「ラーゲリより愛を込めて」を見てきた。

「ラーゲリより愛を込めて」を見てきた。
鑑賞後の言いようもない感覚を、悪戦苦闘しながら言語化したものを、ここに書き留めておく。

この作品は、山本幡男という優れた人格を有する人物が、シベリア抑留という極限の状況の中で、「人間であること」を辞めなかった物語である。
この作品のHPには「過酷な状況下でもあくまでも人間らしく生きようとする姿に心打たれ、前を向いて歩かねば、と鼓舞されました。」「この映画はいわゆる“戦争映画“ではありません。人間賛歌の映画であり、愛の物語です。」などというプロデューサーの言葉が書かれている。そう、これは”戦争映画”ではなく、”ヒューマンドラマ”なのだ。戦争を描くのではなく、戦争を通じて人間を描くのが、この作品の目的なのだろう。

しかし、それを踏まえてもなお、私がこの作品をあえて批判するのは、この映画による「シベリア抑留」や「先の大戦」についての語りが、公的な空間に対して何を生み落とすのか、という危機感を抱いたからである。
畢竟、この作品は、戦争という構造的な暴力に関する問題を、「その中で人はどう生きるべきか」という形で個人の問題に矮小化する作用をもっていること、また、現在の日本社会で広く共有されている「戦争の記憶」と重なり合い、その認識を再生産していることである。

戦争は決して天災ではない。人間がひとつひとつ判断を重ねて重ねて、その最終局面で人間が引き起こす最も醜悪な結論が戦争なのである。
しかしながら、アジア・太平洋戦争について、この社会で広く共有されている認識といえば、それは「軍部による天災」と「すさまじい苦難を耐え忍んだ国民」というものである。しかし政党政治の終焉と軍部独裁、中国侵略を招いたのは、他ならぬ国民ではなかったか。あの戦争において、我々は最初から最後まで被害者だったのか。中国で、東南アジアで、日本人は何をしてきたのか。この視座を抜きにして「先の大戦」を語ることは欺瞞である。人を踏みつけたその足に感じた痛みばかりを嘆くのは間違っている。
そういう意味でこの作品は、「シベリア抑留」という、自らの招いた戦争が結果としてもたらしたものを、あたかも天災であるかのようにみなし、その中で「苦しむ同胞」にだけスポットをあて、「逆境の中で人はどう生きていくべきか」を問うという、この国の人口に膾炙するゆがんだ戦争認識と社会認識を垣間見るような作品なのである。そしてこの作品は、そうした認識を再生産し、公の場に解き放つ。
SNS上で散見されたこの作品の感想の中に、「ロシア人というのはいつの時代もひどい奴らなんだなと思った」とあった。我々が自己を重ねてみるべきなのは、ウクライナの人々にではなく、むしろロシアの人々ではないのか?

私がこうした思いを抱くのは、香月泰男という画家の言葉が胸に突き刺さっているからである。
彼は満州で戦争を終え、3年間シベリアに抑留されたのち、日本へ帰ってきた。帰国後に発表した「シベリア・シリーズ」の中に、「1945」という作品がある。戦争が終結して彼が北へ連れていかれる途上で見た、線路の脇に放り出された死体を描いたものである。満州の人々の私刑によって殺された日本人であろう、と述懐する彼は、「戦争の本質への深い洞察も、真の反戦運動も、(広島の)黒い屍体からでなく、赤い屍体から生まれ出なければならない。戦争の悲劇は、無辜の被害者の受難によりも、加害者にならなければならなかった者により大きいものがある。私にとっての1945年はあの赤い屍体にあった」と、立花隆に語っている(「私のシベリア」1970年・75ページ)。

私には、彼の言葉こそが戦争の悲惨さを語るうえで、決して欠かしてはならない認識であるように思われてならない。

そういう意味で、劇中に登場する相澤光男という人物にこそ、わたしは光を当ててほしい、と思うのだ。彼は招集されて中国戦線へ赴き、「度胸試し」として、上官に命令されて中国人捕虜を刺し殺した。「人間であることを辞めた」彼は、軍隊という暴力装置の中で、部下を平手打ちするようになり、やがて戦犯としてラーゲリに収容された。彼の苦悩から平和教育をはじめてもいいのではないだろうか。

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