見出し画像

残念しっぱい雑記『学生時代の黒歴史』

学生時代の夢

恥ずかしい話だが、学生時代はギターひとつでぶらりと旅をしているスナフキンのようになりたかった

しかし、私は音楽が苦手。楽器なんて弾けない。それどころか運動もできなければ、勉強もできない。(勉強ができそうな雰囲気とは言われたが、成績は本当に悪かった。。。)

まさに、ドラえもんが出てこないのび太のような人生。悶々とした学生時代、そして拗らせた思春期を送っていたことは間違いない。

具体的な夢はない。現実逃避のような妄想が、スナフキンになりたいだったのだ。

暗かった学生時代

中学の頃の性格は暗かった。一日学校行って、一言もしゃべらずに帰ってくることも珍しくはない。わざわざ他のクラスのヤンキーが「このクラスに全く笑わない奴がいるって、どいつだ?」と、私を見に来たくらいだ。今思えば、よっぽど不気味だったのだろう。(とはいえ、不思議といじめられはしなかった。単に周りに相手にしてもらえなかっただけだろうが。)

萌え系アニメのオタク(黒歴史)の走りで、毎晩マニアックに声優のラジオをひとり聞いてたり、アニメを見漁ったり。クラスの端っこにいる影の薄いオタク。とにかく友だちはいなかった。

よく喋る今の私のことを知っている人からだと、想像できないのではないだろうか。

そんな冴えない中学時代をリセットしたいと思い、同じ中学出身者がひとりもいない遠方の高校を選んだ。アニメオタクも辞めて、無色透明な高校生を目指して。満員電車に揺られ、片道1時間。

登校初日で後悔をした。

高校へ行くことに身体が拒否反応を示すのか、毎朝嘔吐をするのだ。とはいえ、自分の中には高校へ行きたくないという自覚症状はない。毎朝、単に嘔吐するだけ。そして、親に「食べ物がもったいない」と叱られる(笑)。昼の弁当もほとんど残していた。

すると、みるみる痩せていく(笑)。
ついたあだ名は、老けていたので『おじさん』だった。

元々、食にはあまり興味がない方だったので、周りも自分もあまりその深刻さに気が付かなかった。しかし、今思えば拒食症だったのだろう。

人生16年間より濃い12日間

そんな高校1年生の夏休み。中国へ旅行に行くことにした。

エロゲーをやってみたくて、その当時高価だったパソコンで、貯めていたお金を切り崩して旅費に当てる。それまでと、全く違うことにお金を使うことにしたのだ。そうでもしなければ、黒歴史だった中学時代のアニメオタクからの呪縛から逃れられないような気がした。

その当時の中国はまだ何となく、共産主義的な東のカーテンに包まれていて不気味だった。あまり海外旅行のイメージはなかったように思う。

画像1

毎日新聞だったか朝日新聞だったかの主催で、学生中心の文化交流をする上海・南京・無錫の12日間の旅。それも船旅だ。

参加者は小学生から大学生までの男女で、もちろんツアー参加して初めて顔を合わせる面々。もちろん私はひとりで参加。そんな初めて会った多様な年齢の学生との交流は、まるで規則がない修学旅行のようで刺激的だった。それは、それまでの人生16年間より濃い12日間だった。

旅が終わったあとに、旅のことについて話す私に祖母から言われた言葉が突き刺さる。
「お前にとって、人生で一番最高の時かもしれないね。」
祖母は悪気なはなかった。ただ、それはあまりにリアルに感じた。つまりこの中国旅行が僕の人生で一番の思い出になってしまいそうだと、自分でも感じてしまったのだ。
しかし、さすがに人生のピークを16の夏で終わらせるのは嫌だった。

一人旅とアートとの出会い

17歳の夏、金がない。しかし、16歳を人生のピークにしたくない私は、青春18切符でまわる四国一周の旅を思いつく。

人生初のひとり旅だ。

元々、友だちなんていない孤独な「中二病の」僕にとっては、一人旅は楽勝!そう思っていた。

しかし、うまくいかない。予定が狂うだけではなく、思っていた以上の孤独と不安を感じるのだ。走馬灯のようにあまり仲良くないと思っていた高校の友だちや家族の顔が思い浮かぶ。意外に自分は、友だちや家族が好きなんだと気がつかされる。

今思えば、まさにその旅行は青臭い「自分探し」だった。

旅先で出会った人に助けられ家に泊めてもらったり、すれ違う田舎の子どもたちに挨拶の素晴らしさを気づかせてもらったり、旅先の道後温泉で温泉の素晴らしさに触れ合ったりと、色々な経験ができた。

そして、その旅での大きな出会いは、帰りの京都で起こる。

京都近代美術館は、二ヶ月に一度の無料開放デーだった。クーラーが効いて無料ロッカーのある魅力的な場所。そんな気持ちで入ったのが人生初の美術館。

アートなんて興味すらもなかった。展覧会の内容は『近現代の写真展』。

写真なんてシャッターを押すだけで、誰にでも撮れるものだと思っていた。アートなんて、金持ちの道楽か投機の対象でしかないと思っていた。

しかし、人生初の美術館は衝撃だった。
本当に美しいと感じたのだ。ただの写真なのに。

特に記憶に残ったのが、報道カメラマンの”ロバート・キャパ”と”ユージン・スミス”だった。報道なんて芸術と関係ないと思っていたのに、写真から溢れ出すパワーと美しさ。

画像2

ユージン・スミスの水俣病患者の写真は教科書でも見たことのあるものだった。母の苦悩と愛を痛いほど突き刺さる。しかし、それがとても美しかった。
それはお土産ショップに売っていたポストカードとは全く違う。本物を感じた瞬間だった。

旅するカメラマンになれたら、スナフキンになれる気がした。
そして、一年浪人して京都造形芸術大学大学映像・舞台学科に入ることになる。映像を学ぶことにした。

スナフキンになれたかも

結局、カメラマンにはなれなかった。

しかし、今はふらりとカンボジアに来て、インターネットを繋いで仕事をしている。ギターでもカメラでもないが、ふらふら生きていることには間違いない。そういう意味では、意外に夢は叶っているような気がする。

学生時代の夢なんてものは、方向だと思う。ドンピシャの理想通り叶うことは、なかなか難しい。ただ、ちょっとズレながらもそっちの方向へ進んでいければ、良いのではないだろうか。

ありがたいことに、明日がどうなるかわからない時代になってきた。しかし、ここには書かなかった恥ずかしい失敗もたくさんしてきているが、意外にどうにかなる。そう思った。

最後まで読んでいただきありがとございました。もしよろしければ、いいね・フォローよろしくお願い致します。

この記事が参加している募集

#振り返りnote

84,491件

いつも読んでくれてありがとうございます!! サポートして頂いた金額は、一般社団法人ソーシャルコンパスの活動に使わせて頂きます!もしくは、いっしょに何か面白いことをやりましょう!! 連絡待ってます!