「星降る夜に」からコミュニケーションを紐解いてみる②音声認識アプリのこと
「星降る夜に」の中では
音声認識アプリが使われてますね。
このツールのおかげで、手話がわからない聴者の中でも
一星が会話についていけず、孤独になるという段階で話が止まらない。
これは、「困っている障害者」ではなく
積極的にコミュニケーションを取ろうとする「一星」という人間性を
観る側の心に残したいという演出なのかなと思って観ています。
でも、モヤモヤが心に残ります。
これって
「音声認識アプリがあれば聞こえない人は
大丈夫なんだね」
と認識してしまうリスクはないだろうか?と。
え?大丈夫じゃないの?
と思った方に、ぜひ続きは読んでほしい。
音声認識アプリで伝わってこないもの。
まず、話し言葉がそのまま文字化された画面から
会話のニュアンスや相手の感情の機微まで
読み取れるでしょうか?
顔を見れば表情でわかるよね?
と思うかもしれませんが、
画面の文字を読んで顔を上げたときには
話が進んでいたりもするでしょう。
「聞きながら見る」それは聴者が当たり前にしていることです。
そもそも、普段「手話」を使うろう者にとって
「日本語」は文法の異なる言葉。
さらに日本語の中でも、
書き言葉と話し言葉って使い回しやニュアンスも異なります。
聴者であれば、なんてことない話し言葉。
でも、書き言葉での日本語に馴染みのある
ろう者にとってはどうだろうか…?
(もちろん、「聴者はそういう言い回しを使うものだ」と理解されてる方もいらっしゃいますが…)
ツールがあれば問題ない!?
私のモヤモヤの正体。
それは、
音声認識アプリで周辺の会話を理解させ続けることへの違和感。
そして、
アプリがあればいいよね?と思って、それ以上考えない
マジョリティ側の意識でした。
つまり
コミュニケーションって、ツール(道具)さえあればいい。
ではなくて、そこにお互いの立場を考える「想像力」が大切。
ですよね。
アプリも、通訳も、翻訳機械も同じです。
そこに、道具があれば、人の心と心が通うコミュニケーションが
できるわけじゃない。
相手は自分と異なる言語、文化、価値観を持っているのだから。
いろんなことに思いを馳せたいですね。
相手が何気なく話した言葉
それはどんな気持ちの温度だろう?
どんな気持ちで使ってるのだろう?
言葉の奥の本心は何だろう?…と。
そのアンテナはきっと
耳が聞こえるか聞こえないかとか関係なく
どんな人とのコミュニケーションにとっても
大切なことだと思っています。
ドラマでは少しずつ、
一星と鈴のやりとりにLINEやアプリを使わなくなってきてますね。
お互いに顔を見合わせてコミュニケーションを取る場面からも関係性の深まりが読み取れて。今夜も楽しみですね。
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