見出し画像

「マスター」と親しまれる理容店のオーナー

 大阪メトロ御堂筋線北花田駅から歩いて5分の住宅街に理容店「santa」はある。その店のオーナーを務めるK・Iさん(56)は、お客さんや従業員に親しみを込めて「マスター」と呼ばれている。彼は本業だけでなく、子ども支援にも力を入れている。なぜボランティアにも励んでいるのか、聞いてみた。【2年・川村あやみ】

16歳で住み込み修業

 愛媛県出身のマスター(Iさん)は、16歳の時に大阪府岸和田市で散髪屋を営む親戚の家で住み込み修業を始めた。勉強が得意ではなく、職業は理容師しか思いつかなかったからだという。7年の修業を経て、親戚の散髪屋の店長として働いた。自身で経営を始めたのは50歳を前にした2015年。「santa」のある場所には、以前から理容店があった。その経営者は病気で体を悪くし、息子は後を継がなかった。そのため店長は知り合いのIさんに継いでほしいと声をかけた。Iさんは親戚に恩があったので断ろうと思ったが、店長はIさんの接客態度、仕事に真面目に向き合う姿を見て、「どうしてもあなたがいい」と頼み込み、Iさんは熱意に打たれ承諾した。

「santa」は飼い猫の名前

 「santa」という店名は、Iさんが15年前まで飼っていた保護猫(上の写真)の名前からとった。理容師になってよかったと思うことは、「人の生活に関わることができる」ことだ。お客様がこの店を選んで来てくれていることにやりがいを感じている。しんどいと感じるときは、経営者として「人を使う」とき。従業員5人のリーダーとして経営をしなければならない。泣きつくところ、逃げ場がないから常に気が張っている。今の立場になって、家族に弱音を吐きそうになることが多くなったそうだ。一番印象に残っているお客様は、Iさんが40歳の時に来た70代の男性。月に一度通ってくれる常連さんになり、散髪しながらよく話をした。それから3年たって、おじいさんの奥さんがお菓子を持って店に来た。おじいさんは病気で亡くなったという。もう理容店に来ることはない。理容店で従業員と話をしている時間が大好きで、それが日常の楽しみだったと奥さんは思い出を語った。Iさんは寂しさとともにうれしさで涙が止まらなかった。このことを胸に一人一人のお客様との時間を大切にしている。

子どもの支援を続けて

 子どもの支援活動にも力を入れているIさんは今、堺市北区にあるこども食堂「心愛苑」に毎月、お米やお菓子を届けている。堺市中区の「ひみつ基地」で昨年(2023年)のクリスマスにあったパーティーにはカンパをした。パーティー開催の情報はFacebookで知った。子どもたちがパーティーの費用を計算し、大人が手助けするという取り組みだった。また、Iさんは国連難民サポートにも参加し、年に一度5万円を寄付している。
 2020年には、府民を対象にした児童虐待防止を目指す「ゼロ会議」に参加した。親の不安や悩みに寄り添うための声かけを学ぶ講習を受け、実際にサポートネットワークを通して相談に応じた。翌年には虐待死ゼロという目標が達成すると思っていたが、1件の児童虐待死が起きた。ゼロ会議はその年に終了した。目標を達成することができなかったことを悔やんでいる。
 社会で何か自分が役に立てることはないかと考えたのは20代前半の頃。未来をつくる子どもを支えたいと思い始めた支援だ。今も自分にできることはやりたいという思いがある。

無力感も味わう

 大阪市西成区のあいりん地区にある子ども支援施設で5年間ほど調理補助をしていたことがある。夏休み、小学生の兄弟が「宿題ができない」と施設にやって来た。兄弟の親は夜に働き、昼間は睡眠をとる。子どもの声がうるさいからと家に鍵をかけて寝たため、外に出ていた子どもたちが帰れなくなったという。また、暑い日が続くのに数日間同じTシャツを着る男の子がいた。「お母さんにUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)で買ってもらったお気に入りの服だから」と言い張っていたが、実際はどうか分からない。着替えがなかったのかもしれない。そういう子どもたちにご飯を作ることしかできない無力さを痛感した。

どんなときも出勤

 どんなことがあっても、営業日は出勤してお客様に100%の対応をしている。30歳の時、テレビで合気道を見て興味を持ち、趣味として始めた。試合中に足を骨折したことがあったが、その翌日も出勤した。痛い足を引きずりながらいつも通り接客した。ところが、普段穏やかで優しい妻に、痛みをこらえて無理を続けていることを叱られた。45歳の時、突然足が痛くなり病院に行ったが原因が分からない。痛みをこらえて接客することがつらく、退職しようとしたが、娘の高校受験が間近な時期。受験費用や入学金のため、仕事を辞めることはできなかった。痛みに耐えながら笑顔を絶やさず接客を続けた。翌年、静脈瘤と分かり治療を受けて完治した。当時は別の仕事を探さなければならないかもしれないと毎日が不安でいっぱいだった。

「まだまだ続ける」

 「santa」の常連さんは次第に年を取る。店はビルの2階にあり、息を切らしながら階段を上って髪を切りに来るお客様は多い。そんなお客様に感謝と尊敬の気持ちを忘れず、まだまだ続けていきたい。マスターはそう語った。


この記事が参加している募集

仕事について話そう