体癖別・コミュ障【対策編・後編】
※今回の記事は、前作『体癖別・コミュ障【対策編・後編】』、並びに前々作『体癖別・コミュ障【ディス編】』の続きとなります。
そちらを前提として記述しておりますので、未読の方はぜひぜひ(^ ^)
割と面白いですよ〜
↓
前作
前々作
「自分はコミュ障でいい!」
私が決めることではないけれど…
全然いいです。
自分自身をコミュ障と自認することで、心の内側の何かを守っているのだから。
それはそれで、今は価値があることなのでしょう。
人は、自由に生きていい。
自分が自分のことをどう思おうが自由だし、自分がどういう自己認識を持ってこの世界を生きていくのかを決めるのだって、誰がなんと言おうと絶対に自由だから。
コミュ障で生きることを”決断”したなら、人がなんと言おうとそれで生きていけばいいと思うのです。
けど、体癖を”背負っている”と自認している私ソシャフィアの願いとしては、「自分は○種だからコミュ障なんだ」とは、絶対に思わないでいただきたい。
そして、自分がコミュ障である原因を「この体癖だから」ということで済まさないでいただきたい。
なぜなら体癖は、より良く生きるための技術であり、戦略であり、生き方なのだから。
な〜んて書くと、堅苦しい。
エンタメ性が減る。
けど、人生はエンタメ。
自分が成長して、今まで仲良くなれなかった人と仲良くなって、笑顔が溢れる気持ちいい時間を過ごせたら、誰かから与えられたエンタメを楽しむよりも、もっと楽しい。
そうなるためには?
自分の体癖を自覚して、どうにかしたいことは修正できるように頭と体を動かすのが一番。
コミュ障を脱したいならアイデアはいくらでもあって、練習していけば脱することができるのです。
もちろん、あなただって。
もっと人と楽しく話せるようになりたくないかい?
もっと気持ちいい奴だと思って欲しくないかい?
もっと自分を好きになりたくないかい?
オー!イエス!!
コミュ障でなくなれば、それだって叶うんですよ!!!
そんなわけで前々作、前作を引き継いで、体癖別・コミュ障シリーズの完結編。
”体癖各種のコミュ障の脱し方”について書いていきます。
一種的コミュ障の脱し方
一種的コミュ障は、要は上から目線のモラハラ。
本人は気づいていないことが多く、「自分はOK。あなたはOKでない」という心理的状況にある人が陥りやすい類のコミュ障ですね。
まずは自覚することが大切なのですが、特にどういったところに気づいていただきたいかというと、”言葉”です。
「一種の人は、なんで上から目線に見えるのだろう?」と八種なりに観察してみると、言葉が難しいのです。
頭をよく使う人からすれば簡単な言葉でも、他の人には難しく感じる。
カタカナ用語も多用する人が多い。
「そんな言葉、知ってて当たり前でしょ?」と一種の人は思うようなのですが、当たり前でない人もいるわけです。
この人は言葉を知らない
=この人は賢くない
=自分よりも下
=教えてあげなきゃ
=導いてあげなきゃ
という思い込みの方程式を、頭の中で無意識に展開してしまうのですね。
ちなみにこれは、心理学的に言うと「複合等価のビリーフ」と言います。Aという事実(あるいは、思い込み)を、Bという思い込みを=で繋いでしまうのです。
言葉を知らなくても、賢くないことにはなりませんよね。
で、相手が自分の”導き”の通りにならないと、イライラするわけです。
イライラが相手に伝わり、相手は萎縮したり、捻れ型なら「挑戦されている」と受け取ってしまう。
イライラしているつもりはなくても「今この人はイライラしているんだな」という印象を相手に持たれがちなのが、一種なのです。
コミュニケーションは、”情報の伝達”という要素の他に、”感情の交流”という面もありますね。
三種や四種のような感情の濃い体癖にとっては、コミュニケーションは後者の要素の方が強いのです。
言葉は心を超えない。
とても伝えたがるけど、心に勝てない(パクリですw)。
理性よりも感情の方がより動物に近い分、エネルギーが強い。
難しい言葉が感情に触れて、自分でも想定外の反応を相手から引き出してしまう。
ですので、相手の”語弊レベル”に合わせ、感情に配慮したコミュニケーションをとるようにしておくと良いですね。
すべての体癖のコミュ障に言えることですが、相手の反応をよ〜〜〜く見ておくことで、だいたいうまくいきます。
自分の思い込みや価値観や感情から離れて、つまりは自分にフォーカスせず相手にフォーカスすることで。
自分が何かを言った時に、相手がその言葉や言い方にどう反応したのかを心理学用語では”キャリブレーション”と言うのですが、相手に配慮していない人のほぼすべてが、キャリブレーションできていないのです。
それから、一種にありがちなのが、「ねばべき」。
○○しなければならない、〇〇するべき、というやつですね。
これは心理学的には、”必要性のモダルオペレータ”と言います。
モダルオペレータ…
耳馴染みのない言葉でしょう。
モダルオペレータは、簡単に言うと「自分や人を動かすための助動詞」。
頭の中で無意識に自分に言っている助動詞のこと。
必要性のモダルオペレータ=「ねばべき」は、英語にするとmustですね。
他にもモダルオペレータは、”可能性”=「できる/できない」=can/can notや、”希望”=「したい/したくない」=want/don't wantがあります。
二種や五種や捻れ型なら、”可能性のモダルオペレータ”で物事を考えることが多いですね。
「できるかな?できないかな?」とか「儲かりそうかな?」とか「勝てるかな?勝てないかな?」とか。
三種や九種なら、”希望のモダルオペレータ”でしょう。
できるかできないか?やるべきかやらないべきか?より、自分がやりたいか?やりたくないか?で考えますね。
モダルオペレータは、基本的には自分が自分に言っている無意識の助動詞のことを指すのですが、自分に言っている、ということは、他者にも言っているのです。
一種なら、必要性のモダルオペレータで、実際に言葉で「ねば」や「べき」と言っていなくても、「ねばべき」と言っているように相手に感じさせてしまう。
お願いや希望ではなく、「あなたはこれをするべき」という”指示”になってしまいがちなのが、一種的コミュ障の正体です。
指示が役に立つ場面は世の中にたくさんありますが、指示されて嬉しい人は珍しいのではないかと思うのです。
「この言葉は、相手にとって受け入れやすいか?」
そういう質問を自分にしてから、コミュニケーションを取る癖をつけていくと良いですね。
”正しい”って、”一に止まる”。
言葉を放つ前に、一旦止まって考えると、相手は喜ぶのではないかと思うのです。
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