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ガンジーとフラクタル構造と世界観

ガンジーの名言の真偽

有名な名言ほど、言った言わないが議論されます。私が以前、研修で知ったマハトマ・ガンジーさんの言葉も同様に議論の対象になっていました。

Be the change you wish to see in the world.
世界を変えたいなら、まず自分が変わりなさい。
ネットで一番有名なのはたぶんこれ。

そのネット上の議論はこうでした。

ガンジー自身は一度も言ってません。ニューヨーク・タイムズが2011年に報じたところによると、元々の言葉はこうなのだとか。

”世界は自分の写し鏡にすぎない。外界にあるすべての傾向は自分自身の中にある。己を変えることができれば、世界も変わる。自分の性根を変えた男には、世界も態度も改める。これこそが教えの極意だよ。こんなすばらしいことはない。幸せはここからはじまる。”

出典:GIZMODE

GIZMODEの記事はNYタイムズの報道に基づいていて、同じ言葉は言ってないと伝えているようです。たしかにそうかもしれませんが、私には同じことを言っているとしか思えません。

「世界を変えたいなら、まず自分が変わりなさい」がガンジーの真意で、そう伝える人を増やして世界を変えることがその狙いなら、この原文は、ガンジー本人に直接会ったことが無い人々にも影響を及ぼして、世界を変えることに十分役立っていると思うのです。真意が継承されるなら、言葉遣いは時代に合わせて変化するのが良い、というのが私の考えです。

フラクタル構造

突然ですが、ロマネスコという面白い構造の野菜を知っていますか?
突起が螺旋状に配置されていて、個々の突起の中にも同じように螺旋状に突起が配置されていて…と、全体と同じ構造が部分にも内在することを繰り返すのがフラクタル。これは幾何学の概念です。

フラクタル構造
(出典:Wikipedia

先のガンジーの名言(原文)に戻ります。

世界は自分の写し鏡にすぎない。外界にあるすべての傾向は自分自身の中にある。

出典:GIZMODE

自分の周辺世界は自分の在り方を写している、というガンジーの見方は、まさにフラクタル構造です。世界がどうであれ、自分が他人をどう見ているか、世界をどう見ているか、それがその人の世界観になるということ。

その世界観通りに人に接すると、その世界観に相手が反応します。そこでこじれた時に内省しないと、自分の世界観が絶対正義のように思えてしまうのです。世界に不満があるということは、自分の世界観に、自分自身が不満を抱いてるのだと思います。

世界への不満は、自分の世界観への不満。
全体と部分が同じ構造。フラクタルです。

世界観の発達

例えば乳児の場合、不満を自力で解決できない無力感に苛まれ、誰かに不満を解消してほしくて泣きわめく。無力な乳児を馬鹿にするつもりはありませんが、乳児の世界観は「世界は自分の思い通り」です。

これが幼児になると親から叱られ、世界観が変わります、というか変えられてしまいます。幼児は親の言うことを聞くのが正しいと理解する。力のあるものが正しい、つまり「世界は弱肉強食」のような世界観を持つように変わります。

小学生低学年くらいになると褒美を期待します。見返りを期待して言うことを聞いて、見返りが得られないなら言うことを聞かない。その世界観は「世界はギブアンドテイク」。実際はGive for Takeですが…

成人になるまで、世界観がこのように変化し続けます。子供は大変ですが親も大変。なぜなら養う親の世界観がちっぽけだったら成立しないから。成人になると自分を正すのは自分。うかうかしてられません。

世界を変えるためには

自分の世界観に呼応する相手が異なる世界観を持っていても、相手がそれを表現しない限り、自分の世界観を批判的に見る機会はありません。未成年の世界観が変わるのは、親が異なる世界観を表現したことが始まり。

だけど、自分と異なる世界観を相手が表現したとしても、気づいた自分が突っ張って意固地になってしまうと、自分の世界観はなにも変わりません。世界を変えたいなら意固地になるわけにいかない。

自分を批判して、自分の習慣を変えて、自分の世界観を改訂すること。
そうすれば改訂した世界観に、他人が合わせて反応します。
すると世界が違って見えてくるし、そうして世界の変化が始まります。

それがガンジーの伝えたいことだと理解しています。


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