「二十歳の頃」№11 友達にきく

私は、友達にインタビューした。明るく元気で活発に行動する男性である。1992年、大阪府堺市に生まれた。(聞き手・吉田怜愛=2年)

――20歳の頃何をしていましたか

施設実習とバイトで忙しくしてたかな。

――施設実習は保育士の資格を取得するための実習ですね。しんどくなると聞いたことがありますけれど、どうでしたか

俺もそう聞いててんけど、施設実習は泊まりじゃなくて通い。思っていた以上に楽やったよ。元気な子が多くて、楽しかった。手話を覚えるのが大変やった。

――いつから保育士の資格を取ろうと

元々小学校教諭の免許を取ろうと思っていて。ついでに保育士資格も取得しようかなって。21歳の時は教育実習をしたよ。バイトもめっちゃしてた。

――教育実習も大変というイメージがあります

ちょっと大変な時もあったけど、大体は楽しくしていたかな。教育実習は1つの学校に何人も実習に行くイメージがあってんけど、なぜか1人しかおらんくて。子どもが帰ってから終業時間になるまで暇な日もあったりで、苦労してなかったな。担当の先生が授業している時、ほとんどの学校は、立って見ていて、どういうふうにしたらいいかを書くねんけど、その先生は「座って見とき」と言ってくれてめっちゃ楽やった。楽しく過ごせた理由として大きいのが、研究授業。中学の時に仲の良かった先生が同じ学年の違うクラスの担任をしていたから、その人のところに行ったりして楽しかったんよな。

――努力が教育実習を楽しいものにしたのでは、と思いました

努力と言われるとムズムズしますね~。そのあと、大阪の小学校の教員になりました。

――教員生活はどうでしたか。ゆとり世代の生まれですが、弊害を感じることはありましたか

ゆとり世代だと感じることはなかったな。そもそも、その学校自体が平均年齢25~35歳だったこともあるんだけど。普通に忙しいけど、楽しかったよ。特別支援学級の担当で、みんないい子だし、かわいかった。大変だったことは、保護者とのやりとり。保護者の気持ちもわかるけど、1人の子を特別視できないから。夜の9時まで話し合いをしたよ。大変だけど楽しい教員生活を続けようと思っていたんだけど、バセドー病という病気で辞めんだよね。

――体調はどうなんですか

教師を辞めてから仕事をしていない期間があり、そこでだいぶ落ち着いた。今でも薬を飲んで甲状腺ホルモンの安定を図っている。なかなか治らなくて困るし、この病気のせいで献血できないのが悲しいわ。仕事ができなくて病んでる時があったけど、仕事を再開するまでのんびりした生活が送れて楽しかった。

――教員に復帰したんですか

全く関係のない郵便局員になった。今も郵便局員。郵便局は「見て学べ」的な感じで。でも、良い人ばかりでしんどくないし、自分のペースでやっていけるからめっちゃいい仕事。嫌なのは、肌が焼けることくらいかな。

【感想】

しんどいけど楽しい仕事をしていて、病気で辞めてしまったけど、その後も楽しいことはある。彼から教わったことだ。将来不安を感じることがあったら、この話を思い出したい。

※ バセドー病:甲状腺ホルモンを過剰に産生する病気。喉がはれたり、脈が早くなったり、多汗、疲労感息切れなどもある。発症原因はよく分かっていない。
出典:KUMAPedia,甲状腺疾患辞典,2021-07-20
https://www.kuma-h.or.jp/kumapedia/encyclopedia/detail/?id=217&sub_category=
一般社団法人日本内分泌学会,バセドウ病,2019-11-04,
http://www.j-endo.jp/modules/patient/index.php?content_id=40

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