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『学力と階層-教育の綻びをどう修正するか』(苅谷剛彦、朝日新聞出版、2008年)

『学力と階層-教育の綻びをどう修正するか』(苅谷剛彦、朝日新聞出版、2008年)
https://www.amazon.co.jp/dp/4023304050


科学技術の発展が加速化し、習得した技術や知識の陳腐化することが益々早くなった現代社会。

そのような社会を生き抜くために必要な学力とは、知識量ではなく、自ら進んで知識を獲得する意欲と能力を伴う「学習資本」に帰着すると本書は説く。

日本の学校教育での学力低下や学力格差が取り沙汰されて久しいが、それらを学習資本の蓄積程度で説明しようとすることが、本書の試みだ。


さらに、学習に対する意欲や姿勢・点数など、学習資本と関連して生じる様々な事象は、育った家庭の文化的水準や、家庭教育の結果として子供たちに体化された生活習慣に大きく依存することを明らかにしている。


統計的分析手法を駆使しながら、とかく学校批判や教育体制批判、学生や家庭の自己責任問題に帰されがちな教育格差議論を、計量社会学の土俵に引き上げ、学力格差が貧困や経済的格差の再生産過程において生じる憂慮すべき社会構造問題であることを示すところに、本書の真意がある。

「学習資本」には、知識を提供してもらうための人間関係・社会関係を主体的に構築する能力も含まれる。

そのような能力は、オンラインのマンツーマン教育や専門講義に特化した専門学校教育よりも、クラス制によって運営される学校教育を通した生身の人間関係の中の学びからこそ育まれるのではないかと思える。


 長期不況と少子化を背景に、日本の高等教育進学率は80%を超えた。

いまや大学は、卓越した専門家育成機関であると同時に、幅広い人々を対象とする大衆的教育機関としての新たな社会的使命を帯びている。

レベルの高い学生をより広く高い次元へと引き上げるだけでなく、学力の高低を問わずあらゆる学生たちに学問の魅力と喜び、そのための日々の研鑽の尊さと方法論を授けることによって、大学教育は、構造的差別にあえぐ社会の学習資本の毀損を最小限に食い止め、またその蓄積を促すことをもって、より豊かで平等な社会を築いていく一助となれるのではないだろうか。


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