高齢者福祉の専門職が考えるスマホ教室・スマホサロン 〜「住民主体」なのか「住民に丸投げ」なのか〜
こんにちは。オザワと申します。
地方都市の地域包括支援センターで社会福祉士をしております。主に高齢者福祉を担当しております。そんな私の考えるDXです。
このnoteでは、私の担当している地区が
・なぜDXに取り組むことになったのか
・なぜ「住民主体のDX」を目指すのか
・それに向けてどんなアクションを起こすのか
について、まとめています。
今回は、「高齢者福祉の専門職が考えるスマホ教室・スマホサロンについてまとめていきます。
前回の振り返り
外部講師の「高齢者向けスマホ教室」から学んだこと
・高齢者のスマホに関する基礎スキルの低さがわかった
・学んだことを忘れないために反復・継続する必要性がある
・スマホ教室への参加を定着するための工夫がいる
・目的に沿った内容のためには自分達がやった方が早いし確実
この結果からまずは、最低限の基礎スキル向上のためスマホ教室を行うこととしました。
何事も基礎が大事。
正しいイメージを持つことで学びがより深まります。特に自称「スマホが使える高齢者」の多くは誤った認識をされていることが多いです。
そして、反復と継続。
この「継続」できるかどうかに「住民主体」であることが関係してきます。
本当の意味での住民主体とは
常々思うのが、
「住民主体」と言いつつ「住民に丸投げになっていないか」です。
住民主体の似たような言葉に「種まき」という言葉があります。
住民を土壌に例え、
その土壌に種という名の「気づき」を与え、
住民が自ら課題解決に向けて動くよう仕向ける。
私はこれだけでは「住民に丸投げしている」と思っています。
理由として、
「気づき」は普段の生活の中で、新聞やニュース、テレビ番組から山ほど入ります。ローカルテレビや地方新聞では他地区の良い活動の特集が組まれたり、全国的にも良い活動は話題のドラマになったり様々です。
本当に「気づき」という種を蒔くことで、住民が自ら課題解決に向けて動くとします。
ならば、私たち「専門職」はいらなくないですか?
私たち専門職が職業として必要とされているのは、住民だけでは課題解決ができないからではないでしょうか。
住民主体とはいっても専門職の力がなければ、種は芽を出せないからなのではないでしょうか。
ましてや、芽を出すことがゴールではないはずです。
花を咲かせ、時に萎れることはあってもまた咲き誇れるように、大事に育てて見守るのが専門職の役割であるはずです。
なぜ「住民主体」の活動には専門職のサポートが必要なのか
「社会福祉士」という服を脱いで、「1人の地域住民」として言わせてもらえば、仕事に家事に育児に日々忙しい中、さらに「地域をよくするために働こう」なんて、よっぽど心と金と時間に余裕あるときでなければ私にはできません。
現に未就学児の育児に真っ只中の私は、いつでも大忙しです。週末に地区ボランティアなんて行ったことないです。言葉の通じない小さな可愛い怪獣を前に、そんな余裕はありません。
そんな地域福祉にとても手が回らない住民がいる中、町会長や民生委員、ボランティアをされている方々には本当に頭が下がります。
再び「社会福祉士」という服を着るならば、「地域住民の協力」なくして地域福祉は成り立たないと声を大にしていうほどに地域福祉に一緒に取り組んでくださる住民の方々は大事な存在なのです。
要するに、そんな貴重で大事な土壌に、種だけ蒔いておけばいいなんて失礼な話なわけです。
今回、特に高齢者が苦手としている「デジタル」という分野に対して取り組むわけですから、より手厚く種を育てるべきだと私は思います。
という私なりの「住民主体」についての考えを前提に、
次回、具体的に住民主体のスマホ教室・スマホサロンの内容についてまとめていきます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
ぜひコメント欄に皆様の取り組みの様子やご感想をお聞かせ頂ければと存じます。
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