組織の生産性を上げたいのはすべての経営者の思いだ。
でも、不本意ながら生産性が落ちるしまうことがある。
そのひとつのケース。
定められたルーティン通りに粛々と平常運転、それはいい。
もっと良くしたい、と企画提案、それはもっといい。
●●しても良いですか?には、時折、怪しいものが表れる
理由の説明より先に許可を求める。欲しい答え「良いですよ」を直接求める。こういうときは大概、下心がある。
組織にも顧客にも役立つわけでもない”私的なお願い”だということ、それを職場にお願いするのは筋じゃないこと、どちらも自覚している。ここで諦める、もしくはきちんと理由を説明して恐縮しながらお願いするのが大人。職場だって鬼じゃない。ある程度の融通は利かせないと凝り固まる。話を聞く体制はできている。私的理由は取り合わない、ということはない。
そうじゃない場合、説明を省いて、戦略的なコミュニケーションを取りはじめる。それが唐突な”●●しても良いですか?”の現れ方。諦められない理由があるなら、それを話せばいい。
なのに、その説明を省く。それは、ただ「諦めたくない」に囚われて「良いですよ」の獲得に夢中な状態。それしか見えなくなって、組織も顧客も置き去り状態。我を忘れて手を替え品を替え戦略が止まらない。こういう事例は無駄に生産性を落とす。レベルが低いなぁ…戦う相手が違うからね…
業務の中で落とし穴が見つかった場合、質を担保するために落とし穴を埋めるルールは良い。補完的な仕組構築で、再発防止もフールプルーフも可能。
逸脱の場合、柵の乗り越え防止ルールが必要になる。柵を高く規制強化。これが組織を息苦しくする。次から次へと止まらず、果てしなく散らかる。フールプルーフは非常に困難。雨後の筍さながら柵がどんどん高くなる。
落とし穴の発見者は公益的視点で貢献意欲のある大人。
ルール破りに興ずる子どもは公益に近寄らないのが吉。
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