(コラム)なぜGDP重視の経済成長ではダメなのか(1)

経済ニュースで重要視されるのが3ヶ月に一回発表される四半期ベースの実質GDP変化率である。経済状態や我々の生活のの良し悪しをこうした「経済成長」の成否でみるのが当たり前であるかのように我々は思わされていないだろうか?

そもそもGDPとは何だろう?1980年代まで、GDPがニュースに現れることはなく、GNPあるいは国民所得だった。GDPはGross Domestic Productの略だが、日本語では国内総生産。所得という考えより、「国内」での生産に重きを置いて経済を評価しようということになった。

さて、この国内総生産とはどういう意味を持つ数字か?「(粗)付加価値の合計」とされているわけだが、実際にその期間の労働の成果として生まれた付加価値の合計ではない。その差の一番大きな部分は住宅賃貸料だろう。部分的には管理サービスなど労働が関わる部分もあるが、実際には住宅を貸すことで付加価値の生産が行われているわけではない。住宅の減価償却部分は確かに生産された住宅という消費財の消費ではある。しかし、付加価値の生産が行われているわけではない。しかも、持ち家の帰属家賃も不動産業の生産(自分で自分に貸すという仮想的な不動産業)とされているのがGDP統計である。

またGDPは粗付加価値なので固定資本減耗(減価償却)が差し引かれていない数字である。固定資本減耗を差し引かなければその当該期の付加価値をその分だけ過大評価することになってしまう。
実際にどれだけの付加価値がその年の生産的労働によって作り出されたのかはGDPから固定資本減耗や帰属家賃部分を差し引いてみなければいけないだろう。

実質GDPの実質は物価変動部分を考慮して数量的に捉えようということで、名目GDPを価格指数(デフレーター)で割ったものを実質GDPとしている。物価の基準年が変われば値は変わるので、もっぱら伸び率(時系列変動)が問題になる。それがマスメディアが取り上げる実質GDP成長率とか実質経済成長率だ。

実質経済成長が高ければその分だけ我々の生活は良くなるのだろうか?答えは少し複雑になってきそうだ。雇用という点から見ると労働生産性の上昇以上に実質経済成長率が高ければそれだけ労働力への需要が大きくなるということになる。そのことで失業を減らせる、あるいは需給がタイトになることで賃上げが見込めるというのがポジティブな点である。この関係はGDPギャップということから説明されることが多い。潜在的な実質GDPと現実の実質GDPの差が縮小すれば、生産設備や労働力の遊休もなくなり無駄が減るということは言えるだろう。

そもそも経済成長を重視するという発想は資本の発想である。労働者にとっては、生活水準の向上が問題なのであり、豊かな消費生活にとっての必要な財・サービスとそれを賄える賃金・年金、住環境の改善、職場環境の改善、労働時間の短縮、医療・教育などの公的ベーシック・サービスの充実である。これらは実質GDPあるいは実質GDP上の家計消費や住宅投資、政府消費、公的資本形成の多寡では測れないものであることを銘記したい。

(2)に続く


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