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愛のむきだし、ノルウェイの森、一目惚れ=オナニー告白。

見出し画像は小樽で出会った満島ひかり似のマリア(著者撮影)。久々に映画愛のむきだしを見たらなぜあんなにも赤裸々な告白をしでかしたのかと言う理由が見えてきた気がしたのでここに書いていこうと思う。
僕は個人的には全うな人生を歩んできたつもりだが、友人には常軌を逸脱しているとよく言われる。中学校は自臭恐怖症という精神病(後年の自己診断)で幻聴が聴こえるようになり一週間しか行かなかった。その後親の仕事を一年手伝い、大工の職業訓練校に入って、そのまま2年間工務店に務めた。だが、そこで労働にモチベーションを見いだせなくなった僕は四年遅れて高校に入った。なぜ高校に入ったのか?。当時はやはり青春コンプレックスに侵されていたのだろう。言うまでもなく童貞であったし、知り合った女の子の数など指を数本詰めても数えられるほどであった。しかし入った定時制高校で僕は一目惚れをする。一発KOノックアウト。安い金属のゴングが無駄に広い食堂に鳴り響く。完全に顎の筋肉、骨々が粉砕され下顎が下がりっぱなしだったに違いないだろう。揺れるワンピースのフリル、その微風から香るその人のなにかしら、Buffalo66のクリスティーナリッチを日本人にしたような、ピノコを十六歳にしたような、そんな非現実的な生き物がそこには生息していた。僕は空洞になって、彼女にその何かを返して欲しかった。その夜は眠れず、それをむしろ喜んでいる自分がいた。

彼女はメンヘラという役柄を自覚しておりそれをあっけらかんと演じるようなメンヘラだった。『死にて〜』「推しの子孕みたい!」「お薬もらってきます」などが口癖だった(これを教室の隅に届くように叫ぶ)。僕が好きなセリフは二人の帰り道で彼女がこぼした『どんなに友達がいたって死ぬときは一人なんですよ』というもの。達観していて、でも弱くて、でもその弱さを隠せない粗雑さが何か男らしくて、少女だった。
僕たちは初め、仲が悪かった。と、いうのも私にコミュニケーション能力がなく、当時19歳だったにも関わらず16歳の婦女子に中学生のような天邪鬼を露呈してしまったのだ。素直になれなかったし、僕は空洞を隠すので必死だった。しかし、同じクラスでしかも同じ軽音部だったという事が功を奏したのか入学して半年経つ頃には学校中の男子では右に出る者がいないと豪語できる程、親密な関係にまで上り詰めていた。学校帰りに二人きりでイルミネーションを見たり、毎日同じ帰り道を帰った。「ボディタッチは嫌ですか?」と聞かれた時僕の顔は夜神月だった。完全に勝利を確信し、なんなら初めての己の情事の順調さに退屈さと失望さえ覚えていた。


ある日、二人で遊びに行くことを確約することができた。僕はわざと少し遅れて行き、二人で甘いものを食べたりウインドウショッピングをした。写真を撮ろうとすると彼女は物凄く厭がる(今思えば醜形恐怖症が疑われる)ので、『だって私が古くなるから?』と、椎名林檎のギプスを引用してみたが通じなかった。デパートの休憩所で二人横並びのベンチに座りながら、痺れを切らした僕は告白をした。「(彼女の名前)のこと初めて会った時から好きだった。あと、君でオナニーをしている。」と。彼女は「えぇ〜!?」と言いながら困惑と嬉しさを混ぜたような顔をマフラーに埋めてしまった。そこから十分ほど(体感的には一時間だった)返答がなかったので「何も言わなくていい」と言い私の方から終了させ、その場は解散となった。
そこからは地獄の日々でした。彼女からは侮蔑の眼差しを向けられ、冷たい態度を取られる日々でした。しかし私は元々不登校気味であった彼女の負担にだけはなるまいと、元の関係まで修復させることに奔走していた。そして、苦闘の末元の関係を修復した僕は「ノルウェイの森上下巻」を誕生日のプレゼントとして渡した。これは懺悔であり言い訳だった。『僕があなたをオナペットにしていたのはこういうわけでありまして』という。彼女から感想を一切聞かなかったのを鑑みると捨てるか転売してしまったのだろう。
それから人づてに彼女に彼氏ができたという話を聞いた僕は、彼女と一切関わりを断ってしまうという選択をした。話しかけられても無視したし、目も合わせなかった(これはむしろ復讐心から来ていた)。それからクラスも分かれ残りの高校生活で彼女と関わることはほとんどなかった。物理の移動教室で近くの席になったことがあった。アインシュタインの特殊相対性理論という単語が教室に放出された時、彼女の机が少し音を立てた。気がした。僕は嬉しかった。相対性理論は僕が彼女に教えた、ラインの待ち受け曲にするほどには気に入っていたあろうバンドだった。
一連の醜態はノルウェイの森の主人公ワタナベのセリフ『いつも君を想ってオナニーしてるよ」という台詞に感化されたのだろう。愛のむきだしという映画を初めてみた時、初めて自分が肯定された気がしたのを覚えている。俺は間違ってなかったと。好きな人でおナニーして何が悪いねん!!!というね。



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