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「どうして?」ではなく「どうしたら?」と考えてこその教育

今日、自動車免許の本面学科試験を受けてきたんだけど、受付の時に自分の前の人が本籍地記載ありの住民票を忘れてて、めっちゃチャラい(?)見た目にも関わらず「ママ~持ってきてくれない?」と電話しててちょっと笑ってしまった。
(いや、その恰好でママ呼びなんか~~~~いとツッコミをいれたくなってしまった。笑笑)(偏見)

※画像はイメージです

学科試験を受けるまでの空き時間で、近くの喫茶店で勉強してたら、たまたま席が近くで話す機会があって「いや~ほんま最悪っすよ~~」と言っていて、「はっはっは、それはドンマイ☆」と二人でさらに笑ってた。笑笑

本籍地記載の住民票はマイナンバーカードがあればコンビニ発行できるんだけど、マイナンバーのパスワードを忘れて3回ともミスったらしい。
ちょっと楽しく談笑している裏で、

「いや、別に確認を怠って忘れたのは自分のせいやし、マイナンバーのパスワード忘れてるのも自分の問題やから別に最悪ではなくね???」

と、頭の中でそういう考えがパッと浮かんでしまう。


ミスに対して、浮かぶ感情にどう対処する?

自分が母親だったら「用意してなかったのは自分のせいやから、自力で用意してもう一度時間を作って再受験しなさい」と言ってしまいそうである。
(というか、多分言っちゃうと思う)

流石に成人していればそれもアリだと思うけど、正直小中学生とか、もっと小さい子供の立場からだとちょっと冷たいな~というか、突っぱねられているように感じるかもしれない。
(そういえば自分も中学生のとき、体操服忘れて隣のクラスから借りたり、試験前のノート提出を忘れて家に走って戻ったりしてたなぁ・・・)

そんなことを思い返しながら「忘れ物」「どうして」とかで検索してみると、心にグサッとくるような記事を見つけた。

「まったく、どうしてあなたはいつも忘れるの! あれほど、夜のうちに用意しなさいって言ってるじゃない」

流石にこんな言い方はアウトだと思うけど、

「どうして、忘れ物をするの?」
「どうして、夜のうちに用意しないの?」

というような言い方は間違っていないし、普段の自分はこうしがち。
でも、忘れる側は忘れたから忘れるのであって、特に子供のころは「なぜそうなのか」を説明するのはレベルが高い。そして冷たく感じてしまう。

年齢を重ねて、思考力が発達していくうちに

①忘れ物をしたのは、前日の夜に確認をしなかったから
②前日の夜に確認をしなかったのは、遊びに夢中になってしまっていたから
③遊びに夢中になると確認を忘れるので、確認を終えてから遊ぶようにする

と、順序だてて考えることができるようになるけど、ぶっちゃけこれは難しいよね。。。大人でも、このような論理的思考ができない人は多いかもしれない。子供ならなおさら難しい。


「どうして」を「どうしたら」に変えてみる

だって、忘れ物をした子どもの気持ちになって考えれば、「どうして」と言われても、忘れたから忘れたのであって、理由なんて答えられませんよね。そもそも、理由が分かっていたら、忘れ物はなくせるはずです。この「どうして」とか「なんで」という問いかけは、過去に向かって原因を追求する言葉。つまりマイナスの言葉かけです。

そして、言われた人は責められたと感じ、言い訳を考え始めます。
とはいえ、「忘れ物をするのは仕方ない」とばかりも言っていられません。

では、この問題を解決するには、どうすればよいのでしょう。
それは、「て」を「たら」に変えることです。

「どうしていつも忘れ物をするの!」と怒る代わりに、「どうしたら忘れ物しなくなるかな」と聞くということです。

「どうしたら」というのは、未来に向かって解決を促す質問なので、「どうしたらいいかな?」と聞かれると、頭の中では自動的に「どうしたらいいかな」と小さい子どもでも考え始めます。それがまさに、思考力を育てていくチャンスなのです。

https://president.jp/articles/-/47739

なるほど、たしかに「どうしたら、忘れものがなくなるかな?」と聞いてあげたほうが、+の方向に向かっているし言われた側もうれしい。

「どうして?」というのは原因の究明で、もちろんそれも大事。
でも、そこから改善を目指す場合は、「どうして」よりも「どうしたら」のほうが良いなぁ、と感じた。
一緒に考えてくれている感じがするしね。

言い方一つでこんなに印象って変わってしまうものなんやなぁ~
これからのコミュニケーションに活かそうっと。

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