見出し画像

少しの意識と行動で変えられることが「課題」であり続けるのはもったいない


こんにちは。瓜生原ゼミ5期生の石田菜夢(いしだなつめ)です。
先日無事に同志社大学を卒業し、来週からは社会人になります。

早速、少々長くなってしまいそうですが、タイトルにある「もったいない」という想いについてお話させて下さい。

私は普段から何事に対しても、これに労力をかけるのはもったいないか、そうでないか、という軸で無意識に考えてしまうことが多いです。
というのも、小学6年生の時、側湾症と診断され(名前聞いたことあるかないか、ぐらいだと思うのですが、一言で述べると背骨が湾曲してしまい、場合によって手術が必要になる原因不明の病気)、大学生になるまでの7年間、お風呂と体育の時間以外ずっと矯正装具を付けて生活していました。
とても暑いし、痛くて皮膚が変色するし、何より着れる服が制限されてしまい、着れても明らかに背中が突起出て目立ってしまうことが嫌でした。
命に関わるような、生活に不自由が出る病気じゃないだけ本当に有難いし、服がどうだなんて贅沢だと思うのですが、おしゃれしたい盛りの中高生、出来ることなら避けたかったです。
自分が診断されるまでこの病名を知らず、意識したこともなかったので、発症に気づくのが遅くこのような生活になってしまいました。
もし、この病気のことを知っていて、もっと早く気がついていたらこんなに進行しなかったかもしれない…と考えると、知らなかったが故にせっかくの貴重な10代に、こんな苦労をしているというのは何とももったいないと感じました。
そう言っても、時を戻せるわけでもないので一度患ってしまうと、この先も一生付き合って行く他どうしようもありません。(成長期が終わったので今は矯正装具はなしで自由に服が着れます^_^)

私のように、「知らなかったから苦労する」というもったいない経験をする人は少しでも減って欲しいし、病気に関わらず、本当は解決できる可能性があるのに、人々の意識・行動が向かない故にずっと課題であり続け、苦労している人は多いんじゃないかなと思うようになりました。

瓜生原ゼミで取り組んできた「臓器提供の意思表示率の低さ」は、まさに知らない、知っても関心・行動に至りにくい故の課題です。
もっと身近な課題だと、例えばゴミの分別はやるべきことと誰もが知っていて、少し意識すれば出来ることですが、相変わらず分別を呼びかけるポスターがあちこちで見られます。
少しの意識と行動で改善できるかもしれないのに、こうしてポスターで呼びかけることに手間やお金がかかり、その分他の課題に当てられるかもしれないものが、後回しになってしまいます。
社会のあちこちで課題が叫ばれているのはハッピーな気持ちにならないですし、一つでも何か改善して助かる人や環境がある方が、みんなにとって幸せなはずです。
とは言え、その少しの意識や行動が難しいから、いつまでも改善されない多くの課題・・・。
それを手助けするのが「ソーシャルマーケティング」であり、瓜生原先生の本に詰まっています。

何となくでも、社会課題が解決されれば良いなと願っている人はきっと沢山いると思います。
私もずっと思っていましたが、その方法が分からず、先生に出会うまで、いつか、何かしら社会に貢献出来たら良いなぁと思いつつ時間が過ぎている状態でした。
でも、その間にも課題はどんどん増えて行き、何より、社会課題という壮大なモノに人類が立ち向かうには、一人一人が出来る小さなことを今すぐにでも集めて、大きくするしかないのです



ソーシャルマーケティングを通じて、「解決され得るもったいない課題」が世の中から少しでも減ると嬉しいです!

みんながハッピーに生きられるよう、いっしょに頑張りましょう!

この記事が参加している募集

忘れられない先生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?