実でありたいのだよ」

高齢者のマインドセットが高度成長期やバブル期を引きずっていて、現代社会の生き辛さを自分ごととして考えられていない。15〜39歳の死因1位が何年も「自殺」なんておかしいでしょう。希望を持てないのは個人の責任ではなく社会の責任、本当はわかっているでしょう。若い世代を見殺しにする社会を作った責任を本当は感じているでしょう。だけど行動に起こさないし、言動は無責任で不誠実。社会の課題に目を背けるダサい姿は引き継がない。先代から受け継いだ社会を後世に引き継ぐ。未来のために、と頑張ってくれた方々のおかげで今の生活が成り立っている。先代に感謝しつつ、後世のために頑張る。それが当たり前のカッコよさ。人として誠実でありたい。

「僕らはかっこわるく死にたくないからね」

ダサくても長生きしたい、という利己的な生き方はしたくない。早死するかもしれないけれどカッコよく生きたい。そう思えるようになったのは、ある意味、反面教師が沢山世の中に生き残ってくれるからかもしれない。番組で見せたダサい態度は、生きる姿勢を明らかにした。ダサい生き方の集合体がこの社会を作ったのは明らかだ。カッコよく人生を駆け抜ければ、社会は良くなるだろう。そんな生き様を、生き残ったひとに見せたい。

まとめ

散々書いたけど、番組の具体的な感想とは程遠い持論の展開になってしまったが、それもこれも今回の朝ナマで火力アップしてしまったから。産経の人は素の態度だったのか、世間の同世代の代弁者として演じたのかわからないが、シルバー民主主義への批判が出やすい環境を作ってくれた。おかげで、若年層活動家の情熱が鮮明にメディアに乗ったし、社会課題の詳細が多くの人に広まった。それは課題意識がない人に良い刺激になったことだろう。

今回出演した活動家の皆さんを心から尊敬する。
自分もコツコツと出来る挑戦を重ねていこう。
世界は変わる、という希望を捨てないで。

Let me present this song to all the youth living in the world today, and all the babies coming into the world in the future, after tomorrow. 

Folks in Japan, don't lose hope.

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