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たぶん知らない百六十円。

お別れした恋人とのことを、あまりよく思い出せない。誕生日にくれたものとか、はじめて行ったデートとか、付き合うきっかけとか。けっこう何にも覚えてなかったりする。

車の窓から見えるワンシーンに、虚記憶が呼び起こされる。自販機の前でふたり、腕を組んで。帰り道のドリンクを選んでいた。550mlのペットボトルをひと口飲んで、そのまま彼女にわたす。彼女が返してくるボトルに、ぼくは右手でふたを閉めた。

信号待ち。すこし酔っていて、秋の風が気持ちいい。のどが渇いていたわけじゃない。酔いを醒ましたいほどは呑んでいない。ただ、なんとなく、もうすこしだけ外にいたい。そんな帰路。存在しない夜が、ぬらりひょんのようにぬるっと記憶にあらわれる。特別な時間が、あたり前だった頃があった気がする。今もそうかもしれないけど。

クラクションを鳴らされて、あわててアクセルに足をかける。驚かせてごめんな、知らない恋人たち。でもきっと、すぐに忘れるから。

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